状況がどうあれ、怯まない。自ら決めた道を断じて進む。この強き一念の信心に立つとき、無限の智慧と勇気がわき、一切の勝利が切り開かれていく。悩みや宿命を、断固として転換できるのです。
大聖人は『難来るを以て安楽と意得可きなり』〈750p〉とも仰せです。厳しい試練が襲い来るたびに『自分が強くなるチャンスだ!』と、喜び勇んで立ち向かっていく。これが学会精神です。仏法の真髄の生き方です。
苦難が、自身を成長させるのです。宿命を転換し、幸福と勝利の大空へと自身を上昇させていく『向かい風』になるのです。
◇退転者に見られる共通点
『ひだるしとをもわば』以外では、この迫害で飢えや寒さの苦しみに怯え、また恐れる心に負けて退転してしまえば、三世にわたって地獄・餓鬼・畜生の三悪道の境涯を流転し続けることになると示されています。
仏法の本質は、三世の眼で捉えなければ分かりません。永遠性を信ずるがゆえに、今世の一生の営みが深くなる。今の難による苦しみは、仏になるためであり、灸治のように今は痛くとも後で薬になるようなものであると仰せです。
この御文の後、大聖人は三位房らを例にとり、退転者の傾向を四つの観点で示されています。
第1は『をくびゃう』。普段は立派そうにしていても、いざ現実に迫害が起こると、師匠の教えを忘れ、恐れをなして逃げ出してしまいます。
第2は『物をぼへず』。師匠の大事な御指導を他人事のように聞いて、すぐに忘れてしまうことです。師匠を真剣に求める信心がないから『物を覚えない』のです。
第3に『よくふかく』。世間的な欲望や名声などを求める野心が強いということ。師弟の大願を忘れて目先の利害にとらわれ、道を踏み外すのです。
そして、第4に『うたがい多き』。師匠の指導を疑ってかかり、正しく理解できない。
結局、退転者に共通するのは『根本とすべき法が中心』ではない。『その法を教える師が中心』でもない。『自分が中心』だという点です。
【おわりに】
◇ブラジル北パラナ大学ラフキン総長は語ってくださいました。
『師弟の関係は大変に重要であります。師匠が計画し、弟子が実行する。師匠が成功の道を示し、弟子が人生をかけてその道を行く。私たちはまた『一人の人間革命がやがては一国の宿命をも転換する』ということを信じています』
この師弟の大道を進むことこそ、世界広布新時代です。
『師子王の仏法』を世界が待っています。