過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=) | J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

過去の今日、『太陽にほえろ!』のどのエピソードが放送されたかを後悔なく公開するブログでしたが、
2023(令和五)年2月2日(木)曜日に突然、きまぐれに気が変わってしまい変更しました土佐ヨ(=^◇^=) 
いうことでどうか④⑥③⑨お願いしますm(__)m(__)m


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
 ┌─――――――┐Top row <一行目>
07| Carl Jung |『Wikipedia』
07|カール・ユング|『discovermusic.jp』
 └─――――――┘スイスの精神科医。進歩的な思想家であるユングは、世界に新種の心理学を紹介した。彼が創始した分析心理学は、1900年初頭に個性化と自己実現という概念の先駆となったヨ(=^◇^=)
 写真◆Edgar Allen Poe Sgt Pepper「Man, did you see them kicking Edgar Allen Poe?」 (『I Am The Walrus』歌詞より)
‡1875(明治八)年07月26日(mon) Born
 1961(昭和36)年06月06日(tue) Died. 85 years old
 ┌─―――――――――┐Second row <二行目>
18|  Aldous Huxley  |『Wikipedia』
18|オルダス・ハクスリー|『discovermusic.jp』
 └─―――――――――┘ 1954年に刊行されたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉(原題:The Doors Of Perception)』は、1960年代を生きる反体制文化のエリートにとって必読の書だった。メスカリン(幻覚剤)を使用した自身の経験を詳述した同著は、当時流行していた意識拡大の風潮と一致していた。また、ザ・ドアーズは同著にちなんでグループ名をつけた。オルダス・ハクスリーはノーベル文学賞に7回ノミネートされ、『With The Beatles』のリリース、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺と同日の1963年11月22日に死去したヨ(=^◇^=)
‡1894(明治27)年07月26日(thu) Born
 1963(昭和38)年11月22日(fri) Died. 69 years old
 ┌─――――――――――――┐Third row <三行目>
48|  George Bernard Shaw  |『Wikipedia』
48|ジョージ・バーナード・ショー|『discovermusic.jp』
 └─――――――――――――┘ 近代劇を形作ったアイルランドの劇作家。ノーベル賞(1925年。文学賞)とアカデミー賞(1939年。『ピグマリオン(原題:Pygmalion)』で最優秀脚本賞)のふたつを受賞した初めての人物。彼の作品は、21世紀の今も舞台化されているヨ(=^◇^=)
‡1856(安政三)年07月26日(sat) Born
 1950(昭和25)年11月02日(thu) Died. 94 years old
 https://sgtpepper.udiscovermusic.com/
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Jung
‡https://en.wikipedia.org/wiki/Aldous_Huxley
‡https://en.wikipedia.org/wiki/George_Bernard_Shaw
 https://www.udiscovermusic.jp/stories/whos-who-on-the-sgt-peppers-album-cover
 https://www.udiscovermusic.com/stories/whos-who-on-the-beatles-sgt-peppers-lonely-hearts-club-band-album-cover/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_images_on_the_cover_of_Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band

 カナダ先住民の女子高生、民族語でビートルズをカバー P・マッカートニーさんも称賛
 2019(令和元)年06月05日(水) 16:15 発信地:オタワ/カナダ [ カナダ 北米 ]
 カナダ先住民の女子高生、民族語でビートルズをカバー P・マッカートニーさんも称賛
‡2017(平成29)年07月26日(水)撮影、資料写真◆米イリノイ州で公演するポール・マッカートニーさん。(c)Kamil Krzaczynski/AFP
【6月5日 AFP】カナダの先住民族ミクマク(Mi'kmaq)の女子高校生がクラスメートたちとミクマク語でカバーしたビートルズ(The Beatles)の名曲「ブラックバード(Blackbird)」が、インターネット上で話題になっている。この曲を作ったポール・マッカートニー(Paul McCartney)さんも称賛した。
 マッカートニーさんが市民権運動に触発されて作った「ブラックバード」は、1968年にリリースされたアルバム「ザ・ビートルズ」(通称 ホワイトアルバム White Album)に収録された。
