親愛なる寿虎さん♡
使われている言葉とか表現が
じぶんの中にあるものと似ているところがあって
スッとカラダに入ってくる、
たぶん同年代の素敵な女性です。
ブログでは
引き寄せの法則の下準備として
「吐き出しの法則」を提唱されています。
それで
きのうの寿虎さんのブログ内容が
あらら???
わたしのブログを見てくれているのかしら……?
とおもえるほどに
今とシンクロする内容だったので、
寿虎さんの「罪悪感チェック」を通して
あらためて「ある日の夫。」一連の事件を
ふり返ってみることにしました。
(o´∀`o)v
↓↓↓
*~*~*~*~*~*~*~*~
(「罪悪感チェック」の例題を読んで)
わたしがもし、店員さんの立場だったら…
ちょっと申し訳ないな、と感じてしまいます。
じぶん責められるかも、とおもってしまいます。
(アタマでは悪いことをしていない、と分かってはいても、こちらが悪いと感じてしまう)
ということは、
はい、罪悪感あります。
\(o´∀`o)
けれども
お客である社長さんの立場だったら
まあ仕方ないな、です。
店側を責めるなんて少しも浮かびません。
じぶんを責めることもしません。
よってこの場合は、
まったく罪悪感ありません。
v(。・ω・。)
ということは。
♥-(´ε`● )
【考察】
~「罪悪感チェック」でわかった、じぶんのこと~
じぶんが悪いとかミスした!というときは
すんなり受け入れられるし、スルーできる。
責められている感じも、しない。
誰か(のミス)何か(の規則)が原因のときは
じぶんが疑われるかも、責められるかもという不安がよぎる。
さらに
不安を拭おうとして、誰かや何かを攻撃するような気持ちが出てくる。
つまり
↓↓↓
夫が酒の適正量を超えて摂取し
駅で狂暴化、他人を巻き込み迷惑行為
(約束を破って酒に呑まれるという夫の過ちが原因で)
わたし、隣にいる者として、
酔った人への付き添い義務があるかも…
(放置したら責められるかも)
妻として、
酔った夫への責任があるかも…
(万が一大事になり、妻として呼び出されることになったら怖い)
夫を注意しまくって
わたしがイヤな奴みたいになってるけど
わたしのほうが被害者なんだよ…!
(疑われているかも)
夫がこうなっているのはわたしのせい!?
もう辛い。この場から放れたい。
わたしは悪くないよね!?
(不安を拭おうとして、)
だから分かってよ。この気持ち。
夫よ、もういい加減にしてよ。
⇒グーでダン!
(誰かを攻撃するような気持ち)
*~*~*~*~*~*~*~*~
まず、
一連の事件で
ハッキリしたことがあります
それは
わたし自身のなかに
誰か何かのことで
自分が責められるかも
という思い込み
があったことです。
(´_ゝ`)クッククク・・
だから
酒に酔った夫のことで
妻である自分が責められるかも。
という考えになってしまった。
だから夫に
「ふざけるあなたに本気で怒っているの。分かってよ!」
じぶんは悪くない・相手が悪いことの証明として
攻撃のまね事、という幼稚な行動をとった。
(*゚ー゚)ゞ
実際に夫の過ちであることに変わりはないのですよ。
(酔っていないときに、アルコール摂取量を制御する、という理性を夫が働かせなかったのは事実)
ただわたしの中に、
「じぶんが悪いのかも」という必要以上な不安があって
それを打ち消すために
反対の行動(=わたしは悪くない!)を取ったということ。
「ある日の夫。」
①「……そんなに、重いことなの?」
②_「逃げ出してしまいたい!」事件の発端。
③気づいてしまった本当のトリガー
④_責任感。罪悪感に恐怖。
じぶんのミスや過ちでは別に
何ともおもいませんし
「仕方ない」で済ませることがフツーにできるんですよ。
ただ。
じぶんじゃない誰かや何かのことで
じぶんが責められる(かもしれない)こと
これに対しては
「うわっ…わたし疑われるのかも…」
「責められるのかも…」
という、じぶんへの罪悪感を感じる。
そして
「わたしが悪いっていうの???」
「わたしは悪くない!それを証明したい!せねば!」
という怒りや憤りも、ありました。
過去にも
誰か何かのことで
自分が責められるかも。
とおもうようなことがありましたよ。
(´∀`)
新入社員のころ、
最初に配属された職場で
大きな濡れ衣をかぶることになったのです。
(わたしが配属される前より先輩が積み上げてきた大赤字の一切をわたしへ責任転嫁)
長い間、
先輩の当時の過ちを赦すことはできませんでした。
(今はそれも人の弱さだとして認め、ゆるしています)
それよりも前に
濡れ衣を着せられるような体験があったかは
定かではありませんが、
その事件はわたしにとって
とっても大きくて、
重く、苦しい事件でした。
ですから、
もう二度と
誰か何かのことで
自分が責められるかも。
とおもうような出来事とは縁を切るために
このようにおもうことにしました。
「わたしはもう、
誰かや何かのために
ビクビクしたり
不安になる必要はないんだよ」
誰かは誰か。何かは何か。
わたしはわたし。
なのだから。
いつだって
じぶんが責任を取れる範囲に対して自信を持っていればいい。
ただ堂々として、安心していればいい。
そうしたら
心を見失うことなんて
一つもないのですからね。
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