”日本人のセンサーにはびこるWGIP” | 聞こえちゃったら、ゴ・メ・ン

”日本人のセンサーにはびこるWGIP”

ちょうど一年前の記事です。


ここで、一生懸命

 

傷を隠すとか、色をぬぐうとか、

 

いろんな話が出てきますけど、

 

一番いいのは自然治癒でしょうね。

 

 

外傷はほかっておいたら治りますが、

 

良心の傷はどうしてうまいこといかないんでしょう。

 

 

 

切り傷は、いずれかさぶたになり、

そのかさぶたもはがれ癒えてゆきます。

 

意識の上では何もしていない。

 

 

ところが、細胞レベルではとんでもない作業の連続です。

 

良心に強い刺激を受けたとき、

 

この作業を始めるべきなんです。

 

特別なことではありません。

 

自然治癒ですから。

 

上薬を塗ったり、ばんそうこうを張るのではなく、

 

その刺激に向き合うべきなんです。

 

 

そして、一番忘れてはならないこと、

 

思い違いしてはいけないことは、

 

魔法のように一瞬にして快癒することはない、ということです。

 

 

快癒したときは、パッと、ひらめきのようなものを感じますが、

 

外傷でいうところの細胞レベルの作業を怠っていたのなら

 

そのときは永遠に来ないのです。

 

 

結論が出ない時期があります。

 

その期間は途方もなく長く感じることもあります。

 

しかし、その状態

 

細胞レベルの作業中

 

この苦痛を乗り越えなくてはならない。

 

作業中は、その作業が

 

何パーセント進んだのか気になるところでしょうが、

 

その途中経過を気にするあまり

 

作業の手を休めたりしてはいけいない。

 

 

作業を続けていれば、

 

快癒のときは必ず訪れるのです。

 

 

 

現代は情報(刺激)が多すぎて

 

スピードが追い付かないような焦燥感にかられるかもしれませんが、

 

快癒のための作業は並行してできたり、

 

正しく行われた場合には

 

相乗効果を生むことが多く、

 

視界がぱっと大きく晴れるときがあります。

 

 

正しい努力を続けていると、

 

出来なかったことが、急にできるようになる時がありますね。

 

努力を怠って、できる時が来ることを願えば、

 

いずれむなしく諦める時が来ます。

 

 

良心についた傷を癒すのも全く同じことで、

 

正しい作業を続ける必要があります。

 

この習慣を身につけることが大切だと思います。

 

 

良心についたホコリを祓う。

 

これが神道の考え方のようです。

 

 

今一度、この考え方に立ち戻るべきときではないでしょうか?

 

 

 

 

このような考え方をしない文化圏では、

 

気づいた時には大変な鎧を身にまとっている。

 

こんなことが多いように思えますね。

 

 

鎧をまとい

 

平和だとか、平等だとか、自由だとかの盾を掲げて、

 

「差別だー」なんて鉾を持って向かってくるわけですが、

 

こっちはもともと鎧なんか着てないから自由なんだよ。

 

 

そう言ってやったらいいんじゃないかな?