少し遅れましたが、明けましておめでとうございます!

今年もNGOや企業など様々な団体にお伺いしインタビューさせていただいたり、海外に行くメンバーがいれば体験記を書いたりと、国際協力について知っていただけるような記事を作っていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

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1月の記事は前回に引き続き、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのモンゴル事務所で、実際に現在進行形でプロジェクトに関わっていらっしゃる、岡本啓史さんにお話を伺いました。

セーブ・ザ・チルドレンの方たちが、海外では具体的にどのような活動をしているのか、紹介させていただきます。

 

岡本さん。ご自身がデザインを考案して作成された、担当事業(教育支援)のステッカーと共に。

「僕、作るのが好きで。NGOってその気になって動けばできることが比較的多いのでいいですね」とのこと。

 

 

―現在は、どういった活動をなさっていますか

 

 主に2つあるんですけれど、ひとつは首都ウランバートルの教育事業で、もうひとつは地方の緊急対応事業ですね。

 

―初めにウランバートルの教育事業について教えてください

 

 ウランバートルの中心地は高層ビルが並ぶ都会ですけど、車で20分くらい郊外に行ったところに、ゲル地区という場所があるんですね。地方から移住してきた人が多く住んでいます。インフラ設備も整っていなくて、地面も舗装されておらず、水道や、ところによっては電気も走ってなかったりして、水汲みに子どもが行ったり、野犬がわんわん吠えて追いかけてきたりとか。簡単に言うと、スラムです。そこにある公立学校で活動しています。

 主に小学校1年生に焦点を当てているんですが、「学びの基礎力」、つまり学ぶための基礎段階にある力を育成するためのサポートをしています。学びの基礎力がまだ身についていない子どもは、例えば、集中力がなかったり、鉛筆を握る力が発達していなかったり、トイレにひとりで行けなかったり、コミュニケーション能力に不十分だったりする傾向があるため、授業についていくのが難しくなります。ゲル地区の子どもは幼稚園に行けていない子が結構いるので、そういった子どもたちは、目に見えた差はないけれど、「学びの基礎力」が十分でないと言われています。そして、周りの大人たちがそれをどうサポートしていいかなかなか分からないことがある。ということで、基本的にこのプロジェクトでは4つの柱、①教師への研修、②教師以外の学校職員への研修、③保護者への研修、④政策提言を軸にしています。教員や学校職員、保護者が繋がる学校体制作りも行っていて、そういった活動を政府と連携して行ない、事業完了後も政府レベルで活動が持続される体制を整えることを目指しています。

 

 他にも課題はあります。ウランバートルは地方から移住してきた人たちが多いので、教室が足りず、シフト制で授業をしているんです。日本だったら全日制じゃないですか。ゲル地区だと、2部制、3部制、なかには4部制の学校もあります。だから朝早くからら第1部の子どもが授業を受けて、「はい次のシフト来るから帰って」という感じです。つまり、じっくり子どもの面倒を見ることがなかなかできない環境にあるんです。あと、モンゴルの教師は、1年生を受けもったら、次は2年生、3年生という繰り上がり式なので、低学年を専門に教える教師がなかなかいないんですよね。これは国によりますが、日本や他の国だったら、経験のある人が低学年を教えることがありますけど。だから、6歳の子どもがどういう特性を持っているか、どんなサポートが子どもの発達につながるか、ということを教師、学校職員、保護者に向けて研修しています。

 

事業対象校の1年生の教室を訪問する岡本さん

 

 

 

―では、緊急対応事業については?

 

 「ゾド」という寒雪害の緊急・復興支援ですね。去年の夏の干ばつで草もあまり育たなくて、冬にどっさり雪が降って、気温もマイナス約50度まで下がり、遊牧民の財産である家畜がどんどん死んでしまったんですね。財産を失った遊牧民たちが、生活の糧を失い、子どもの教育や、食料、生活必需品に費やすお金が不足するという事態が起こりました。国連やその他の国際NGOがゾド対応の様々なプロジェクトを実施しました。

 セーブ・ザ・チルドレンでも色々なプロジェクトを立ち上げて実施してきましたが、私が担当している緊急事業では2期に分かれています(2期目はインタビュー時点で現在進行形)。1期目では大きく分けて3つの支援活動をしました。

