どんどん行きます(今更~)、2016年、アドベンチャーの旅のリポート
ノースカロライナ州は大西洋に面した、Kill Devil Hills(キル・デヴィル・ヒルズ)にあるWright Brothers National Memorial(ライト兄弟 国立記念公園)、そうです、世界初、エンジンを使った動力飛行を成し遂げ、世界を変えたと言っても過言では無い、ライト兄弟がテストフライト実験を重ねた歴史ある場所
兄のWilbur(ウィルバー)は物静かで本を読むのが好きな青年だった。Orville(オルビル)はウィルバーの4歳年下で、おしゃべり好きで人懐っこい性格だった。2人共大変頭が良く、メカニックにとても興味があり、長けていた。
彼らは1892年、オハイオ州はデイトンにて彼らは小さな自転車ビジネスを始めたが、1896年、パラグライダーの操縦者が死亡した事故と、Samuel Langley(サミュエル・ラングレイ)が操縦者なしの飛行を試みたが失敗に終わったこと、この2つの出来事が彼らの夢の実現を後押しする大きなきっかけになる。
1899年、ウィルバーはスミソニアン宛に手紙を書き、今現在までに起こった飛行試行の経緯を知り、自分には飛行機を飛ばす可能性があることを確信する。
兄の熱意に魅せられ、弟のオルビルも加わり、研究が進められていく。彼らは向こう4年以内に人の手で飛行を可能にする確信を得る。
そして...
「1903年飛んだ




12秒で120フィート(36.5メートル)だけで、彼らの飛行機の長さよりも短かい距離だったが、空気よりも重たいマシーンが、自らの力で大地を離れ、スピードを失うこと無く、出発地点よりも高い着陸地点へ降り立った。彼らの孫の代には、人々は飛行機を使って旅行が出来るようになるだろう、そして月を歩く人も見ることが出来るだろう」
2回目の動力飛行では12秒で175フィート(53.3メートル)、3回目は15秒で200フィート(61メートル)、4回目は59秒で852フィート(260メートル)の飛行に成功
その後、彼らは資金繰りと今後の発展を望み、アメリカ軍に協力要請するが、ライト兄弟の今までの成果を盗まれまいと、その旨の契約書の申請を要請するもの、軍はライト兄弟以前の失敗談を知っており、彼らを信じず、全く相手にしなかった。
契約成立までの3年間、ライト兄弟は飛行をすることが出来なくなってしまった。
その頃、フランスでも同様の試みと研究が進められていた。そのことを知り、ウィルバーは海を渡りフランスへ。しかし、ライト兄弟とは雲泥の差の飛行技術にフランス側が度肝を抜かし、すぐさま協力を要請、そして遂にアメリカ軍も1908年、契約書を交わし、資金繰りを得て1910年以降、多くの人々が研究に参加し、高度な技術を学び始めた。
現在、私たちが飛行機を使って世界中を飛び回れるのも、正に、今私がアメリカの地に居られるのも、この2人のたゆみない発明と努力があったからでしょう
そう考えると、原点であった歴史の重みを感じずにはいられませんね
ありがとう、ライト兄弟
次回からのブログは"フロリダ祭り"(=フロリダ州の事をいろいろ書くという意味ね)に入ります







