元教諭の罰金刑確定へ=君が代起立妨害-最高裁
東京都立板橋高校の卒業式で、君が代斉唱時の着席を呼び掛け、式を妨げたとして、威力業務妨害罪に問われた元同校教諭藤田勝久被告(70)について、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)は17日までに、判決期日を7月7日に指定した。二審の判決変更に必要な弁論は開かれておらず、罰金20万円とした一、二審判決が確定する見通し。
一審東京地裁は2006年、呼び掛けを威力に当たると判断した上で、式がほぼ支障なく実施されたことなどから、懲役8月の求刑に対し、罰金刑を選択し、二審東京高裁も08年、支持していた。
二審判決によると、藤田被告は04年3月、来賓として出席予定だった同校卒業式の開始直前、保護者らに「国歌斉唱の時は着席を願います」と大声で呼び掛けるなどし、開式を約2分間遅らせた。
だって。当然だよね。この藤田君は起立して国歌斉唱をしたい人の思想良心自由を踏みにじり、式自体の進行を強引に妨害したのだからね。刑法での威力業務妨害に該当するのは当たり前だよね。
このケースは刑法なのだが、民事で同様の事件は沢山ある。共通点は元教員側の「思想・良心の自由」を前面に出しての対決である。私からみたら元教員側の人がやっている事は「思想・良心の自由」とは何かを考える事なく、自分が思っている事、良いとしている事ならばなにをやってもかまわない事を守る為に君が代を防波堤として利用しているだけなのだ。言い方を代えたら元教員が自分が思っている事、良いとしている事ならばなにをやってもかまわない事が守れれば君が代なんてどうでも良いのだろう。この元教員たちは君が代の歌詞の内容を深く考えているのだろうか。深く考えているならば拒否など出来ないはずだ。それほど君が代はすばらしい内容だ。
君が代の歌詞をあらためて見てみよう。
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで。
現代語にすると
君主の代が
永遠に、この世界が果てるまで(続きますように)
小石が寄り、巌(岩)へと変わりそこに苔が生えるまで。
*小石が寄り、巌(岩)へと変わりそこに苔が生えるまで。は現実的に不可能な事であり、それを望んでいるので、「それくらい途方も無い時を越えて」の意味の言い換えの表現である。
この「君主」は辞書的には世襲により国を統治している王の事で、かつての天皇の事である。しかし、今の天皇は「日本国の象徴」である。
つまり
天皇 = 日本国
日本国 = (日本国民全て + 領土)
となり、日本国民一人一人全ての永久の幸福と領土の平和の願いとそれを実現維持する強い意志を誓った歌が日本国の国歌「君が代」なのである。
それは国民一人一人が自分のため、あなたのため、あなたが大好きな人のため、そして、未来に続く人人人のために互いに守り思う気持ちを表したものである。こんな綺麗な国歌が他の国にあるか。
特に私は
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで
が大好きだ。
さざれ石は宇宙に浮かぶ小惑星。それらが互いにぶつかり岩になり星になり、生命が発生して光り輝く美しい緑の大地が広がるような、そんなイメージを抱いてしまう。
このような美しい国歌を自分たちの自由と思っている事を守るための防波堤に利用している教員は・・・・ってすでにそのような輩は破綻しているようか感じもするが・・・・・・まっ教員をやる資格自体無いのは確定だろう。