『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』☆☆☆

フェアリー日本橋にサイリューム振っとった夢見て目覚めた今朝は8時に起き、朝食にレンジ加熱した鹿児島産安納芋3個。デザートは静岡産みかん2個。

風呂に30分浸り考えとった。今こそグローバル企業と富裕層への課税と税金の使われ方を見直す時期や。再配分は公正でなけれ
ばならん。

{今日は7時間歩くぞ}とまだ新しいスニーカー履き虎ノ門2丁目タワーへ歩いて行き、ロビーで牧山 純子(バイオリン)、進藤 陽悟(ピアノ)が演奏するジャズを聴いた。
遅い昼食に目星付けて行った店三軒共満席で、それではと向かったのが旧新橋停車場の「銀座ライオン汐留店」で、石焼きあんかけごはん1058円と昨日三食今朝と芋食うて節約したし旨いビール出す店に入ったんだからと自らに云い聞かせランチビール350円も注文。ここはゆったり食うてられるのがええねん。
映画観に行くべく新宿へ歩いていると虎ノ門で右足指が痛くなったんや。初めて履いたんやないのに新しいスニーカーが合わんらしく、紐を緩め再び歩き出したがまた同じ指が痛み、堪らず溜池山王で電車移動にした。
帰宅し靴下脱ぐと、右中指と薬指が死んどった。


心洗われる台湾映画を観て来た。
『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』で、監督はマー・ジーシアンちゅう人。
3時間5分の長さ感じへんでえ。血湧き肉踊るちゅう物語で、しかも素直に泣けたわ。
台湾ちゅうたら、311大震災の際には多大なる支援を頂いた方々の居る国やが、台湾が日本の一部となっとった時代を知らぬ人も多くなっとるやろ。
この作品は、その日本統治下の1931年に台湾代表として甲子園に出場し、見事準優勝まで果した台南州立嘉義農林学校野球部の実話を基に描いとるスポーツ根性もんや。
ワテは嘉義農林が甲子園で駒を進めて行き、中京商との決勝戦戦うたちゅう予備知識は持っとった。
しかしながら、まさかそれ迄嘉義での試合さえも勝つ喜びを知らぬチームやったとはなあ。
それが、愛媛県松山商業で監督をしとった近藤の就任により弱気な部員は鍛え上げられ成長し強くなってゆくんやが、それは団結する姿になって表れる。
その団結し向かって進む目的が大事やねん。甲子園で優勝や。日本帝國の完成とちゃいまっせ。
永瀬正敏が演じとる野球部監督と球児たちの奮闘が涙誘うんや。
高砂族と呼ばれとった台湾原住民も漢人も分け隔てなく接し指導した近藤兵太郎監督の誠実な人柄に心打たれたが、部員の長所を見極めた采配が効を成すんや。
そして、近藤が部員達の心に諦めぬ力を養うた事で、勝ちに無縁やったチームが甲子園出場を果たし、しかも準優勝ちゅう結果もたらすんや。
近藤の恩師の言葉「負けを恐れんじゃない、勝つ方法だけを考えるんだ」には、励まされる思いがした。
改めて指導者はほんまに大事や思うた。
差別的な日本人が出て来よるところでは恥ずかしゅうなったけど、烏山頭ダム建設し治水事業に大きく貢献した技師八田與一が出て来たのも嬉しかったかな。
ワテは台湾のインフラ整備の為に尽くした八田與一の事をテレビで知ったが、テレビ局は矮小な輩を登場させる事減らし、繰り返し彼の如き偉い人物を若人に紹介すべきやでえ。
それにしても、この映画の上映館が少ないのが不思議ですわ。
野球が好きな方だけやなく、台湾に関心持っとる方には上映館調べて行って欲しいわ。
そうそう、心が歪んどると自覚ある人以外の方は大きめのハンカチ持参した方がええでえ。