James Setouchi

2024.12.8

 

梁石日(ヤン・ソギル) 『大いなる時を求めて』幻冬舎(2012)      

 

1        梁石日(ヤン・ソギル)

 1936年大阪府生まれ。2024年6月に没。著書『血と骨』『闇の子供たち』『夜を賭けて』『族譜の果て』『夏の炎』『裏と表』など。

 

2        『大いなる時を求めて』2012年 

 梁石日が2010年から2011年にかけて連載したものに加筆訂正して、2012年に出版したもの。中編。すでに70代になった梁石日が書いている。内容は濃厚である。読むに価する。梁石日は自分の人生と著作の総まとめとしてこれを書いたかも知れない。晩年の作だが、梁石日の世界(必然的に戦前戦後の歴史と関係する)の入門書としても読める。歴史の知識がある方が読みやすい。

 

 済州島(注1)の四・三事件(注2)が出てくる。主人公は逮捕され銃殺されそうになるが九死に一生を得た。これは金時鐘の経験だ。(『未来への記憶』所収の「歴史の重い扉」などに書いてある。)本作『大いなる時を求めて』は金時鐘の経験に触発されて書いていると思われる。戦前戦中戦後を貫く歴史が非常に重く、読んでいて苦しくなるほどだ。残虐シーンがある。梁石日は老いに鞭打って頑張って書いたに違いない。

 

注1         済州島:朝鮮半島(韓半島)の南にある島。半島の人からは差別されていた。大阪との間に航路があり、多くの人が日本に渡ってきた。大阪との間に定期航路があった。

 

注2         四・三事件:1948年4月3日に済州島で起きた事件。李承晩政権に反対する南労党はストやデモを行った。政権はこれを弾圧した。特に極右テロ集団「西北青年団」の暴虐は凄まじかった。1年間で島民の3分の1に相当する8万人が虐殺されたと言う。金時鐘は銃殺されかかった。金時鐘に『鴉の死』『火山島』という小説がある。(梁石日「歴史の重い扉」から)

 

(あらすじ)(簡単に。ややネタバレ)

 金宗烈は朝鮮半島東北部の元山に生まれた。父親は地主だったが大日本帝国の支配下で貧窮化した。金宗烈は叔母を頼って済州島へ。大日本帝国の暴力的な教師の支配の下で成長するが軍国主義者となり特攻で死ぬことを夢想する。しかし日本が敗北。金宗烈はすべてを失ったような気がする。呂運亨の朝鮮人民共和国(注3)の運動に賛同するグループに仲間と共にいたが、反共を口実とする西北青年団(注4)と官憲の弾圧によって捕らえられ銃殺されそうになる。辛うじて済州島を脱出、日本に上陸し大阪で暮らす。在日朝鮮人のグループで政治的活動を行いつつ文学に目覚め詩を書く。が、金日成や日本共産党との関係で、詩のグループも組織から分派とみなされ批判される。金宗烈は少数の仲間と共に、政治に従属する文学ではなく、「自分が書きたいことを書くのだ」と別のグループを作ることを決意する。

 

注3         呂運亨の朝鮮人民共和国:呂運亨(1886~1947)は朝鮮の独立運動家。戦前から活動していたが、戦後は朝鮮建国準備委員会委員長、朝鮮人民共和国副主席、勤労人民党委員長などとして活動、南朝鮮労働党とは異なる道を歩んだ。李承晩に暗殺された。人気のある政治家だったと言われる。(コトバンク、平凡社世界大百科事典から)

 

注4         西北青年団:西北青年会。連合軍占領下の南朝鮮で活動した極右・反共主義の団体。北朝鮮エリアで社会主義化が進められたため、反発する青年層が南に移動し反共団体を作った。左派系団体に対し苛烈な白色テロを行った。特に済州島の四・三事件では島民虐殺を行った。(wikiから)

 

(コメント)

 植民地支配、独立、しかしその後の混乱、特に済州島における悲惨な経験、日本への脱出、と歴史の荒波にもまれる。それだけで濃厚な人生だが、さらに日本でも政治的な対立に巻き込まれる。自分のアイデンティティーに対する問い、詩はいかにあるべきか、在日文学とは何か、政治と文学、などなど、考えるべきテーマが山盛りだ。複雑な歴史をかなり頑張って1冊にまとめている。

 

 大日本帝国の朝鮮半島支配については、収奪したというよりも赤字経営だったのでむしろインフラ整備などで貢献したなどの反論がある。しかし、銃剣で脅して支配したことに変わりはない。創氏改名も厳密には改姓はしていないという反論もある。だが日本人的なを創り改名させたのは事実だ。日本語の強制もいわゆる「日帝支配35年間」のすべてに渡るわけではなく最後の頃だけだとの反論がある。だが何年間であっても、例えば日本人が中国語やロシア語を強制されたら、それはいやなはずだ。荻生徂徠は好きで物茂卿と名乗ったし私もロシア文学を読むが、好きでするのと強制されてやらされるのとは全く違う。しかもその「好き」ですら知らぬ間に「好き」にならされてしまっているかもしれないのだ。主人公が天皇陛下のために特攻して死にたい、と思い込むのは、高史明も同様のことを書いている。「強制連行」はなかった、という反論もあるが、「徴発・徴用」はあった。しかも連れて行かれた先での待遇は劣悪だった。これらはすべて人権的に問題であって、繰り返してはならないし、例えばロシアがウクライナに対して、イスラエルがガザに対して、行ってはならないことだ。非人間的な帝国主義的支配を終わらせて誰もが対等・平等に仲良くできる風通しのよい世界を切り開いていこう、とする願いは、同じ作者の『ニューヨーク地下共和国』『海に沈む太陽』などでも示しているところだが、本作ではその出発点のところ(根っこになる時代)を駆け足で総括しようとした感がある。詳細に見れば異論・論争もあるはずだ。

