James Setouchi

 

砂川文次『ブラックボックス』(令和3=2021年下半期芥川賞)

 

1 砂川文次『ブラックボックス』

 

 結論から言うと、結構面白い。読後充実感があり、考えさせてくれる、とも思った。

 

 主人公はサクマ。三十才前のロードバイク便メッセンジャーをしている、非正規雇用(厳密には個人事業主扱い。福利厚生が極めて弱い)の男だ。ロードバイクで東京の町を疾走し、会社の契約書などを配達する。これは私の知らない世界だったので、新鮮だった。サクマは生きることに不器用で、学校でも怒りを爆発させて恐らくは中退。自衛隊に入るがここでも怒りを爆発させて除隊。仕事を転々とするがどこでも同じだった。同じループをぐるぐると回る。出口がない、ゴールが見えない。このままではいけない、ちゃんとしなくちゃ、と思う一方、ちゃんとするとは何かが分からない。当面考えることをやめ、目の前のバイク便の仕事で心身を消耗することで日々を送っている。

 

(ネタバレします)

 後半、サクマは刑務所にいる。同棲している円佳が妊娠し「ちゃんとしなくちゃ」と思っているところに税務署が来て、突発的に殴ってしまったのだ。刑務所の中の暮らしの描写が詳細で、作家が刑務所にいたことがあるのかと思ってしまったほどだ。だが、刑務所の中でもサクマは暴力事件を起こし、独房へ。そう、サクマはかっとなると後先考えず殴ってしまう男なのだ。生き方は極めて不器用。言葉で説明するのが苦手だ。サクマにとって、人生は、社会は、ブラックボックスそのものだ。非エリートである自分にとって、エリートの(背広を着たビジネスマンの)世界はブラックボックス。こうすればどうなるという人生はブラックボックス。爆発するごとに人生の選択肢が狭まることだけはサクマは経験してきた。

 

 それでもサクマにも気付きはあった。バイク便からウーバーイーツに仕事を移してみると、今まで自分たちが根拠なく彼らを差別していたことに気づく。刑務所で独房に入ってすることもなく半生を振り返ってみる。受刑者仲間の向井(自殺未遂で間違って警官を吹き飛ばしてしまった、これも不器用な男)が言う、毎日は同じに見えるが、ほんの少しずつ違う、毎日は同じではないと。サクマは自分の人生はどうせ同じ事の繰り返しだと思っていたが、あることで、昨日までと今日は少し違うのかも知れないと感じ始める。

 

 刑務所の中では、やるべき日々のルーティーンが明白だから、サクマには生きやすかったのかも知れない。サクマがロードバイク便の仕事をしているうちにいつの間にか身についた手仕事もサクマを救う。人を助けようと思ってしたことではないが結果的に感謝されることをしてしまっていた。ラストには希望も感じさせる。

 

 ドストエフスキー『死の家の記録』、ソルジェニーツイン『収容所群島』、大岡昇平『俘虜記』、高杉一郎『極光のかげで』を比べてみると面白いかも知れない。(刑務所と収容所は本当は違うが。)

 

2 砂川文次(1990~)

 大学を出た後自衛官となり、今は地方公務員をしながら小説を書いている。他に『市街戦』など。『文藝春秋』R4年3月号のインタビュー記事の中で、「サクマは低所得者で非正規…」だが、彼ら「労働者は弱者ではなく強者」「保護とか弱者といったニュアンスに対して拒否感や忌避感を抱いてしまいます」と砂川氏は発言している。単なる弱者ではなくたくましく生きている、と言いたいのかも知れないが、違和感がある。現実にブラックワークでボロボロになっている人もいる。先日も過労死のニュースをやっていた。困っている人は困っているのだ。サクマは肉体的には頑健だ(実際喧嘩が強い)。格差・貧困問題の解決を暴力(肉体的ゲバルト)でやろうとして戦前は右翼が台頭した。これは警戒すべきだ。いかがか。