 カナダのノバスコシア(Nova Scotia)州エスカゾ二(Eskasoni)のエマ・スティーブンス(Emma Stevens)さん(16)は、消滅の危機にひんしている世界の先住民族言語への関心を高めるため、教師らの助けを得てクラスメートたちと一緒にアコースティック・バージョンの「ブラックバード」をミクマク語でカバーした。優しいアコースティックなカバーバージョンは、動画投稿サイト「ユーチューブ(YouTube)」に投稿されると、瞬く間にインターネット上で広く共有され、再生回数は50万回を超えた。マッカートニーさんは最近、米ケンタッキー州レキシントン(Lexington)で開いたコンサートで、「カナダの女の子が作ったすごいカバーバージョンがあるんだ。ユーチューブで見られるよ。彼女のネーティブの言語で歌っている。本当にクールなんだ」と観客に語っていた。ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相もツイッター(Twitter)で「チェックしてみて」とフォロワーに呼び掛けた。
  ⇒ カバーした理由は──カナダの先住民族言語の状況 >
 https://www.afpbb.com/articles/-/3228486
 ■カバーした理由は──カナダの先住民族言語の状況
 スティーブンスさんは、カナダ放送協会(CBC)のアート系番組「q」のインタビューで、マッカートニーさんがコンサートで自分たちのカバーについて話したと知って本当に興奮して泣きそうになったとコメント。「私は毎日ビートルズを聴いて育ちました。父が大ファンだから」。さらにスティーブンスさんは「私の文化は私の人生で一番大切なものの一つなんです」と語り、「コミュニティーの外にいる人たち、ミクマク語を話さない人たち、ミクマク語が分からない人たちに私たちの文化を伝えると、そういった人たちに新たな視点を提供し、私たちの言語がとても美しいことを知ってもらえます」と説明した。カバー曲のレコーディングを手配したスティーブンスさんの音楽教師カーター・チアソン(Carter Chiasson)氏はAFPの取材に対し、「このレコーディングを通じて先住民の言語と文化を保存することの大切さを広めたい」と語った。また「多くの民族の言語が消滅の危機に直面しており、あと数世代でなくなってしまう可能性もある」と指摘した。カナダ政府の統計によると、同国では今も12語族70以上の先住民族言語が話されている。国勢調査によると、先住民族160万人のうち先住民族言語のネーティブスピーカーは26万人。国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)によると、カナダの先住民族言語のうち4分の3が消滅の危機にひんしている。話者が約170人しかいないクテナイ語(Kutenai)のような言語もあれば、クリー語(Cree)のように話者が約9万6000人という言語もある。ミクマク語はアルゴンキン語族の中で最も広く使用されている言語の一つで、話者人口は約9000人。先住民族言語の保存と、カナダの法律を国連(UN)の「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the Rights of Indigenous Peoples)」に調和させることを目的とした2つの法案が現在、上院で審議されている。(c)AFP
 https://www.afpbb.com/articles/-/3228486?page=2

 音源◆The Beatles - Live At The Cavern Club, https://youtu.be/Pv7mF7SzjgI
 August 22 1962
 The Cavern Club, Liverpool, 22 August 1962
 01. Some Other Guy (Source #1) [0:00]
 02. Some Other Guy (Source #2) [2:03]
 03. Some Other Guy (Source #3) [4:12]
 The Beatles' 126th lunchtime performance at the Cavern Club on Mathew Street, Liverpool took place on this day. It was also the first time that television cameras filmed them performing. After receiving a number of letters from fans about The Beatles, a crew from Granada Television decided to investigate the growing phenomenon. Producers from Manchester-based Granada first saw the group perform at Cambridge Hall in Southport on 
‡26 July 1962, and Granada's Dick Fontaine visited the Cavern on 1 August to check the lighting conditions before the film crew attended on this date. The Granada crew filmed The Beatles performing Some Other Guy for the Know The North programme. The filming took place less than a week after Pete Best had been sacked from the group, and one male fan was captured shouting "We want Pete!" at the end of Some Other Guy. There are three different sources for Some Other Guy. The first one is the original source, which is found in the original footage. The second, is the one edited for the Anthology proyect. It is the same as the first but with a different intro and it fades. The third is from the 1984 broadcast of the TV Special The Early Beatles.