 まずは支援物資の配布。帽子やブーツ、手袋など身につけるものから、ブランケット、石鹸や歯ブラシなどの生活必需品までを、親元を離れて寮に住んでいる子どもたちや、子どもだけで暮らす家庭に配布しました。

 

 もうひとつは、補習授業の実施。遊牧民の子どもたちが、長期休暇中に親の仕事を手伝うため、1ヶ月以上も学校に戻ってこなかった。そういう子どもたちは、勉強について行けなくなってしまうので、先生方に頼んで、約3週間補習授業をしました。やり方は先生方にお任せして、僅かですが資金を提供して。事業側からのサポートとしては、毎回学習の目的を事前に先生に把握してもらい、それが達成できたかをモニタリングし、実施する前と後の子どもの学力も測りました。聞き取り調査によると、補習授業を受けた子どもたちはとても満足しており、先生方からも、こういう試みをすれば子どもたちがすごく喜ぶんだと知った、という声が挙がりました。また、これらの活動を通して、遊牧民だけでなく、全ての子どもに学びやニーズの違いがあることに気づいたと言っていた先生も多くいました。中には、「先生、分からなかったことを教えてくれてありがとう、先生大好き!」という手紙をもらったと、喜んで見せてくれた先生もいました。

 最後に、心理社会的支援のひとつとして、「子どものための心理的応急処置」の講習を実施しました。難しいものではなくて、誰でもやり方さえ学べば、ストレスを抱えている人をサポートできるファーストエイドのような感じですね。いくつか段階がありますが、まずウランバートルでセーブ・ザ・チルドレンが政府関係者に向けて研修をして、それらの人たちとセーブ・ザ・チルドレンのスタッフが地方で学校関係者に研修して、学校関係者たちが学校で、先生や高学年の子どもたちに向けてワークショップを開くといったカスケード式の流れです。それだけではなくて、ワークショップを受けた高学年の子どもたちが低学年の子どもをサポートする活動も行ない、なにかあったら友達とか知り合いの人たちを助けられるかもしれないっていう流れが広まりました。

 

 実はこの緊急支援対策、第2期目が現在行われています。昨年8月1日から、2017年1月31日まで、6か月です。主に1期目で補えなかった内容や、今後の災害リスク軽減に向けて準備をするといったものです。

 

緊急支援対策第1期および第2期 まとめと比較

第1期(2016年4月~7月)

第2期(2016年8月~2017年1月)

生徒に必要物資を配布

キャッシュ・トランスファー:一定の基準に基づいて被災者家庭にキャッシュを渡し、それぞれのニーズにあった教育関連品を自分たちで買ってもらう。

 

2、3週間の補習授業

モンゴル語と数学のみ

2か月の補習授業。裨益者のニーズに答え、実施教科数も増加

心理社会的支援

心理社会的支援の継続

災害リスク軽減・対応に関する研修実施

 

 

支援を受けた寮の子どもたち(配布物資と共に)と岡本さん

 

―資金はどこから? 寄付金でしょうか?

 

 紹介した2つの事業は、公的資金とご支援を頂いている皆様からの寄付金で実施しています。教育支援は、外務省のNGO連携無償資金、ゾドの緊急支援対策は、ジャパンプラットフォーム(JPF)の資金が活用されています。

 

―わかりました。ありがとうございます。

では、岡本さんご自身についてお聞きしたいのですが、モンゴルに来るようになった経緯を教えてください。

 

 簡単に言うと、やりたいことをいろいろなところでずっとやってきたっていう感じです。でも実は全部つながっていて、その延長線上で、今モンゴルにいます。終わりです(笑)

 

―もう少し詳しくお願いします(笑)

 

 大学時代とかは、ダンスにすごく没頭していました。大学は、神戸大学の発達科学部(旧教育学部)だったんですけれど、実はずっとダンスしてました。バイトも8個くらい。

でも、実は大学では単位は220くらいとったんですよ。卒業必須単位数は120くらいだったと。

 

―すごく多いですね。

 

