映画『WONDER 君は太陽』 | Happy Paceをさがして。。

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"忠実な映画化。"

 

意外な展開。

 

映画「WONDER 君は太陽」について。

公開も終わり、私の雑感はネタバレするので

ブログ公開を遅らせました。

 

私は原作も読んでいるので

ストーリーも分かっていますし、如何に映像化させるかを

興味深く観ていました。

 

原作の感想は3年前にブログで触れています。

小説「WONDER」

(↑リンク先 別ウィンドウで開きます)

 

 

映画についても

私が感想を述べるより、一般の方々がどんな感想を抱くのかも

幾らか読ませて頂いてます。

ストーリーについては、映画を観て改めて語るほどではありません。

 

映像化と言う観点から、雑感を幾つかお話ししましょう。

まず、とても原作をなぞって丁寧に再現されていると思います。

 

ストーリーの進み方、オギーを取り巻く家族、友人、クラスメイト等からの

視点で話は展開してゆきます。

 

意外な点はオギーの家族もしっかり描くことから

オギー姉の彼氏・ジャスティンが想像以上にスクリーンへ登場します。

 

展開上、姉も重要なポジションですし、セリフがなくとも

姉の居る所ジャスティン在りなので、仕方ないでしょうか。

 

そして映像化による副産物として、この物語は中盤にも

クライマックスを迎えます。

 

姉ヴィアが学校の演劇公演"わが町"において

急遽巡って来たエミリー役を熱演する・・・というシーン。

 

母親がヴィアを見つめる眼差しは、

エミリーを演じるヴィアの素晴らしさではなく

ヴィアの生い立ちまで思いを巡らせており、

表情一つで物を言わせています。

 

ヴィアが "お姉ちゃんであるが故" オギーの事で

我慢に我慢を重ね、じっと耐え忍ぶ姉としてのヴィアを

自分の娘という視点に代わって見つめ続けるジュリア・ロバーツの眼差し。

ヴィアの生い立ちまで思いを巡らせ、じっと見つめるその眼差し。

ここに台詞がない事が尚更、素晴らしいシーンになっています。

 

原作では、もう少しヴィアの姉としての葛藤が描かれている分

私が勝手に感情移入した感はあるでしょう。

エミリー役を演じるヴィア、母がステージと客席の間で

感情を通わせているかのようにも映りました。

このシーンは文面では表現できないものでしょうね。

 

そして原作に忠実だった点で唯一、残念だったのは

オギーをいじめるジュリアンが学校を去る事で

オギーは一定に安住できる環境になっています。

 

スピンオフ作品の「もう一つのワンダー」から

ジュリアンとの後日談を何らかの形で映画に取り込むかと思ったのですが

そうはいかないのがアメリカ映画たる故なのか?

 

敢えてジュリアンとの今後を、良くも悪くも後味が残る形にしたのは

何かを感じ取って欲しいとする制作側の意図か、知る由もありません。

 

この映画は原作に忠実と何度も書きましたが

クライマックスも忠実です。

 

"人は誰しも人生で一度くらいはスタンディングオベーションを受けるべきだ"

とするオギーの信念が具現化した事で、一定のクライマックスを迎えます。

 

序章からクライマックスまで

この作品、よくよく読み進めると

アメリカンドリームの日常版としても良くできた物語ではあります。

 

しかし、作者R.J.パラシオが顔に傷、アザ、疾患的変形でもなく

本人に関わる家族・友人に居る訳でもない。

 

それでも見た目問題をしっかり描き切っている所に

「WONDER」の凄みがあるのです。

フィクションなのに、リアル。

 

「WONDER」と言う映画公開は終わりましたが

原作が今後も読まれ続ける作品であります様に。