 音源◆The Beatles - Live At The Cavern Club, https://youtu.be/RNhqkvjQGl4
 September 5 1962
 The Cavern Club, Liverpool, 5 September 1962
 01. Some Other Guy [0:00]
 02. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! (Source #1) [2:17]
 03. Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! (Source #2) [3:18]
 The Beatles had been filmed by Granada Television at the Cavern Club on 22 August 1962, performing Some Other Guy for the Know The North programme. On this day their sound technician Gordon Butler returned to the venue to make a better-quality recording. Butler used three microphones rather than one for this evening show. He made an hour-long recording of The Beatles, of which performances of Some Other Guy and Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey! have survived. The first source for Kansas City is the one found on the Anthology proyect with an intro. The other is the complete acetate but without the intro.
 音源◆The Beatles - Rehearsals At The Cavern Club, https://youtu.be/1LHtidTwjJ4
 September-October 1962
 The Cavern Club, Liverpool, September - October 1962
 01. I Saw Her Standing There [0:00]
 02. One After 909 (Version #1) [3:05]
 03. One After 909 (Version #2) [6:13]
 04. Catswalk (Version #1) [9:26]
 05. Catswalk (Version #2) [10:47]
 This recording probably dates from late September - early October 1962. It can be assumed that it was recorded for reference purposes by The Beatles themselves. How the tape came in to circulation is unclear. Likewise, while it is likely that the original tape contains or contained more, these performances are the only ones to surface. Some people speculated that these recordings feature Pete Best and its from March 1962, but Ringo has stated the he is the one playing on these recordings. 

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 ┃『give my regards to BROAD STREET』┃
 ┃『“ヤァ!ブロード・ストリート”』┃
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 1982(昭和57)年11月05日(fri) recording Start
‡1984(昭和59)年07月26日(thu) recording The End.
 1984(昭和59)年10月22日(mon) Soundtrack album released
 1984(昭和59)年10月23日(tue) US released ※musical drama film
 https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
 https://en.wikipedia.org/wiki/Give_My_Regards_to_Broad_Street
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①┃♪Good Day Sunshine♪┃
 ┗━━━━━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この曲も取り上げられている。実にこのアルバムからは4曲選ばれている事からも、ポールがいかにこの時期に充実してたのかが伺えよう。映画の中ではオープニングでポールが車でレコード会社に向かう場面のBGMで使用されている。このバージョンはポールが全ての楽器を演奏しており、また間奏はジョージ・マーティン本人が弾いているという完コピ度高め。