 幼稚園、小学校、中学校と高校の英語、図書司書っていう5つの教員免許を取ったからだと思います。

 将来は教師になるつもりだったんですけれど、教育委員会の仕事を手伝いながらも、このまま教師になったらだめだと思って。子どもって本当に純粋で、大人が「右に行きましょう」っていうと右に行って、「やっぱり左へ行きましょう」っていうと、くるっと左へ行く。発言者の言っていることとか、やっていることってすごく影響が大きいなと思って、就職する前にワンクッションおきたいと思いました。そこで、英語も勉強したかったし、海外へ行こうと。

 それから、ニューヨークに行こうと決めました。なぜかというと、やっぱりダンスも好きだったし、音楽も好きだったので、ニューヨークかなと。滞在するためには学生ビザをとるのが一番良いということで、演劇を勉強することを選んだんですね。良い教師っていうのは良い役者だと思う。教壇は舞台。子どもの前に立ったら、テンションがちょっと低い、飲みすぎて二日酔いとか関係なしに、役者でないといけない。なのでそういう勉強をしたいなと思って、ニューヨークに行った。そうしたら1年のつもりが5年半くらいいて (笑) 。舞台にも結構立ちました。

 その間いろいろあったのですが、実は不法移民の人と会う機会が多かった。それで、あるメキシコ人の不法移民の人が、私にきっかけをくれたんですよね。直接的じゃなくて、間接的にエネルギーをもらったんですけれど。彼、40後半くらいのおじさんで、単純に言うと、いつも笑顔のナイスガイなんですよ。奥さんと娘さんをメキシコに残して10年以上会っていない。ポケットに入れてある家族の写真をいつも切ない顔で見てるんですけど、ポケットに戻した後はいつも笑顔。時間さえあればいつも新聞を読んで、知識欲豊富。スペイン語も勉強していたということもあり、いつもその人と話していました。ある日、ドラゴンボールじゃないですけど、「もし一つ願いが叶うなら何がしたいか」という話をした時に、「小学校に戻りたい」って言われて、「どういうこと」と聞いたら、「父親に働かされて小3で中退した」と。「今では家族も子どももいて教育の大切さがわかるから、今からでも小学校に戻りたい」と。それを聞いたときにすごく衝撃が走って。思い立ったら動かずにいられないタイプなので、その日のうちに調べ始めて、行きついたのが「教育開発」。これだと思って、彼みたいな人を少しでも助けたいなと思って。すごくいい人なのに、なんで不法移民として動物のように扱われて、家族とも離れ離れになってしまっているのだろうと。生まれたところが違うだけでこんなに違うのかって。そこで大事なのはやっぱり教育だろうと。教育さえちゃんとすれば、もう少し違うかもしれない。

 こんな経緯で、教育開発に興味を持ちました。やるからには変化を起こしたいと思って、大きいことをできるのはどこだろうといろいろ調べたら、国連。よしじゃあ国連に入ろうと。そのためには修士と関連する職務経験が必要だということで、ドラゴンボール的な会話をしたその日のうちにやると決めました。修士に向けて勉強を始めて、日本人学校に教師として応募して、採用も決まりました。

 ニューヨーク生活後半約3年間は、大学院に行きながら学校で教えていましたね。

 

―そのあと院を卒業なさってからは?

 

 メキシコ人など中南米の人から影響を受けたので、中南米の教育開発がしたいなと思って、院在学中にチリのユネスコでインターンをしたんですよね。スペイン語もその頃には結構できていたので。チリのユネスコは中南米とカリブ諸国をまとめている地域教育事務所で、ここで5か月くらいインターンしました。

 ニューヨークに戻ってきて、修士を終わらせて、教師の仕事も終わらせて、またすぐにチリに行きました。なぜかというと、インターン時代の知り合いに、オンラインの教員養成の仕事に誘われたから。でも来た初日に、うまくいかないだろうということが分かり、せっかくチリに来たのにどうしようってなりました。とりあえず、ユネスコに戻って挨拶だけして。そうしたら、その日のうちに電話かかってきて、「インターンをやった時の分野で人がいないから、明日から来てくれないか」と言われました。そんなことあるんや!と驚きましたね。比較的短期で雇われたので、長くは続かないことがわかっていたので、そのあとはチリの大使館で草の根無償(日本外務省による、「草の根・人間の安全保障無償資金協力」のこと)に現地採用していただいて、2年弱くらいそこで働きました。

 でももっと教育の事業にどっぷり浸かりたい。草の根無償でも、教育の事業もやってたんですけど、もっとソフトスキルのところに行きたかった。例えば、ユネスコとかは、がっつりソフトスキルの事業だったんですよ。

 

―ソフトスキルの事業、とは?