 

 付言ながら、植民地支配に心を痛めた日本人も存在する。柳宗悦石川啄木もそうだと言われる。日本の水平社は朝鮮の衡平社と連携しようとした。三浦銕太郎石橋湛山は(主に経済の観点からだが)満洲や朝鮮の放棄・独立を含む小日本主義を唱えた。吉野作造も呂運亨を弁護した(wikiなどに書いてある)。内村鑑三は日韓併合を嘆いた(注5)。矢内原忠雄も朝鮮に対するよき理解者だったとして知られている。すべての日本人が帝国主義一色に染まったかに見え、実はそうではなかったのも事実だ。

 

注5 東京大学東アジア藝文書院ブログ2023.04.29【報告】内村鑑三『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』を読むPeople伊達 聖伸 による。このサイトは有益。伊達氏は東大駒場の教授。東大生になってこういう読書会に参加したいものだ・・

 

その他の参考図書(いわゆる「在日」の生き方を考えたい人に入門用)

『生きることの意味』高史明    ちくま文庫     自伝

『コリアン世界の旅』野村進    講談社プラスα文庫 ルポ

『あんぽん 孫正義伝』佐野眞一  小学館       人物伝

『三たびの海峡』帚木蓬生     新潮文庫      小説

『もう一人の力道山』リ・スンイル 小学館文庫     ルポ

『差別と日本人』辛淑玉・野中広務 角川oneテーマ新書 対談

『在日』姜尚中          講談社       自伝

『朝鮮人特攻隊』裴淵弘      新潮新書      ルポ

 

*特に『コリアン世界の旅』(野村進)では、ベトナムやロサンゼルスにおけるコリアンをルポしていて、巨視的で複眼的である。非常にためになった。ベトナム戦争でアメリカは韓国兵を使った。韓国人はベトナム人を差別したのだ。ベトナム人は「大ハーンが来るよ」と言って怖がったという。ベトナム人も韓国人も日本人も在日もない、誰もが対等で平等でともに幸せになる世界が来るためには? 

 

 

梁石日『Y氏の妄想録』2010年 幻冬舎

 中編小説。誰かが「読むんじゃなかった」などと書いていた。同感。お薦めしない。性的描写、猥褻な描写、残虐で暴力的な場面が多数出てくる。普通のサラリーマンだった男が過去の過ちのつけを払って最終的に破滅していく話。家庭も崩壊する。読後感は悪い。人間に対しても深い掘り下げがない。ストーリー展開も一応の工夫はあるがそれ以上ではない。梁石日は年老いているか、他で(もしかしたら上記の『大いなる時を求めて』などで)忙しかったか、だろうか。彼はなぜこれを書いたのだろうか? 豊かに見える日本社会が実は極めて危うい所に立っているという認識を、普通の一般的な日本人のサラリーマンとその家庭の破滅を通して、書こうとしたのだろうか? だが、この方向には救いはない。良識を持ち希望を持って努力している人々は実は多数存在している。人は何を語るべきか? 何を語るべきでないか? 

 強いて言えば、小泉首相のイラク派兵や旧日本軍の満州における残虐行為の話に力を入れている。特に後者はどこまで事実かはわからないが、非常に恐ろしい話だ。ネタバレだが、旧満州で人を殺した老人が、さらに家族を殺し、戦後に娘を殺され、自死する。今度はその娘を殺した男が、自死に追い込まれる。殺人は因果応報のように連鎖している。これは一種の因果応報思想であり(梁石日がそう明示しているわけではない)、梁石日としては、旧日本軍の大陸での残虐行為(だけでなく無理のあるシステム)がたたって今日の悲劇を生んでいる、イラク派兵(注6)などしたら後が怖いよ、という見通しを持っているのではないか? 

 

注6 イラク派兵については以下の二冊は必読。

『日本人は人を殺しに行くのか』伊勢崎賢治 朝日新書 

                伊勢崎はNGO→国連→東京外大教授。

           (東京外大に行って伊勢崎氏のゼミに入っていれば・・)

『自衛隊の転機』       柳澤協二  NHK出版新書

                柳澤は防衛庁の官僚。

 

梁石日『未来への記憶』2006年 アートン

 エッセイ集。いろんな時期に書いたエッセイを集めてある。初出が逐一書いていないのが惜しい。この本はお薦め。梁石日を理解するために有益。自伝的内容、作品にまつわるあれこれ9.11テロイラク戦争などについて小説の形ではなく自身のエッセイとして書いてある。小説作品と重なる内容もある。ほかに、ビールが好きだなどと書いてある。(私は酒類は飲まないのでピンとこないが。)なるほど梁石日はこういうことを考えていたのだなと思う。もちろん作者本人の言及を参考にしすぎてもよくないのであって、作品テキスト自体をしっかり読み込むべきだ。本人の当初の意図を離れて作品テキストが大きく羽ばたいてしまうこともよくある。が、あまりはずれた読み方をしないためにもこのエッセイ集は役に立つだろう。お金を出して買うなら上記『Y氏の妄想録』ではなくこっちだろう。