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②┃♪Yesterday♪┃
 ┗━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この時はストリングスではなくホーンを取り入れている。ちなみに管理人は音楽の授業でこの曲を聴き『ヤァ!ブロードストリート』で初めてこの曲を聴いた。そこからずるずるとビートルズにハマりこんで行ったから、この曲は特に思い出深いのであるw
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③┃♪Here, There and Everywhere♪┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この曲も取り上げられている。実にこのアルバムからは4曲選ばれている事からも、ポールがいかにこの時期に充実してたのかが伺えよう。映画の中ではレコーディング風景で♪イエスタデイ♪に続いてメドレー形式で歌われた。ホーン4重奏を取り入れたアレンジになっている。また冒頭の歌詞を♪I need a Love of my own♪と変更している。このメドレーはポールのソロ作品の♪ワンダーラスト♪と続く3曲メドレーなんだが、その曲の部分のみリンゴがドラムで参加している。前2曲のビートルズナンバーへの参加をリンゴは「半分でビートルズなんてイヤだ」と断ったために、映画ではポールに「ブラシで叩いて」と頼まれたリンゴが、ブラシを探し回ってる内に2曲終わってしまい、見つけて戻ってきたら♪ワンダーラスト♪になってたので、ブラシを放り投げてスティックに持ち替えるという処理がされていた。なお、この録音風景にはジョージ・マーティンも参加しており、ファンにはたまらない内容である。(映画自体は・・・ちょっと困りもんだけど)
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④┃♪For No One♪┃
 ┗━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この曲も取り上げられている。アレンジはアコースティック・ギターと弦楽4重奏(♪イエスタデイ♪と同じ)+フレンチホルンに変更されている。映画の中ではBBCのスタジオで歌われて、その後にすぐ♪エリナー・リグビー♪も演奏された。
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⑤┃♪Eleanor Rigby♪┃
 ┗━━━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この曲も取り上げられている。映画の中ではBBCのスタジオで♪For No One♪を歌った後に歌われて、その後ポールの妄想世界へ入っていく場面で使われた。♪エリナーの夢♪、というインストとメドレー。長い。
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⑥┃♪THE LONG AND WINDING ROAD♪┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛1984(昭和59)年の映画『ヤァ!ブロードストリート』でポールは6曲のビートルズナンバーを(スタジオ作品としては)初リメイクしているが、この曲も取り上げられている。メロウなサックスで始まるなんともAORなアレンジがなんともいい感じである。ちなみに管理人は一番最初にこの曲を聴いたのがこのバージョンであった。だからこのオーケストラバリバリの♪レット・イット・ビー♪バージョンを聞いたときは目が点になったもんである。なお、ポールは1990年にも『フラワーズ・イン・ザ・ダート』のボーナスCDにも、この曲のリメイクバージョンを収録している。
①https://beatlesdata.info/7/08_gooddaysunshine.html
①https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Day_Sunshine
②https://beatlesdata.info/5/13_yesterday.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/Yesterday_(Beatles_song)
③https://beatlesdata.info/7/05_herethereandeverywhere.html
③https://en.wikipedia.org/wiki/Here,_There_and_Everywhere
④https://beatlesdata.info/7/10_fornoone.html
④https://en.wikipedia.org/wiki/For_No_One
⑤https://beatlesdata.info/7/02_eleanorrigby.html
⑤https://en.wikipedia.org/wiki/Eleanor_Rigby
⑥https://beatlesdata.info/14/10_thelongandwindingroad.html
⑥https://en.wikipedia.org/wiki/The_Long_and_Winding_Road
☆ポールの映画☆
 2014(平成26)年02月27日(木) 17時58分 三村一樹 さん 閲覧数 468  役立ち度 0 総合評価★★★★★
 1992(平成四)年1月2日(木)の深夜に4チャンネルで故・水野春雄の開設でお正月ミュージカル映画スペシャルとして放送されました。当時、千葉の江見の別荘にいた私は眠れないままに途中を少し見ました。ビデオに録画し見て、DVDもレンタル落ちを手に入れました。前振りが長くなりましたが、本題です。この映画は分かりません!ストーリーは追うのが必死で、画面はめまぐるしく変わり、ラストでは夢オチでズッコケます。ビートルズの歌はいいのですが、リメイクだとオリジナルと比較してしまいます。
