居酒屋歩さんではいつも時間がゆっくり流れていた。いつもマイペースで、自分の時間を過ごすことができた。職場の飲み会が終わり、多少気疲れした後には必ず歩さんのところに寄った。

 

 プロのミュージシャンと話す機会なんて、滅多にあるものではない。多分、相当に高揚していただろう。酒の勢いもあったのだろう。気がつくと「ジャズを中学生に聴かせてみませんか?」と言ってしまっていた。

 私の唐突な申し出を「いいね、楽しそうですね。」と椎名さんはびっくりするくらいあっさりと受け入れてくれた。連絡先を教えあって、私はその場を立ち去った。

 

 それから数ヶ月がたったある日の夕方、職場に電話がかかってきた。「おぼえていらっしゃいますか?東京のえーと、ピアノの椎名です。以前コンサートに来ていただいて……」 もちろんよく覚えていた。びっくりした。酒の入った、よた話に近かったかもしれない私の申し出を覚えているだけでなく、本当に約束を果たそうとしているのだ、この人は!純粋に感動した。電話の内容は、今年も釧路でコンサートを行うこと、その時に中学生にジャズを聞かせてみたいということであった。電話を切ってすぐ、私は吹奏楽部の担当教師のところに向かった。