19歳、理工学部の2年生のときに、人間について考えることを趣味にしようと決めた。人それぞれに好き嫌いがあるのはなぜだろう。誰もがミロのビーナスを美しいと思うのはどうしてだろう。いま思えばその本質は「人間とは何か」という途方もないテーマだが、私がしたことは、哲学書を読み漁(あさ)るわけでもなく、暇なときに人間について考えるという程度のことだった。
 それでも日々考えていると何かを感じ、気づくものである。「人間とはこういうものである」という仮説を立て、人間の本質が見えたような気になるのだ。しかし、思いつきの仮説は何かの拍子にあっさりと崩れてしまう。また別の仮説を立て、またもや砕かれる。浜辺で砂城をつくっては波に崩される。そのような繰り返しだった。
 「貢献心は人間の本能である」。その仮説は、社会に出て2年目、人が持つ使命感について考えているときに築いた。これがそれまでの仮説と違ってなかなか崩れない。10年過ぎても20年過ぎても立ち続けている。趣味は一歩前進した。哲学の道にいる友人たちに哲学の基礎を聞き、議論も重ねた。それを数年続けた頃に1冊の本も出版できた。
 その本が新たな前進をもたらす。カオス理論の第一人者として知られる合原一幸博士の目に触れる機会を得、「貢献心に基づく行為は義務というよりむしろ権利という考えは、目からうろこ」という、大変うれしい手紙までいただいた。それが縁で、東京大学生産技術研究所の脳科学研究の顧問研究員として昨年3月まで研究に参加させていただくことになった。
 趣味は継続中。50年過ぎても人間の本質は悟れないが、人間はやっぱり面白い。



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