 https://movies.yahoo.co.jp/movie/23690/review/2/

☆ジョン・レノン眼鏡の破壊力 その後
 2018年07月26日
 レノン眼鏡の破壊力
 http://beatlempire.seesaa.net/article/450168572.html
 を書いたあとに判明したいくつかの事実を記述する。
 ジョン・レノン眼鏡についてアップしたのは2017年5月だった。その直後にテレビ番組でジョン・レノン眼鏡について言及され、その偶然性に驚いた。
 あるいは番組の関係者が当ブログを見たのかなとか。
 以後しばらく放置していたが、最近少し調べると以下の事実が判明してきた。
 まず、参考になったのはこのページ
 ジョン・レノンのメガネ物語(上)
 ジョン・レノンのメガネ物語(下)
 このページに掲載されたジョン眼鏡コレクションの数には畏れ入るしかない。
 上記ページのうち
 https://matome.naver.jp/odai/2143208350657788701?&page=2
 で映画「HELP!」の脚本家チャールズ・ウッド(Charles Wood)の掛けていた眼鏡を気に入ったジョンが映画「How I Won the War」出演時にその眼鏡を指名したというのがジョン・レノン眼鏡の始まりらしい。
 ただ、様々な人が報告する通り2018年の現在でもチャールズ・ウッドらしき画像は拾えない。
 チャールズ・ウッドの丸眼鏡はNHS(国民保健サービスNational Health Service)から無料支給される眼鏡だった。
 翻訳ページはこちら
 NHSサイトにおいてroundで検索すると以下のページが出てくる。
 NHSページの眼鏡カタログ「round」
 https://www.specsavers.co.uk/glasses/sdo-dakota
 https://www.specsavers.co.uk/glasses/watson
 あたりが真円に近い。ワトソンとはホームズの友人をイメージしているのだろうか。
 https://www.specsavers.co.uk/glasses/rowling
 こちらは女性用だが、シンプルかつストレートなデザインでなかなか格好いいと思う。
 価格は89ポンド。2018年7月現在で¥12,986だからまあまあ安い。
 ジョンが掛けるまで丸眼鏡はやっぱりダサい眼鏡として若者には忌避されていたらしい。ちなみに、ティーンズ&キッズには真円に近い金属フレーム眼鏡はない。この眼鏡が無料になるかどうかは審査が必要で、15歳までの児童・児童手当受給者・障害者生活手当受領者などから刑務所を出所した人までが無料給付のための視力検査を受けられるということだ。
 ジョン自身は無料給付だったのかな。その点は判らなかったが、ミミ伯母さんの眼鏡が記憶にあったという説も否定されてはいない。ビートルズ後期のジョンに黒フチ眼鏡掛けてもらいました。すみません。
 http://beatlempire.seesaa.net/
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 ┃New Brighton Tower┃
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 1896(明治29)年06月22日(mon) The ground breaking happened on 22 June 1896,[4] before the formation of the new company, 
‡1896(明治29)年07月26日(sun) Completion of land purchase and announcement of contracts on 26 July 1896.
 1898(明治31)年05月30日(mon) On 30 May 1898 the Tower Theatre was opened, sited between the legs of the tower.
 1909(明治42)年09月07日(tue) On 7 September 1909 two visitors were left stranded at the top of the tower as the final lift car of the night descended without them. The woman and twelve-year-old child were not noticed during the final round of inspection and so, without a way to communicate with anyone on the ground, they spent the night on the tower until 10 am the following morning. They did not appear too concerned by the ordeal and left without giving their names to officials.[26] 
 1959(昭和34)年05月18日(mon) In another incident on 18 May 1959 five people were injured while watching a motorcycling stunt when a 10-foot (3.0 m) wide section of stands collapsed, causing the spectators to fall 15 feet (4.6 m) to the ground.
 1919(大正八)年05月15日(thu) On 15 May 1919 a fire destroyed the grandstand.
