昨日、
『引き受け氣功』の藤谷康允先生が来社された。

http://www.wonder-life.jp/about_fujitani.html



この世界ではかなりの有名人だが、
決して偉ぶらず、
とても穏やかで人間味があり気さくな方だと思った。


絶望の淵に立たされた方々へのヒーリングを行い、
全国から様々な奇跡的治験例が後を絶たない。


治癒以外でも、
人間関係や家族の心の問題に関しても、
ほとんどが良い方向に向かうと言う。


しかもその費用は、
ほとんどボランティアに近い料金である。


しばらくお話しした後で
こんな会話があった。


先生の人生を変えた方は?


故T・信次先生です。
始めて講演を聞いた時に衝撃が走り、
先生の説かれる正法に沿って生きております。


やはり…、
そんな気がしておりました。
(T先生の話で盛り上がる)


それにしても、
なぜ先生はそんなに穏やかなんですか?(笑)


以前の私はとても短期で、
怒るとすぐに手が出ました。


でも、
この怒りはどこから来るのか…

それをずっと探りました。


やはり、
自分の奥にずっとへばりついていたんですね。


自分が生まれてから体験したこと、
教育や習慣、
いろんな常識に振り回されて、
どんどん自分の心に塵や埃を身に付けて行ったんです。


それら心のスモッグを少しずつお掃除していったら、
本当の自分…
つまり、真我が出て来るんですね。


するとおのずと偽我が消えて、
もう怒る事が無くなって、
全てを受け入れることができるんです。


全てを受け入れたら、
自分の中でいっぱいになって抱えきれないから、
今度は大自然に流すことも大切になります。


…何というシンクロだろう。。


私が皆さんに伝えた言葉、
でもなかなか実際には難しいなぁ(笑)と思っていた言葉、
『全てを受け入れ、全てを手放す』…
それを体現されていると言うのだ。


N治療家の言葉、
『自分の身体を道具に徹する』…にも通じる。


しかも、
『心のスモッグの掃除』と聞いて、
あの川田先生も同じ事を仰っておられ、
ホ・オポノポノのヒューレン博士の言葉、
しかも、
僕の好きな『チューラパンタカ』の話ともシンクロした。


それも、
これらのことを『発展のアドバイス』に書いたばかりだったのである。
(※会員の皆さんのお手元に届くのは後になります)


やはり、
真理は一つなんだなぁ…


その後先生は、

「希望の命水」を試飲され、

その体感にとても驚き、

1本買われた。



藤谷先生を紹介してくれたのは、
井上祐宏さん。


僕の9分ビデオ、
『本井秀定の物語』を作ってくれた方だ。

https://www.youtube.com/watch?v=d5z6Dz4gTNY


彼の出版記念講演会を当社セミナールームで行ったので、
そのゲスト出演のついでに、
私に引き合わせてくれた。


井上祐宏さんの新刊書籍はこちら。


今日が最後だったら
誰に何を伝えますか?

僕はまだじっくり読んでないが、
なかなかの評判を呼んでいるらしい。


彼は、
子孫へのラブレター 』として、
自分の子孫に映像で残すセミナーも主催している。


僕はこの本のタイトルを最初見た時、
彼にこう言った。


キティちゃんのお守り売ったり、
敷地内にマンション建てるより、
よっぽどこの本を、
お寺で置いといた方がいいのにね(笑)。


2000年も、
2400年も前の説かれた教え…
宗教や哲学や思想を今だ勉強している私たち。


何千年も経っているのに、
現代の人々の意識は、
果たして当時よりも進化・覚醒したのか。


確かに科学も文化も発達し、
便利な世の中にはなったが、
果たして私たちの心は、
当時より幸せに満たされているのか。


勿論、私を含めてだが、
同じような疑問を持っている方は多いだろう。


さて藤谷先生の発表時間が迫り、
随分昔、私がビジョンで受けた、

『カゴメ歌の真意』のコピーをお渡しし、

固い握手をして別れた。


『カゴメ歌の真意』をお渡ししたのは、

昨日、
亀の話をブログで書いてる途中だったからかもしれない(笑)。
(※鶴と亀)



下記は単なる私のイマジネーションだが、
あくまでも参考まで。


やはり全てが繋がっていて、
こういったシンクロが頻繁に起きているんですね。



●カゴメ歌の真意


かごめかごめ(過去の目、過去の目)


自分の今まで生きてきた過去を、
よくよく振り返って見なさい。


その目は偏らない第三者の目で見つめなければならず、
八正道の「正見」を一つの心の物差しとして、
「本当の自分(真我)」というものを掘り起こすのだ。


それを反省行(内観)という。


反省なくして発展もなく、
真の感謝も芽生えない。


増してや悟ることなど、
一体誰ができようものか。



かご(過去)の中の鳥(鳥居)は、
いついつ出やる


過去を振り返る反省が進むと、
いつか神仏(大宇宙の叡智)に出会うことがあるだろう。


その出会いは人によって一万日かかるやも知れぬ。


それまでは、
暗い闇をさ迷うが如く苦しみを伴なうかも知れぬ。


しかし、
決して諦めてはならない。


必ず、
自分の中にある普遍の真我を探し求めるのだ。


真我を発見できねば、
大宇宙の叡智(パーニャパラミタ=「般若心経」)が湧出することもない。


神仏というものは、
我が心中の奥底にこそ“ある”と確信せよ。



夜明けの晩に


ようやく暗闇を抜け、
大宇宙の叡智に目覚めた時、
自らの魂が数億年の時空を経て、
転生輪廻を繰り返す永遠の生命であった事実を知るであろう。


その瞬間は、
まるで無垢な朝日(夜明けの太陽)が我が体内に入り、
内なる暗闇を溶かすが如く、
大いなる感動と宇宙との一体感を、感じざるにはおれない。



鶴と亀がすべった(統べた)


大宇宙(神仏)と一体となるということは、
自分が“個”の存在ではなく、
時空と物質を超えた“全”であることを指し示す。


神仏は、全ての始まり(鶴=オメガ)と、
全ての終わり(亀=アルバ)を制する法則だからである。


反省(内観)によって両極端な思いと行いを修正し、
偏らない中道の生活を行なったときに、
始めて宇宙の理法を知る事ができるのだ。


真の反省によって、
一切の理(ことわり)、
一切の法則、一切の現象、
一切の叡智、
そして一切の生命流転の記憶が甦って来るであろう。


神仏が大宇宙、
そしてこの世とあの世の一切を統べているからである。



後ろの正面だーれ(証明たれ)


それらを悟った時、
自らの魂(後ろ)が燦然と輝き、
始めて人々を光らす照明となり、
人々を善導へと導く燈明そのものになるのだ。


人々の背後にいる魂(守護・指導霊)に力を与え、
生きとし生ける者全てに調和と安らぎを与えよ。


そして人々に、
目に見えぬ本当の真実(後ろ)を証明(文証・理証・現証)するのだ。


色即是空 空即是色…
(全て目に見えるものはイデアから降ろされた物であり、
目に見えないものこそ全ての真実の種がある)。


悟りは文字にも言葉にも表すことはできぬ。


ただ日々の己の実践の中でのみ感じ取ることができるのだ。


決して傲慢になってはいけない。


謙虚にそして礼を尽くし、
この過去目の真意を述べ伝えよ。



●問題


さてこのビジョンを受け取った時、
過去のどんなお坊さんの顔が浮かんだでしょう?(笑)