有り難しと色心不二

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「ありがとう」の語源は「有り難し」です。

つまり
「滅多に有ることではない幸せ」、
「有り得ないくらいに嬉しい」…の意味です。

つまり、
「Thank you」のように、

特定の人物「you」に言っているのではなく、
現象に対して天に感謝を捧げる言葉なのです。


だから「ありがとう」はパワーのある言霊なので、
言葉を発することで発動(宇宙の振動波)し、
多くの奇跡を呼び込むのですね。

これは宇宙の波動的周波数みたいなもので、
「Thank you」とか「シェイシェイ(謝謝)」とは全く意味も現象も違うのです。

では、
私たちの人生の中で一番大きな「ありがとう」は何でしょう?

ヒントは2600年前の釈迦が言ってます。


●譬喩経 盲亀浮木(ひゆきょう もうきふぼく)より。

ある時、
釈迦が阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」と尋ねた。

「もちろん、大変喜んでおります」と阿難が答えると、
釈迦は次のように話した。

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀が百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。
丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。
その丸太ん棒は、風のまにまに西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ、
百年に一度浮かび上がるこの亀が浮かび上がった拍子に、
丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか?」

阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません!」

「絶対に無いと言い切れるか?」

「何億年×何億年、
何兆年×何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
無いと言ってもよいくらいそれは難しいことです」

「ところが阿難よ、
私たちが人間に生まれることは、
この盲目の亀が丸太ん棒の穴に首を入れることよりも難しいことなんだ。
それだけ有り難いことなんだよ」…



…つまり答えは、
父母を通してこの世に人間として生まれてきた事…ですね。

これが最大の「有り難し」です。

先が見えない盲目の人間として生きている中で、
多くの出来事に遭い、人物と接します。

よって一瞬一瞬が「有り難し」なんです。

目の見えない亀が丸太の穴に首を突っ込むように、
一つひとつは決して偶然ではないんですね。

だから人生は、
どんな人生でも「ありがとう」の積み重ねでできているんです。

それが分からない人を、
「不幸な人生」と呼び、その通りの人生を歩みます。

宇宙の周波数の法則で、
気付くまで不幸を招き入れてしまうんですね。

だから僕は、
不幸だと感じた時ほど、
運がないなぁ…と思った時ほど「ありがとう」と言うように努力してました。

※「してました」…???

これが不幸な連鎖を食い止め、
良い方向に循環させるコツだと。。

今までこれを、
偉そうに頭では分かっていたつもりでしたが、
実際ではなかなか実践できていたかと言うと…w。

特に今回、正直言って、
苦しい時ほど「ありがとう」とは言えなかったです。

実は昨年の正月から1年以上、
次から次へと良くない事ばかりが、
矢継ぎ早に普通じゃ有り得ないことを含め起きていました。

今までが良い事ばかりだったから、
その分の反動かもしれないとも思いました。

一つの問題を解決するとまた次の問題が起き、
その問題を解決するとまた次の問題が発生します。

一難去ってまた一難…の如く、
まるで不幸が順番を待って行列を作っているようですw。

宝徳大社に厄除けなど祈願しても一向にそれが止まりません。

なぜ、よりによって次から次へと…。

究極の良くないことは3月の母の死でした。

その49日を終えたので、
宝徳大社にお礼の参拝に行きました。

実は、

母がもうそろそろダメかなぁという時期、
「その時が来たら母にとって苦しまず、
一番穏やかな形でお導き頂けますよう…」と祈ったからです。

その通り臨終の際、
まるで眠るように穏やかな笑顔で息を引き取りました。

ちゃんと残された家族のために、
悲しまないよう心の準備期間を設けてくれていたとしか思えませんでした。

そして、
大社の祭壇に向かって御礼を述べ後ろを振り向いた途端、
後頭部に軽い衝撃を受けました。


『まとめて襲ってきたらお前は耐えられたか!』

えっ?…と思い、
祭壇の方を向き直しても誰もいません。

でも後で考え直せば確かにその声の通りです。

この1年にかけて、
いろんな不運や不幸が矢継ぎ早に襲ってきましたが、
もしこれらがまとめて来ていたら、
多分僕は精神的に参ってました。

一つ問題が発生しても、
一つだけに集中して対処する事ができたので、
ある意味とてもラッキーな現象でした。

まさに人生は、
1問ずつ回答する問題集のようです。

これは有り得ないことが起きているのだから「ありがとう」なんだ、
だからどんなことが起きても受けて立つ!…


これが頭とかの知識ではなく、

《心の底》からそう思えたのですね。

不幸な現象は神が自分を鍛えるために与えた試練…
そう思って、
どんなことでもありがたく頂戴しよう!


しかも神は、
自分が耐えられるように1つずつ順番に、
そして解決のための時間さえ与えて下さっている…


これこそ有り難き慈愛そのものです。

そう心底思って以来、
今まで一体何だったんだと思えるくらい、
いろんな不幸現象はピタッと止まってしまいました。

まさに現象も目に見える世界も心次第、
色心不二…ですね。