 https://en.wikipedia.org/wiki/New_Brighton_Tower#Tower_Ballroom
 http://gejirin.com/beatles/history/1961/19611110_live_Tower_Ballroom.html

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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年07月26日(水) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
 写真◆キャバーン・クラブ1961年7月 日付は不詳
②1962(昭和37)年07月26日(木) ライヴ演奏:ケンブリッジ・ホール/サウスポート
 ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の経営する会社NEMSエンタープライズ (NEMS Enterprises) は、ジョー・ブラウン&ザ・ブラヴァーズ (Joe Brown & The Bruvvers) とビートルズを売り物として、2夜連続のショーを主催した。これはその最初の夜であった。ジョー・ブラウンの『A Picture Of You』はその時、英国のシングル・チャートで3位にランクインしていた。その曲はエプスタインのお気に入りのポップ・ソングの1つだったし、ビートルズもレパートリーの1つとしてステージで演奏していた。ジョージ・ハリスンがリード・ヴォーカルを取っている。これはビートルズがケンブリッジ・ホール (Cambridge Hall) で行った唯一のショーであった。このホールはランカシャー・サウスポート (Southport, Lancashire) のロード通り (Lord Street) にある。その建物は後に改修され、名前のサウスポート・アート・センター (Southport Arts Centre) に改められた。
③1962(昭和37)年08月22日(水) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼) ビートルズTV初収録
 この日はマシュー通り (Mathew Street) にあるキャバーン・クラブ (Cavern Club) のランチタイムショーへの126回目の出演だった。そしてこの日初めて、TV局のカメラが彼らの演奏をフィルムに収める。キャバーンのランチタイムショーは通常12:00pm~2:00pmに開催されていた。イブニングショーも含めると、これがトータル218回目のビートルズのキャバーン出演だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。グラナダTV (Granada Television) のあるスタッフは、ビートルズについてファンから多くの手紙を受け取った後、盛り上がりを見せるその現象を調査することにした。マンチェスターを拠点とするグラナダTVのプロデューサーは、
‡1962(昭和37)年07月26日(木)にサウスポート (Southport) のケンブリッジ・ホール (Cambridge Hall) で彼らの演奏を初めて見た。そしてグラナダTVのディック・フォンティーン (Dick Fontaine) は事前にライトニングの条件のチェックするため、
 1962(昭和37)年08月01日(水)にキャバーンを訪れていた。
 写真◆リハーサルの風景
①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610726_live_cavern_evening.html
②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620726_live_Cambridge.html
③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620822_live_Cavern.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  July 26|207
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|7月26日|
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─――――┘
 http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17075
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/007/0726.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
 ┏━━━━━━━━━━━━┓ BBC's radio
 ┃ 『EVERETT IS HERE』  ┃ 1969/7/24(thu)   rec.
 ┗━━━━━━━━━━━━┛‡1969/7/26(sat) trans. broadcast
                George And Paul Talks with Kenny Everett 
 https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
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 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1961 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡(wed)26? July 1961 The Cavern 10 Mathew Street Liverpool
 Photographer: (photo 1) Bob Dean
 This date is speculative. I have seen it referenced as 
‡26 July. Photo 1 was featured in the 17 - 31 August 1961 issue of Mersey Beat (seen below). Assuming that the newspaper was actually issued a few days before the issue date and was type-set and printed a few days prior to that. it can be assumed this is from late July (possibly early August). I'm not certain that photo 2 is the same date as photo 1. I'm merely making an assumption based, primarily, on John's hair and George's denim jeans.
 http://www.beatlesource.com/savage/1961/61.07.26%20cavern/61.07.26cavern.html
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 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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 No.27 (mon)22 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (1)
 No.28 (tue)23 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (2)
 No.29 (wed)24 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (3)
 No.30 (thu)25 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (4)
‡No.31 (fri)26 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (5)
 No.32 (sat)27 July 1963 Weston-super-Mare, England, Odeon Theatre (6)THE END. Odeon Theatre
  The Beatles 1963 Weston Super Mare Odeon Programme (UK) £150.00
  An concert  programme with orange tinted cover produced specifically for The Beatles’ residency at the Odeon Theatre, Bournemouth that took place between 22nd and 27th July 1963. The programme measures 20cm x 26.5cm (8 inches x 10.5 inches). A fan has written the set lists on the first page and there are two small scuffs on the front cover. The condition is very good.
