今年は2018年…、
阿弥陀の18願をふと思い出した。

今年は阿弥陀の年になるかも知れない。

阿弥陀の年とは、
2006年のインスピレーションで得た、
『人生の阿弥陀久茲』と説明している、
陰陽2つの選択肢の事である。

どちらを選ぶかで、
今後の未来が決まる。


遊びやくじ引きで使う、
当りやはずれのあるアミダクジの表は知っているだろう。



 

なぜ阿弥陀の名が入っているのかは、
ほとんどの人は知らない。

元々このクジのやり方は、
放射線状の表だった。

阿弥陀の後光の形が由来である。




しかも当初は、
はずれが無かった。

そこには人類一切を救うという、
阿弥陀の本願(18願)があったのだ。

元々の意味を知る。

モトイ…(笑)

詳細は長くなるのでまたの機会にするが、
阿弥陀久茲とは、
自分の生まれた使命と目的が書いてある、
人生の設計図でもある。

アーカーシャの記録、
アカシックレコード、アガスティアの葉とも似ている。

これらの原語の元はアガシャ―、
つまりイエスを含む阿弥陀の魂系団である。

アミダ、アミン、アガシャー、アモン、アーメン…、
名前または法則を指す。

アマテラスも愛を源流としている。

この辺りの詳細も後日説明したい。

結論的に言えば、
宇宙空間には、
全宇宙の全ての歴史がアーカイブされている。

仏教では「虚空蔵」とも言う。

時空を超えて、
過去だけではなく未来も。

未来における、
アミダクジのどっちの道を選ぶかは既に決まっているというもの。

生まれた瞬間がクジのスタートで、
自ずと人生を辿った結果も。

最近ブログで述べた、
川田薫先生の「空間にラベルを貼る」とも大いに通じる。
https://ameblo.jp/jesmotoi/entry-12332632873.html

実は、
人生の主だった事象や出会いは、
アミダクジのスタートライン、
生まれる前からほぼ決まっている。

一概には言えないが、
大筋では96%くらいが決まっている。

それを《宿命》と呼ぶ。

しかもこの96%の宿命は、
残りの4%と密接な関係を持っている。

4%の事を、
一般に《運命》と呼ぶ。


「努力」や「精進」、
または「自由意思」、
「第六感」や「インスピレーション」も、
この運命に含まれる。

《宿命》とは私の例で言えば、
人間として生まれたこと、
男として生まれたこと、
父母を選び本井家の次男として生まれたこと、
日本で昭和の時代に生まれたこと、
大地主の家で生まれ、12歳で父が死ぬこと…。

つまり、
生まれつき宿っていて、
自分の力や努力で結果を変えようがないことを宿命という。

宿命はそれだけではない、
物事の考え方や嗜好性、
性格や好みや適性、
個別の能力も、
生まれつきの宿命として定められている。

自分の趣味や性格、
好みと合った友人や異性を選び、
能力や適性に合った学校や職場、
結婚相手を選ぶようになっている。

たとえ親や第三者が選んだとしても、
それに従ったのは自分自身だからだ。

その目的はたった一つ。

幸せになるためだ。

不幸になるために努力し、
日夜頑張っている人など一人もこの世にはいない。

実は宿命である96%は、
全て幸せになるための素材なのである。

こんな厳しい環境下で生まれても、
必ず幸せになってやるぞ~
と自ら選択して生まれて来る。

私が生まれた頃には、
お手伝いさんが3人もいる裕福な家庭環境で生まれながら、
12歳で父が死に大借金を抱え、
一家離散の手前まで行ったことも、
今思えば、
全ては幸せになるためのプロセス、
もしくは材料だったとしか思えない。

※参考:本井秀定の物語

しかしながら世の中には今、
不幸を感じている人は決して少なくない。

自分が選んだ道、
または今の環境では幸せになれないと思っている。

それが逃れられない96%の宿命であるならば、
残りの4%の運命を変えるしかない。

実は、
この4%の運命を変えることで、
96%の宿命を大転換する事ができるのだ。


それが、
人に与えられた「自由意思」、
神に似せて人間は作られた理由のように思う。

ただし運命は、
常に行動と共にする。

よって、
運命を変えるには行動が必須となる。

宿命を受けつつ運命の流れを変える事は容易ではない。

痛みや犠牲も伴う。

恨みや怨念を抱かれることもある。

リスクは甚大だ。

だがそれによって、
真の友人の存在に気付くことも多い。

真の協力者が現れることも多い。

新しい気付きや出会いも広がる。

我慢(ガマン)して、
宿命の流れに従ったまま不幸でいるか、
勇気を出して運命の流れを変え、
それによって、
通常は変えられない宿命さえも大転換させるかは、
それぞれのやはり自由意思の範疇だ。

もし、
この我慢(ガマン)を続けることによって、
未来に希望が見えるなら、
そのまま頑張って続けた方が良い。

しかし、
この我慢(ガマン)を続けていても、
何ら未来に幸福も希望も見えないならば、
運命、
または宿命を変えるために行動(決断)した方が良い。

その希望のないガマンは、
《マ(間)》の抜けたガマンになるからだ。

ガマン-マ(間)=ガン、
つまり間の抜けたガマンは、
いずれは病気になって最悪の事態を迎える。

マとは間、
つまり心の余裕のことでもある。


心から余裕(間)がなくなれば、
まるで、
溺れた者はワラをもつかむ…と同じで、
自分だけではなく周囲をも巻き込んで、
もっと不幸の輪を広げてしまう。

遊び(間)のないハンドルやブレーキの車と同じように、
目的地に向かって、
命を乗せて運転(運命)するには危なくてしょうがない。

事故で死んでしまっては、
生まれて来た人生の目的も使命も果たすどころではない。

だから決して、
間抜けなガマンをしてはいけない。

できたら、
未来に希望の持てるガマンをして欲しいものだ。

それはもうガマンとは言わず、
敢えて言うなら、
精進であり忍耐や努力だろう。


話はガラッと変わる。

人間にとって必要な生体ミネラル、
その必要量はわずか4%。

運命の率と一致する。

そしてやはり96%は宿命と同じで、
生まれながらの身長や血液型、
顔の形や体質はなかなか変えられない。

しかしながら4%のミネラルは、
人を人として生かす、
他の無くてはならない栄養素96%の核となる。

特に体質を変えられるのは、
この4%のミネラル次第となる。

ミネラルは、
肉体面での間(余裕)でもある。

このように、
運命とミネラルは非常に関係性が深い。

ミネラルによる健康面だけではなく、
生体ミネラルの愛飲者で、
「運が良くなった」と一番に言われる理由がここにある。

不健康で強運な人はいないからだ。

逆説的に、
健康になればなるほど運が強くなるとも言えるだろう。

運の科学をライフワークとしている、
神奈川大学元教授の関邦彦氏曰く、
「人間にとって最大の不運は死である」と断言している。

会員の皆さんも当時あったように、
飲むか飲まざるかの陰陽二択、
まさに阿弥陀久茲、
1度でも飲む事を選ぶことによって、
これからの人生の幸不幸に大きな開きが出ると思えるのだ。

 



※生体ミネラル「希望の命水」を飲まれた事のない人は、
下記で100ml無料サンプルを進呈します。

http://www.j-smc.co.jp/meisui-sample.html