梁塵秘抄とBABYMETAL(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ

本日5月7日は、2016年、米国・フィラデルフィア@Electric Factory公演が行われた日DEATH。

 

『梁塵秘抄口伝集』によれば、後白河法皇が、伝説の歌姫「乙前」を招き、師弟の契りを交わしたのは、保元の乱が収まった1158年、後白河31歳、乙前74歳のときだった。

乙前は、美濃国青墓宿(岐阜県大垣市)を拠点としていた女傀儡子「目井(めい)」の養女として、12,3歳の頃から今様を学び、その美しい歌声と、おそらくは美貌で一世を風靡したが、比較的早めに現役を引退した後は、弟子をとることもなく、京の五条あたりでひっそりと暮らしていたという。

後白河は、長い間、乙前の歌を聴いてみたいと思っていたが、保元の乱で共に戦った盟友信西入道が、たまたま乙前の子を召し抱えていた縁から、伝説の歌姫の居所を突き止め、召し出した。

乙前は、「引退して久しく、もう忘れてしまいましたし、年をとって見苦しいので」と何度も断ったが、時の権力者である後白河からの熱烈なラブコールに屈し、御所にやって来た。

乙前の歌い方は、同じように有名だった「阿古丸」という歌手とはかなり違ったが、後白河は、乙前こそ正調の今様の伝承者であると認め、死ぬまで師匠として遇したという。

『今様伝授系譜』によれば、乙前の芸の系譜は次のようになる。

小三→なびき→四三→目井→乙前→後白河

乙前の師匠(兼養母)の目井は、西行の外祖父に当たる監物(大蔵大臣兼内大臣)源清経に囲われており、彼が危篤に陥った時、薬師如来を賛嘆する今様(『梁塵秘抄』仏歌編に収録)を歌って、その命を救ったというほどの名歌手だった。その源清経が美濃に下向した折に、目井が当時13歳の乙前を紹介した。その歌を聴いた源清経が乙前の才能を見込み、その場で目井の後継者に指名した。天才少女だったわけだ。

目井自身も師匠(兼養母)の四三という歌手に育てられた。

四三には目井のほか数名の弟子がいた。その中の「わか」という弟子の弟子が、後白河が『口伝集』で乙前と比べた阿古丸(さはのあこまる)であり、四三→目井→乙前という系譜と、四三→わか→阿古丸という系譜があったことがわかる。

四三の母(兼師匠)もまた、「なびき」という歌手で、さらにその母(兼師匠)が「小三」というやはり有名な歌手だった。

彼女たちは、まとまって美濃の青墓というところに住んでいたらしい。合宿所兼アクターズスクールみたいなものがあったわけだ。

乙前―目井―四三には血のつながりはないが、乙前がそうだったように、12,3歳ころから師匠兼養母に厳しく芸を仕込まれるのだろう。

目井は政府高官である源清経の愛人だったから一概には言えないが、こうしたことから、少なくとも平安時代の「遊女」は単なる売春婦などではなく、女性芸能人だったことがはっきりとわかる。

現代の「アイドル」も、地方出身者は東京の事務所が用意した合宿所で生活することが多い。

12,3歳と言えば、PerfumeがASHで、SU-、YUI、MOAがさくら学院で、MIKIKO師の指導を受け始めた年齢である。平安時代の昔から、名人と呼ばれるほどの歌手・芸能人を志すには、12,3歳から師匠について訓練をスタートしなければならないのである。

師匠について今様を学び、一定の芸域に達すると、師匠に連れられて都の貴族の宴会などに行き、デビューする。その才能が評価されれば、いろいろなところからお呼びがかかる。

乙前に関しては、デビュー前に目井を囲っていた今様のディレッタントである源清経のお墨付きをもらったわけだ。

乙前のように美しい歌声と歌唱技術(とおそらく美貌)によって有名になり、後白河が伝説の歌姫として恋い焦がれるほどの存在になる歌手もいるが、絶頂期を過ぎると引退して後進を育て、マネージャーになる。それが芸の系譜になるわけだ。乙前が弟子を取らなかったのは、信西入道に召し抱えられたという子どもがいたからだろう。

要するに、平安時代にはテレビやラジオこそなかったが、『梁塵秘抄』に収録された今様の歌い手は、当時、貴族社会でもてはやされたアイドル歌手だったのだ。

『口伝』に出てくる阿古丸という歌手も、乙前とは違う系譜のアイドル歌手のひとりだったが、後白河には74歳になっていた乙前の歌い方の方が優れていると感じたのだろう。それほど乙前の歌唱力はすごかったということですね。

ちなみにNHK大河ドラマ「平清盛」では、松田翔太演じる後白河法皇の愛人である白拍子の祇園女御が青墓出身の乙前であるという設定だった。年齢が全然違うので事実とは異なるが、乙前をかつてのアイドル歌手松田聖子が演じたのは、ドンピシャのキャスティングといえる。

熱狂的な今様ファンの後白河にとって、何より残念に思えたのが、それほど素晴らしい歌手がいて楽曲があるのに、平安時代には録音技術はおろか、楽譜すらなく、それを残すすべがないということだった。音楽は時間芸術である。素晴らしい歌唱、楽曲の音は、空気を震わせ、その場にいる人の心を揺り動かすが、演奏されたあとには消えてしまい、何も残らない。

また「遊女」という存在も、後白河にとっては、編戸に属さぬ最底辺の卑しい身分でありながら、洗練された和歌の言葉遣いとは真逆に、リアリティにあふれる卑近な言葉で喜怒哀楽を歌い上げ、人の心を動かすアルチザンであった。

後白河は、法皇という権力者の立場を離れ、何とかそれを後世に残そうと考えた。

「梁塵秘抄と名づくる事。虞公韓娥(ぐこうかんが)といいけり。声好く妙にして、他人の声及ばざりけり。聴く者賞で感じて涙おさへぬばかりなり。謡いかける声の響きに、梁の塵起ちて三日居ざりければ、梁の塵の秘抄とはいふなるべしと云々。」(『梁塵秘抄』巻第一)

虞公と韓娥という古代中国の美声歌手が歌う時、その家の梁の上の塵が、妙なる歌声に感応して舞い上がって落ちてこなかったという故事に由来して、名づけたという。

後白河法皇には、遊女=平安時代のアイドル歌手の歌う今様が、故事を体現していると感じられるほど、心を動かすものだったのだ。この素晴らしさをなんとか後世に残したい。感動を伝えたい。俺にできることは何か。そのオタク的情熱が彼を突き動かし『梁塵秘抄』として、ぼくらの今に伝わっている。

(つづく)

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