  https://www.tracks.co.uk/product/b25116-beatles-1963-weston-super-mare-odeon-programme-uk/
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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 ┃ THE BEATLES' 1964 world tour“Europe Part.2” ┃
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‡No.25 4 (sun)26 July  1964  Blackpool City, England, Blackpool Opera House
  01.♪Twist and Shout♪
  02.♪I Want To Hold Your Hand♪
  03.♪I Saw Her Standing There♪
  04.♪You Can't Do That♪
  05.♪All My Loving♪
  06.♪I Wanna Be Your Man♪
  07.♪She Loves You♪
  08.♪Till There Was You♪
  09.♪Roll Over Beethoven♪
  10.♪Can't Buy Me Love♪
  11.♪This Boy♪
  12.♪Long Tall Sally♪
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1964_world_tour
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 ┃ 『PARTY AT THE PALACE  クイーン・エリザベス二世即位50周年記念コンサート』 ┃
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① 2002(平成14)年6月 3日(月) バッキンガム宮殿 エリザベス女王即位50周年記念コンサート
② 2002(平成14)年7月26日(金) EMIミュージック・ジャパン
①https://en.wikipedia.org/wiki/Party_at_the_Palace ②https://www.amazon.co.jp/dp/B00006AM8Y

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓ Recorded 1963/6/26(wed) both sides
 ┃ A-side    ♪BAD TO ME♪  ┃‡Released 1963/7/26(fri) U.K, (Parlophone R 5049)
 ┃ B-side ♪I CALL YOUR NAME♪ ┃ Released 1964/9/23(wed) U.S, (Liberty 55626)
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 B4映像◆&音源◆The Beatles ♪BAD TO ME♪ full song RARE  https://youtu.be/S4SLjGizQUM
 音源◆Billy J Kramer & The Dakotas ♪BAD TO ME♪https://youtu.be/2CMX0mCFYJ4
 映像◆Billy J Kramer and The Dakotas ♪I CALL YOUR NAME♪
 (wed)Nov 11, 1964『SHINDIG!』https://youtu.be/Nc9w6OryY_I
 音源◆Billy J Kramer & The Dakotas I Call Your Name  https://youtu.be/bSHy-IBoByY
 https://en.wikipedia.org/wiki/Bad_to_Me
 https://en.wikipedia.org/wiki/I_Call_Your_Name
 https://beatlesdata.info/15/11_icallyourname.html

 聖地 CAVERN CLUB 公式商品、新作を限定販売!
‡2018(平成30)年7月26日(木) ポールがリバプールのキャバーン・クラブでサプライズ・ギグを行いました。キャバーン・クラブで演奏したのは、かつてこのクラブで演奏した楽曲から最新ソロ・アルバムまで全28曲を演奏しています。ポールは当日、観客に「ここに戻って来れて最高だ」「想像してみてよ。昔、俺らがキャバーンでプレイしたとき、俺らに未来があるかどうかわからなかった。だが、俺たちは大丈夫だった」と語っています。
 キャヴァンクラブでの先日のポールシークレットライブについて、情報が届きました!
 ポールはサウンドチェックに1時間15分かけて、その際には本編では弾かなかったTemporary secretary や Listen to what the man saidをやっていやようです。現場にいたスタッフから、興奮が文章からも伝わってきました。
 https://britishrock.pgs.ne.jp/?gclid=EAIaIQobChMIiL7IwoX63QIVWQ0qCh39LAgDEAEYASAAEgJzrPD_BwE
 Paul McCartney returns to legendary Cavern Club for surprise gig
