我が家で実際にあった会話です。

夫「この漫画の続きはどうなっちゃうんだろうね」

妻「主人公は五次元空間に飛んでしまったよね」

夫「五次元なの?五次元てなに?」

妻「現在過去未来が当時に存在する世界。三次元だとそれらは一直線上でしか認識できないけど、五次元だとそれらが同時に存在していると認識できる、らしいよ」

夫「俺はニュータイプじゃないからわからないな。そういうのは」
※ニュータイプ→ガンダムに出てくるテレパシーを使えるタイプの人間。宇宙移住によって自然発生した「進化した人間」。新時代の人間と言われている。

妻「そんなことないよ。現在過去未来は何一つ確定してないから、あなたがどうなるかなんて誰にもわからない。五次元の世界は「何でも在る」と「何でも無い」が同居しているからね。まあ結局は三次元的な物の見方しかできない私たちの解釈に過ぎないけど」






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三次元の世界は「在る」世界。

あると安心するようにできてる。

「無い」ことより「在る」ことにフォーカスしたほうが、三次元存在としての私達はより安定するらしいのです。


でも、わたしたちが「在る」を望めるのは、「無い状態」が存在してるから。だから、在るを求める事ができる。

三次元世界はそういうふうに巧妙にできてる。



在るを求めなさい!
在るを求めなさい!
お金も服も食べ物も時間も愛も希望も!
そういう「在る」を求めなさい!

ほら、この世界はこんなに何にも無いから!

だから「在る」を求められるね!
よかったね!安心だ!






それの繰り返し。



誰かを選んだ瞬間、選ばれなかった人が居る。選ばれた人と、選ばれなかった人が居る状態が、永遠に続いている。
(※ワンネスの体感があるタイプの人間は、この「選ばれなかった人が居る」この世界に絶望するんですよね)



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世界は巧妙にできている。

昨今で叫ばれている
「次元移行」「シフト」
などがあるとすれば、

「そっち」の世界には、
「何でも在る」と「何でも無い」状態が広がっているんだろうね。無限に広がる宇宙みたいに。
(宇宙も結局ホログラムですがね💡)


そして、
「何でも在る・何でも無い」は
誰にでも開かれている。
望んだ人しか行けないというのはナンセンス。
(三次元物理に囚われたわたしたちは救いを求めるようにできてしまっているんだろうか…笑)






これからは

「在る」or「無い」かにフォーカスして、「狭めていく」ことに執心するのではなくて、

それらを手放した時に起こること、を感じてみると、意識は開けていくのかもしれないなあ、と私は思っています。

広がっていく」感覚。

そしてその広がりはくるっと廻って円になります。戻ってくる。

無限に広がりながら円になる。

地球が自転するように。
地球が太陽の周りをまわっているように。
太陽系が天の川銀河の中で回っているように。
天の川銀河が銀河群の中で回っているように。
銀河群が…………


永遠に広がり回り続けていく。


その中の点であるわたしたち。

その点が絶えず「発生」を起こしている。
そこに意味はない。
ただ起こっているだけ。




三次元機能のほかに、多次元機能も同時搭載してみるとみえてくる…かもしれない。





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明日の早朝に満月ですね。
ここまで歩んできた道のりを祝福しましょう。
そんな時期です。