9、大東亜戦争の目的

 

2)大戦の目的…2、満州国建国に潜む「河豚(フグ)計画」

 

ところで、日本はドイツと三国同盟を結びましたが、ドイツからの多くの亡命ユダヤ人を救いました。杉原千畝の話の他に、昭和11年の日独防共協定の際、陸相・板垣征四郎の提案により、「ユダヤ人の迫害については日本は組しない」との方針が決定されます。
 
これを受け、ドイツやソ連による迫害を逃れ、ソ満国境に避難してきていた大量のユダヤ人を満州に受け入れるため、満鉄総裁・松岡洋介と関東軍参謀長・東条英機は専用の列車を仕立てユダヤ人を受け入れ、さらに希望者3~4万人には日本経由で米国へ亡命させます。
 
また、昭和12年12月、第1回極東ユダヤ人大会で、陸軍は当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口季一郎・陸軍少将を派遣。この席で樋口はナチスドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に彼らに土地を与えよ」と激しく批判する祝辞を行いユダヤ人らの喝采を浴びます。


更に、昭和13年3月、ユダヤ人が迫害から逃れるため、ソ満国境沿いにある、シベリア鉄道オトポール駅まで避難していました。が、満州国外交部が入国の許可を渋り足止めしていたため、見かねた樋口はユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに給食と衣類・燃料の配給、

 

要救護者への加療を実施した上、膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行います。ユダヤ避難民はその後も増え続け、満州に入国した数は急増します。

 

当時、案内所主任だった松井重松は、「週一回の列車が着くたび、20人、30人のユダヤ人が押し掛け、4人の所員では手が回わらず、発券手配に忙殺された」と述べています。

 

ちなみに、樋口は昭和17年8月、札幌の第5方面軍司令官として北東太平洋作戦を担当、キスカ島撤退を指揮。終戦後の占守島、樺太における対ソ戦を指揮、占守島の戦いではソ連軍千島侵攻部隊を降伏させ、北海道への侵攻を阻止。そのためスターリンは札幌に在住していた樋口を戦犯に指名します。

 

これに対して世界ユダヤ協会は、世界中のユダヤ人コミュニティーを動かし、ユダヤ人金融家によるロビー活動を行い、樋口救出運動を展開します。この結果、マッカーサーはソ連からの引き渡し要求を拒否、樋口の身柄を保護します。

 

以上の経緯から、大東亜戦争の目的の一つに「満州でのユダヤ人居留地の確保」があったという説があります。日本人とユダヤ人の共通遺伝子YAP(-)ハプロ因子を考えると、「五族協和」にいう「五族」の真の意味など、日本人のルーツに関わる「満鮮経略」の背景をなす奥深いテーマですが、この点ついてはすでに古代史の章で述べました。


実際、満州で活躍した日産コンツェルンの創始者で、岸信介、松岡洋右と並び"長州のサンスケ"といわれた鮎川義介は、1934年に「ドイツ系ユダヤ人5万人の満州移住計画について…河豚(フグ)計画」という論文を発表、1938年の五相会議で日本政府の方針として決定されています。

 

実務面でも、大連特務機関の安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐が計画実現に向けて活躍します。犬塚は、この計画を「上手に料理すれば"美味"な高級料理になるが、一歩間違えると猛毒にあたる河豚を料理するようなもの」と評しましたが、美味とは"ユダヤ資本の獲得"でした。

 

ただ、日本の敗戦と共に満州国の理想も消え、行き場を失ったユダヤ人はパレスチナの地に建国することとなります。が、中国共産党による国家体制の崩壊が近づいたことにより、再び満州国再建の話も出ています(第二次河豚計画)。

 

参考;ユダヤ人を救った日本人…オポトール事件http://www.youtube.com/watch?v=xOLtUtHePAg 東条英機元首相に感謝するユダヤ人社会:http://www.youtube.com/watch?v=GWP4eoseFMU

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