日本のパイオニア
伝説の鳥人は、1785年(天明5年)夏に自作の羽で橋から滑空したとされる浮田幸吉だが飛行と言えるかは疑わしい。
1911年4月24日に、森田新造が大阪の城東練兵場で距離約80mの直線飛行に成功した。
これは非公式記録となっている。
奈良原 三次(ならはら さんじ、1877年(明治10年)2月11日 - 1944年(昭和19年)7月14日)
鹿児島生まれ、元日本海軍軍属技士。男爵。
奈良原式2号飛行機
日本で公式記録としては初めて飛行に成功した国産飛行機。
自作の複葉機
東京飛行機製作所で奈良原式2号飛行機の制作に着手した。
木製骨組みに羽布張り翼の牽引式単座複葉機であった。
所沢飛行場で、1911年(明治44年)5月5日に飛行に成功した。
初飛行は高度約 4m、飛距離約 60mを記録した。
1912年(明治45年)5月、日本で初めての民間飛行場(千葉県の稲毛海岸)を開設し
奈良原式の3号機や4号機「鳳号」などを製作し、生涯にわたり航空の発展に寄与した。
訓練生養成
白戸栄之助、今村梅次郎、後藤銀次郎、斉藤(名不詳)訓練生が奈良原式2号による単独飛行を行った。
複座型 3号機
奈良原式2号機は練習飛行中に墜落し破損したが、使える部品やエンジン(ノーム オメガ 空冷回転星型7気筒、50hp)をリサイクルして奈良原式3号飛行機が制作された。
3号機は練習機としての使用を前提とした複座機となり、胴体も羽布張りとなったほか、降着装置も大幅に強化されている。
輸入機での飛行(公式)
翌年の1910年(明治43年)、「会」のメンバーの一人だった徳川好敏(当時 工兵大尉)が飛行機操縦技術を習得するためフランスに派遣され、帰国後の12月19日 代々木練兵場にて、日本で輸入機「アンリ・ファルマン」(フランス製複葉機)による飛行に成功した。
ドイツに派遣され帰国した日野熊蔵陸軍歩兵大尉も「ハンス・グラーデ」(ドイツ製単葉機)で飛行に成功した。
1911年(明治44年)4月1日、日本で最初の陸軍飛行場が所沢(当時埼玉県入間郡所沢町)に開設された。
臨時軍用気球研究会式一号機
軍用機としての国産1号機。
2号機は帝都一周飛行を成功させた。
大改造を施された3号機、4号機は陸軍初の大演習に参加した飛行機となった。
要目
翼幅 11.00m
全長 11.00m
自重 450kg
全備重量 550kg
エンジン グノーム 空冷回転星型7気筒(50馬力)
最大速度 72km/h
航続時間 3時間
乗員 1名
- 設計者:徳川好敏・パイロット
- 製造者:「会」 臨時軍用気球研究会(1911年7月生産開始、全7機)
- 運用者:大日本帝国陸軍
- 初飛行:1911年(明治44年)10月13日 所沢飛行場
- 成績:滑走15m、高度50mで時速72km/h、最高高度は85m。
帝都訪問飛行
会式二号機は1912年(大正元年)10月24日6時前、徳川大尉の操縦で所沢から代々木練兵場へ飛行した。
練兵場には5千人もの観衆がおしよせ着陸予定地を埋め尽くしたため、北谷稲荷神社前に着陸したという。
給油の後、再び飛び立ち17分間の帝都一周飛行を行ったのち、また所沢へ戻った。
これは陸軍機による初の「帝都訪問飛行」とされている。
会式二年型飛行機
5号機、6号機は長澤賢二郎、澤田秀両中尉が設計を担当した。
臨時軍用気球研究会と陸軍砲兵第一方面内砲兵本廠で一機ずつ製作された。
モ式三年型
モーリス・ファルマン機の改造国産「モ式」が製作された。
モーリス・ファルマン MF.11を原型とする国産化複葉機
第一次世界大戦期のフランスの偵察・爆撃機として活躍した飛行機でした。
陸軍が1913年(大正2年)に購入。
モ式三年四型には、国産化されたエンジン(ルノー70馬力、同80馬力、カーチス100馬力)が搭載された。
国産化したダ式六型(メルセデス・ダイムラー式100馬力)に換装したモ式六型偵察機を134機生産した。
海軍も浮舟型を購入しモーリス・ファルマン式小型水上機(モ式イ号水上機)として制式採用した。
横廠式イ号甲型水上練習機が代替わりし退役した。
古き良き小型軽量低速飛行機の時代、パイロットが死ぬ事故は意外と少なかったという。
実践(陸軍)
1914年(大正3年)には青島攻略戦に陸軍機1機が実戦に初参加となる。





