フォロワーの皆さんサワディーカップ。
ジェイ(^ ^)です。
タイブロガー、俺さんのノーハンド・レストランギャラクシーの話に少し昔の私を書きたくなりました。
※俺さんへ…こちらこそタイミングが合えば、ぜひご一緒しましょう。
30代前半の私はシーロムでの定宿に、火災になる前の旧マンダリンホテルを良く利用していました。
日本人客も全くいなくて、繁華街から少し離れており静かで良かったんです。また3連泊以上すると宿泊料金も安くなったので。
当時のタイは女性観光客などほとんどおらず、居てもファランの夫婦又はカップルぐらいでした。
居るのは、駐在員や出張族、そして遊び目的だけの不良外国人でしょう。そう言えば…、スケベ親父の集まり農協の団体旅行者達がいました。
この農協の団体旅行者、実はアジア各地で遊びの料金を上げていたのでひんしゅくモノでしたね。台湾やタイの遊び価格があがったのは、農協の団体旅行者が現地価格が分からず遊んだからと言う説もあるぐらい。
当時の日本は今と違い裕福でした。
マンダリンホテルのリムジンも土地勘のないファランカップルを騙し、パッポンまで100バーツで行くよ!何て言ってました。
パッポンやタニヤで遊び、ホテルへ帰るのに私はよく、モンティエンホテルを抜けてラマ4世通りに出る通路口を利用してホテルまで徒歩で帰っていました。
その近くにノーハンドレストラン・ギャラクシーが有ります。
※また旧ボーイズタウンのソイ・トワイライトを抜ける道もありますが、そこは昼間限定です。(笑)
当時ギャラクシーは一人では、行きづらい店だったと思います。余り私好みの女の子も居なかった印象がある。
駐在員の方は接待で、ノーハンドレストランからタニヤなんてパターンは多かったのかも知れませんね。タイ初心者には、うってつけの店かも?日本にはないサービスです。
又、私が宿泊していたマンダリンホテル周辺は、今は壊滅状態ですが…床屋で、一発出来る店がたくさんありました。
当時の私なら、ノーハンドレストランでお持ち帰りするのなら、理髪店で遊べと言っていたかも知れませんね。
ゴーゴーバーは、パッポンの全盛期。
ソイ・カウボーイは、お化け屋敷といわれ…、それを田舎娘の登竜門などと宣伝した店もありました。(笑)
また反社会団体の幹部がよく遊んでいた記憶がある。ジェイも反社会団体幹部と思われる方にソイカのタイ飯屋で何回かご馳走になった事もあった。
ナナプラザ前、ナナホテル周辺にも、かなりの立ちんぼがいた。ホテルのロビーにも宿泊客を待ち伏せしている、プロも山ほど。
チェックインからの色目使いにはビックリしたものだ。