政を為すに徳を以てす
子曰わく、政を為すに徳を以てするは、譬えば北辰の其の所に居て、衆星の之に共するが如し、と


徳の備わっていない者がいくら語ってみても、
人心はその者を信じることはないでしょう

天空にある星々が一見、北極星を中心に回っているように見えても、
それは地球から見た視点であって、おそらく他の星からみれば
また違う星を中心に回って見えるのでしょう。

星々と同じように、人々の物事の考え方も幾多もあるもので、
自分の考えを良しとするものもいれば、
良しとしないものいるでしょうし、
どちらでもないものもいるでしょう

それはやはり視点がそれぞれ異なるからです。

ひとつの事柄にしてみても、様々な視点で見ているのですから
意見が一意すると言う事の方が奇跡に近いかもしれません。

お互いに同じものをみていても、本当にそれが同じであると
誰が証明できるのでしょう。

また違うとも証明できるものでもありません。

でも私達は相争うことなく、お互いの意見を交差させて
物事を決着へと収束する事が出来るのです。

それは何故でしょうか。
お互いを認め、お互いの意見に傾聴し、
そして共通項や相違点を見つける努力を
お互いにするからです。

そのお互いを尊重する心こそが「徳」と言えるでしょう。

言葉は時に人を癒し、時には人を傷つけるものです。

しかし我々はひとつ傷を負う毎に、
ひとつ労わりと言う優しさを学びます。

優しさを学び、労わり、憂う心を厳しく育てて
徳が培われていくのです。

その積み重ねが経験として、知恵として
お互いを知り、認める糧となるのです。

政治に限らず、会社に限らず、
憂う心がなければ、労わりを持つ事もないでしょうし、
労わりを学ばなければ、
何時までも永遠に傷つけあうだけなのです。

我々は人間として
知性ある分別ある行動で
お互いを知り合う努力をしているから、
より深く理解しあえるのだと思います。

本日の一句

損得は尊徳にあらず (淳風)