梶田先生の基調講演、トークセッションに引き続き、「ジャパン・ビジョン・フォーラム(JVF)」設立25周年を記念しての懇親会を開催しました。

 

冒頭のご挨拶は、当会が発足した当初から発起人をお引き受け下さっているユネスコ第8代事務局長の松浦晃一郎大使に、発起人の皆様を代表してお祝辞を頂戴しました。

 

 

松浦大使には、国会議員を務める以前に私がパリに在住していた折、駐フランス大使として何かとご高配を賜わり、奥様にも大変良くして頂きました。

 

また、議員となり松浦大使がユネスコ事務局長となられてからも、パリを訪れる度にユネスコ本部に招いて下さり、国際文化交流などについて細やかにご指導を頂きました。

 

松浦大使が帰国されてからも、「一般社団法人アフリカ協会」の会長を務められていることから、私がタンザニアに教育の機会に恵まれない女子生徒のため、全寮制の中学校を建設したいのですがと相談すると、すぐその場で携帯から福田康夫元総理に連絡して下さり、そのお蔭で無事に外務省へと話がつながり、中学校建設を実現することができました。

 

 

最近では、話題の「貴乃花道場」の理事長に就任され注目を集めてらっしゃいますが、本当にエネルギッシュに世界を股にかけ人間関係を築かれている方で、パリ時代はランチミーティングなどでお会いするたび、「今日はアフリカの◯◯から朝4時に戻って、テニスでちょっと汗を流してからシャワーを浴び、ここに来ました」と、よくおっしゃっていました。

 

そうした人並み外れた努力やきめ細やかな配慮、誠実なお人柄が積み重なった結果として、ユネスコという国際機関のトップとして1999年にアジアから初めて選出され、その後は全会一致で再任されるなど、高い評価を受けました。

 

2期10年の在任中は、ユネスコの組織改革に徹底的に尽力され、縁故人事や不透明な経理が横行していた組織内の行財政改革を断行された結果、それまで放漫運営を理由にユネスコを脱退していたアメリカを2003年復帰させることも実現されました(残念ながらアメリカはパレスチナ加盟をめぐってユネスコと対立し、昨年末にまた脱退してしまいましたが…)。

 

 

松浦大使に続いては、この日はご出席が叶わなかった発起人の皆様など、御三方から頂戴したメッセージビデオを披露させて頂きました。

 

まず、当会の発起人のお一人で京都大学第22代総長の井村裕夫先生です。

 

 

井村先生は私が国会議員時代、日本の科学技術政策の司令塔であった「総合科学技術会議」のリーダーを務めておられたため、折に触れご指導をいただきました。

 

国会を離れた後も、科学技術政策を研究分野としてお茶の水女子大大学院で博士号を取得する際、井村先生は博士論文の査読者を引き受けて下さり、拙い論文の隅々まで細かく目を通し下さいました。

 

引用の記載ミスをご指摘いただいた際には、(あぁ、こんな細かいところにまで、お忙しい先生にお目通しをいただいてしまって・・・)と、緊張と申し訳なさと有り難さが綯い交ぜとなり、冷や汗でグショグショになったことを、昨日のことのように憶えています。

 

2月には党本部での「科学技術基本問題小委員会」にもご出講いただき、とりまとめ文書の策定の際も度々アドバイスを頂戴しました。

 

 

続いては建築家で、来年開催される東京オリンピックメイン会場である新国立競技場の設計者、隈研吾先生です。

 

 

隈先生とは、ニュースキャスター時代からのご縁で、もう30年以上夫婦ともどもお付き合いさせていただき、発起人も当会の設立当初からお引き受けいただいています。

 

お若い頃からいつも変わらず、穏やかで紳士的な方で、自宅の近くに先生の事務所があることもあり、世界的な建築家となられた今も、犬の散歩途中にバッタリお会いしてビックリというような、ご近所付き合いをさせて頂いています。

 

 

そして、京都大学iPS 研究所長でノーベル生理学医学賞を受賞された山中伸弥先生です。

 

 