◆映像◆https://youtu.be/Dt4xj9TUQzI
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 ┃ ビジネス特集 65年でどう進化?ビジネス・ファーストの旅 ┃
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 2019(令和元)年07月26日(金) 16時55分
 1966年、羽田空港に降り立った「ビートルズ」が着ていた「はっぴ」。実は、旅客機のファーストクラスのサービスと関係があったこと、知っていましたか?その根底に流れるのは「日本のおもてなしの心」。あれから半世紀余り。ビジネス・ファーストクラスは大きな変化を遂げています。(経済部記者 木下健)
 ◎全席ファーストクラスから ⇒ ビジネスやファーストクラスの歴史をひもとくと、65年前にさかのぼります。日本航空は、1954年に東京(羽田空港)-サンフランシスコ線に定期便を就航。当初、国際線は、座席すべてがファーストクラスでした。当時は留学や仕事などの目的を持つ人にしかパスポートは支給されず、観光目的での海外旅行は認められていませんでした。サンフランシスコまでの運賃は片道650ドル、1ドル=360円だったことから日本円で23万4000円。当時の大卒初任給がおよそ1万円。とても高額なフライトだったことがわかります。機体もまだ小さく、第1便の乗客はわずか21人でした。
 ◎はっぴに着物、日本らしさを追求 ⇒ ファーストクラスでは一風変わったサービスも行われていました。それが、冒頭でも紹介した「はっぴ」です。
 ビートルズのメンバーが着ていたのは、「ハッピーコート」と言われるもので、1960年代にファーストクラスを利用していた乗客に機内のリラックスウェアとして提供されていたものです。背中には「寿」の文字があしらわれ、襟の部分には「日航」と「JAL」の文字がデザインされていました。
 1970年には、ジャンボジェット機を導入。座席数が大幅に増え、他の航空会社との間で顧客の争奪戦が起こります。ナショナルフラッグとして、ファーストクラスでは日本らしさを前面にアピールします。ファーストクラスの前方の壁には、戦後を代表する日本画家、加山又造の巨大な日本画が描かれ、客室乗務員は着物でサービスを行っていました。日本では、大阪万博が開催されていて、訪れる要人に日本らしさを機内から感じてほしいという思いからでした。
 ◎快適性を追求 進化する座席
 1985年のプラザ合意で急激な円高が進むと、バブル景気も後押しして、海外旅行が一般化。ビジネスクラスでの海外出張も盛んになります。
 1986年から国際線に参入した全日空は、こうした需要を取り込もうと、成田ーロサンゼルス線にビジネスクラスを導入しました。最初はエコノミーの座席が大きくなっただけのものでしたが、その後、快適性を追求して座席は進化していきます。長距離や直行便が増えたことで、機内で少しでも眠りたいという要望が多く寄せられます。2002年には、座席が完全に水平とはいかないものの、座面が平らになる「ライフラットシート」が登場。そして、2010年。ライフラットでは角度があるためやっぱり寝にくい!という声に応えて、完全に水平になるフルフラットシートが登場。機内でいかに快適に過ごせるかがポイントになっていきます。
 ◎最新の機体 日本らしさを ⇒ この7月。9年ぶりにビジネスやファーストクラスのデザインを一新しました。公開された新しいデザインでまず目を引いたのが、木の存在感です。建築家の隈研吾さんがデザインの監修を行っていて、機内は座席に木目調のパネルを使い日本らしさが感じられるつくりになっています。ビジネスクラスは全席にドアが付いて個室にすることができるようになります。そして、シートの幅はこれまでの2倍となり、座席を水平に倒すと寝返りを打つこともできます。
 写真◆全日空 平子裕志社長「洗練さと日本の美を兼ね備えて最上級のくつろぎ空間を実現した。『見る、食べる、寝る』だけでなく、大切な時間を有効に活用できるように最大限工夫した」
 新しいシートは羽田とロンドンを結ぶ路線に導入され、今後、ビジネス需要の高いニューヨーク線などにも導入していくとしています。
 ◎ビジネス・ファーストは会社の顔 ⇒ ビジネスやファーストクラスには、海外の航空会社も力を入れています。例えば、中東のエティハド航空は、ベッドのほか、トイレ、シャワーなどがあり、まるでマンションの1室のように広いファーストクラスを導入。カタール航空はビジネスクラスに、席の仕切りを取るとダブルベッドにもなる座席を2年前に取り入れました。
 写真◆カタール航空のビジネスクラス
 なぜ各社は、座席数の少ない上位クラスの座席に力を入れるのでしょうか。まず、収益性が高いことがあります。ビジネスマンや富裕層を中心に、機内で快適に過ごしたいという需要があり、そうした利用客を取り込もうと、より快適な空間をアピールしようとしているのです。そして何よりも会社の「ブランド」のためでもあります。ビジネスやファーストクラスは、その会社の「顔」とも言える存在で、会社のステータスを示すためにも欠かせない存在なのです。
「日本のおもてなしの心」でどうライバルに対抗していくのか。これからのビジネス・ファーストクラスの進化に注目したいと思います。
 経済部記者 木下健 ⇒ 平成20年入局 さいたま局、 山口局岩国報道室などを経て 現在 国土交通省を担当
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190726/k10012009461000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001