ジャスミン愛してる | ジャスミンと一緒に

ジャスミンと一緒に

保護犬ジャスミンとの日々、
癌治療のこと、
大好きなドラマのこと、
思ったことなど。

 

 

ジャスミンが 2019年4月6日(土)20時50分 に息を引き取りました。

最期の1時間半はかなり苦しみ、癲癇の発作も何度も起こしました。

見ているのは辛かったけど、ジャスミンの隣で横になり、ジャスミンに覆い被さり、

両腕でジャスミンの全身を抱きしめ、絶対に目を離しませんでした。

何故なら、こういった最期を迎えることになる治療と看護方法を選んだのは私自身だから。

責任を持って目をそらさず現実をしっかりと受け止めました。

 

 

 

 

 

 

 

ジャスミンがいなくなって、日々の心配事が100個くらい減ったものの

彼女のいない世界がこんなにも色褪せていたのか...ということに毎日打ちのめされています。

 

 

 

ジャスミンの看護は2017年11月から約1年半。

 

 

この間、私自身が2度目の癌に罹患するということもありました。

1度目の癌罹患時はまだジャスミンと出会っていなかったので、

生まれてきたことを呪うほどキツく苦しい抗がん剤の標準治療を受けました。

けれども2度目は標準治療をするとジャスミンと一緒にいられなくなるため

抗がん剤の服薬+放射線という治療の選択をしました。現在も服薬中です。

そのおかげでジャスミンをしっかり看護することが出来ました。

 

 

 

 

当初、ジャスミンは僧帽弁閉鎖不全症から肺水腫を発症し、

その治療過程で元々数値が不安定だった腎臓を悪くし、その看護過程で膵炎を発症したり。

循環器専門の担当医が心臓の状態を見極めながら毎日の点滴の量を決めていたのですが

心臓の方が不安定で、レンタルしていた酸素室の中でも酸欠失神を起こしてバタバタ倒れていました。

 

 

徐々に点滴の量が減り、これが一番安定するという量が決まった頃には

ジャスミンが激しく点滴を拒否するようになり、

その拒む様子はジャスミンがジャスミンじゃないような尋常ではない様相で。

私はここで点滴をやめることを決心しました。

寿命が縮まるとしても、彼女が嫌がることは出来るだけしたくなかったのです。

 

 

ジャスミンは点滴をやめると、より一層心臓の状態が良くなり、

散歩にも行けるほど元気を取り戻しました。

とは言え、少しでも興奮すると酸欠失神で倒れたり、咳が止まらなくなったり。

外では酸素スプレー、家ではレンタルの酸素マシンが欠かせないなど

気が休まることはありませんでした。

気圧などの影響で咳が一晩中止まらないことなども度々あり、

これは経験者なら皆さん同じかと思いますが、本当にツラかったです。

 

 

ジャスミンには薬のアレルギーがあり、咳止め(ベトルファール)もその中の1つでした。

そこで担当医が提案してきたのは、咳中枢にも作用するのでは...と

ここ数年、学会でも発表されている吐き気止め(セレニア)の投薬でした。

これが功を奏し、ジャスミンの咳は大きく改善されました。

 

 

そんな日々を送る中でも、点滴をしていないので腎臓は悪化するばかりなわけで、

2018年10月頃からは下痢を繰り返し食欲が落ち、

担当医からは腎臓の数値から考えてももう長くない...と言われました。

でも、下痢が少しでも止まれば...と処方されたフラジールを飲み出すと、その時期の弱り具合が一変。

散歩も抱かれて外に出るのが精一杯だったのに、

外に出ると「歩かせてよー」と言うくらい(...と言ってもヨボヨボ歩き)元気になりました。

 

 

 

 

 

 

すごい生命力を見せつけられました。

この間、目の病気もあって失明してしまい、基本誘導が必要にもなりましたが、

ヨチヨチ、ヨボヨボ、ボヨヨーン...と老犬の可愛さを炸裂。何度も私の心をポカポカさせてくれました。

 

 

 

 

急変したのは3月31日の夜でした。

とにかく肺水腫だけには二度とさせたくない...という私が決めた腎臓よりも心臓優先の治療法。

腎不全の先にあるのは、多臓器不全。

これがどれほど苦しく痛みの伴うものなのか、担当医ともずっと話し合い理解していました。

人間であれば「持続的鎮静」という治療に切り替えるタイミング、

でも犬には安楽死しかありません。

 

 

4月1日、これがもしかしたら最後かも...と思いながら担当医を訪ね、

この後に出来ることを話し合いました。

入院はさせない、最期は絶対にいつものベッドの上で...という私の信念を知っている担当医は

家での静脈への点滴を提案してくれましたが、私は拒否しました。

ごめんね、ジャスミン。

 

 

 

 

 

看護が始まって以来

「いろいろ頑張らなくていいからね。でもお薬だけは頑張ろうね」

「お姉ちゃんも抗がん剤頑張って飲んでるからね。じゃっこもお薬だけは頑張って飲んでね」

この約束だけはしっかり守ってくれたジャスミンですが、

4月4日からはお薬も飲み込めなくなり、私はここで投薬もやめました。

 

 

最後の日、特に夕方からは、もうほとんど自分では動けないのだけど、

私がそばを離れるととても焦る様子を見せ始め、終わりが近いことを予感しました。

苦しみ出してからはずっと抱きしめながら心音を確認しつつ、

楽な死なせ方が出来なくてごめんねと謝りました。

 

 

 

 

私はジャスミンを溺愛しました。

 

保護犬ということもあり、余生はとにかく幸せなものにしてあげようと大切にしました。

毎年のイチゴ狩り、桃狩り、成田ゆめ牧場、マザー牧場、ひたちなか海浜公園、八ヶ岳、軽井沢、

横浜中華街、犬吠埼マリンパーク、逗子海岸、お台場、ホームセンターに都内各所のドッグランなど、

いろんな所に遊びに行きました。

 

ジャスミンは頭が良く独立心が強く、しつけなどせずとも問題行動を起こさない子でした。

私はとにかく会話を重視して接していましたが、それもよく理解してくれていました。

 

そして何よりも、私のことをこの上なく愛してくれました。

ありがとう、じゃっこ。

 

 

 

 

 

 

 

葬儀には、葬儀場のことなどを相談していた

漫画家で動物愛護活動家(アルマ)のかなつ久美先生が思いがけず駆け付けて下さり、

忙しい中、火葬が終わるまで私と一緒にいて下さいました。

独りでは間違いなくダメダメになっていたので、本当にありがたかったです。

 

 

 

 

 

また、ドコノコのたくさんのお友達がコメントを下さり、お花も送って下さり。

ジャスミンのことを気にかけ愛して下さったドコノコの皆さまにも心から感謝しています。

 

 

 

私はまだジャスミンを失った寂しさで魂が死にそうです。

どうしてジャスミンがいないんだろう...と思考が停止することもあります。

 

 

体のこともあり、

もう二度と愛の化身である犬を家族に迎え入れることはありません。

 

 

でも、いつか立ち直れたら、そして癌の治療が良い方向へ向かったら、

保護犬のためのボランティア活動をしたいと考えています。

 

ドコノコのお友達にも会いに行きたいと思っています。

 

 

 

 

じゃっこ愛してる。

私のことを愛してくれてありがとう。