先生には昨年、当会でもご講演をいただきましたが、党本部の委員会にも今春ご出講いただき、基礎研究の重要性とその評価のあり方について、建設的で具体的な提言を頂戴しました。

 

各先生からは異口同音に、令和という新たな時代を迎えた今、波乱が予想される世界情勢や超少子高齢化を迎えた国内状況に鑑み、日本も明確な「ビジョン」をしっかりと打ち立て堅持することが肝要である、という旨のお言葉をいただき、身の引き締まる思いがしました。

 

 

メッセージビデオに続いては、主催者として25年間という長きに亘るご支援に対する感謝と、令和を迎えさせて頂いた当会としての決意を述べさせて頂きました。

 

 

締めくくりの乾杯の音頭は、東洋大学総長の福川伸次先生にお願いしました。

 

 

福川先生は、大平正芳内閣で総理大臣秘書官、通商産業省では事務次官を歴任され、その後も神戸製鋼所代表取締役副会長、電通総研の代表取締役社長兼研究所長などを務められました。

 

私がキャスター時代に電通総研主催の「電通フォーラム」の司会を何年間か連続して担当させて頂いたことからご縁をいただき、当会の発起人をお引き受けいただいています。

 

経済政策に限らず、実に幅広い見地から常にグローバルな視点で物事や社会の動勢を鋭く観察・分析される方で、夫婦揃って折々にご指導をいただいていますが、特に最近はイノベーション政策についてご助言をいただいています。

 

 

乾杯に続く歓談の場となって、作新学院の卒業生も会場に来てくれていたことがわかりました。

 

 

遠く金沢から駆けつけてくれたのは、今春、金沢大学医学部医学科に入学した早乙女乃愛さん。

 

彼女は高校時代から、生徒会長をつとめるほど活発で利発な生徒で、修学旅行中にiPS研究所を訪問し山中伸弥先生から特別講義を受けたのがきっかけで、世界的な大発見ができるような研究医となることを志し、猛勉強。

 

見事、超難関の国立大学医学部に入学し、研究と臨床を両立して行うphysician-scientistへの道をスタートしました。

 

医学部ではない通常の学部でも入学したての時期は、授業はもちろんカリキュラムを組むための事務手続きなどで緊張と多忙の毎日でしょうに、引っ越したばかりの金沢から東京まで飛んで来るとは、その意志の強さとガッツには脱帽しました。

 

おっとりしている反面、物怖じしない性格で、梶田先生ともしっかり言葉を交わしていました。

 

 

忙しい仕事を縫って、駆けつけてくれたもう一人の卒業生は、経産官僚の新藤弘章君。

 

 

入省6年目の彼は、大学時代からの希望を叶え、今秋、経産省から出向という形でハーバード大学に留学します。

 

正しくは、ハーバード大学大学院のデザイン・エンジニアリング専攻で、途上国の爆発的な人口増加に伴う食糧問題や少子高齢化の中で増え続ける先進国の医療コストのような、旧来の枠組みでは対処できない社会的課題を解決できるリーダーを養成するため、ハーバード大学が2016年に新設した修士課程だそうです。

 

大学時代から、母子手帳の配布やストリートチルドレンへの教育などボランティア活動のため途上国に足を運んでいた彼には、ぴったりの留学先だと思います。

 

昨今の永田町・霞が関が志向する政策を概観すると、全般に中長期的視点や国家としてのビジョンおよび戦略が不足している感が否めませんが、新藤君には是非この留学を糧にして、大局的な物の見方や考え方のできる官僚へと成長してもらいたいと願っています。

 

 

これまでの25年間を振り返れば、山、坂、そして怒涛の毎日ではありましたが、曲がりなりにもなんとかこうして節目の日を迎えられましたのも、多くの心ある人たちと出会うことができ、そうした方々に支えていただけたからこそと、本当に有り難く思っています。

 

締めくくりに、梶田先生とこの会を運営してくれたスタッフ全員で記念の一枚を。

 

 

「ビジョンがない日本に、令和にこそビジョンを!」という見果てぬ「ビジョン」を掲げ、当会もさらにギアを上げ奮起して参りますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。