 

 チリのユネスコは地域教育事務所ということで、8か国くらいの教育省代表が、教育の質を高めて政策に取り入れるためにいろいろな話をして、僕がそれを取りまとめて、1つに仕上げるみたいなものでした。僕がやったのは、インクルーシブ教育の事業。

 そういうことがすごく楽しかったんですけれど、大使館では結構ハード面のほうが多かった。もっと教育に浸かりたいなって思ったころに、セーブ・ザ・チルドレンの応募がかかったので、これだと思って応募して、地球の裏側からスカイプで面接していただいて、採用されてモンゴルへ来ました。

 

―このあとはどうなさる予定ですか?

 

 どうなるんでしょうね。いろいろやりたいことがあるので率直に言ってわからないです。でも、子どもとか教育に携わることはずっとやっていきたいと思うので、縁次第です。

今、フランス語を勉強してるんですね。会話くらいはできるようになっているので、使いたいなって思っています。フランス語は、ユネスコに居る時にきっかけがあって独学を始めました。ユネスコは、本部がパリなので、送られてくる書類とかメールとか、英語の下に大抵フランス語も書いてあるんです。それで、何が書いてあるのかわからない。悔しい。

 

―…勉強したい(笑)

 

 そう、勉強したい(笑) きっかけさえあれば、進むか進まないかは自分次第なので。

 いつかは中南米に戻りたい。中南米は人を惹きつける。少なくとも僕は惹きつけられた。貧しくてもいいから陽気にやっちゃいなよ、音楽流れたらとりあえず踊っちゃいなよみたいな空気。日本人は経済的には豊かな人が多いけど、中南米から学ぶところはすごくあると思うんですよね。

 実は僕、90歳までの計画を一応立てているんですよ(笑) 90歳までにはこれとこれとこれを成し遂げている、じゃあ80歳までには何したらいいか、じゃあ75歳、70歳。今はどうか。夢に向かって少しでも歩んでいるのかっていうのを常に更新している。実は教育開発以外にも、たくさんプロジェクトを計画しています。でも、結局自分のやりたいことって全部繋がってるんですけどね。

 

―それは、面白いですね。私もやってみようかな。

では最後に開発に興味のある方へ、メッセージをお願いします。

 

 一緒に頑張りましょう! …え、それだけじゃ駄目ですか?(笑)

 

―いや、いいですよ、岡本さんらしいというか(笑)

 

 僕はやりたいと思ったことをやって、気づいたらここにいるという感じなので、それを他の人に押しつけるのも違うと思う。それに、逆に他の人ができることは僕はできないと思うので。

 

 ただ、しいて言うなら……て、結局言うんかいって話なんですけど(笑)

 

 常に動きつづけて、その延長線上にやりたいことがあったら、行動する。どうしようかな、やめようかなっていうのは、誰でもあると思うんですよね。でも、先が見えない時に進めば、後悔はしない。失敗っていうのはないんですね。いつでも、成功か、学び。僕はそういう考え方で生きてるんですよ。

いろんな分野があるじゃないですか。国際協力って。道路やコミュニティ開発だったり、人事だったり、教育だったり、水だったり。なので、自分がやりたいことをやり続けて、どうしようかな、やめようかな、って時にちょっと前に行くといいことがあるんじゃないかなと思います。

 

―なるほど、貴重なお話ありがとうございました。

 

 

<感想>

 モンゴルでは、発展しているところとそうでないところの格差が非常に大きい。経済成長率が上がり日本政府からの援助も縮小される中でこそ、NGOやNPOの果たす役割は大きいのかもしれません。また、遊牧民独特の生活リズムを踏まえて、単に日本の授業形態を導入するだけでなく、モンゴルの教師主導による補習授業などの教育支援を行う姿勢は、開発支援における文化への影響に関して議論されている現在、非常に興味深く思います。

 岡本さんの人生談はとても面白く、特に学生の身として学ぶところが本当にたくさんあったため、掲載させていただきました。読者のみなさんにとってもなにか感じるところがありましたら、取材者として幸いと思います。

(JANICユース 五十嵐)

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