身長160センチ。負けたら練習、勝っても練習し、小柄な身体を鍛えにきたえ、「死ぬ時が定年」とがんばった杉原さん。勝つためには努力を惜しまず、変則スイング五角形打法や、飛距離の衰えをカバーするために取り入れた長尺ドライバーは43インチ(110センチ)から最後は48インチ(約122センチ)にまで伸びた。晩年、このドライバーを杖代わりにラウンドする姿はさながら水戸黄門をほうふつとさせた。97年に前立腺がんが判明したが「生涯が現役」と手術せず、最後まで全力を尽くした。

杉原輝雄さんは、日本共産党 のスポーツ政策について高く評価していました。ご冥福をお祈りします。