前作『虐殺器官』と比べると、格段に作品としてまとまっている。

『虐殺器官』では、「虐殺遺伝子」とか「虐殺文法」といった

興味深いアイデアが提示されていたが、

今回も、「意識とは何か」といった問題や

「進化が逆に人の適応を邪魔してしまう」といった

興味深い問題が取り上げられている。
ただ前作に比べると、そういったアイデアが

無理なく物語に組み込まれている感じがする。


キャラクターの描写にしても、前作よりうまく描けている。

主な登場人物は三人の少女、ミァハ、トァン、キアンだ。

早熟な天才美少女のミァハは魅力あるキャラではあるが、

戦場でひどい性的虐待を繰り返された美少女が

世界を支配するほどの力を持つというモチーフは

今やそう独創的なものとも思えないのが少々残念な点だ。


この作品のテーマは結局のところ「我々の意識という進化の産物は

果たして我々を幸せにしているのかどうか」という問題に帰着する。

『メタルギアソリッド4』では

人間がコンピュータに支配されてしまう危険が描かれていたが、

この作品では人間の最も重要な要素である

意識そのものの危機が描かれているのだ。

確かに意識とは厄介なものだ。

意識がなければ我々は苦しまなくて済む。

失恋の痛手も感じなくていいし、

社会的に落ちこぼれてもどうってことない。

ただし恋がうまく行った時の喜びもないし、

社会で成功した時の満足感もない。
もし世の中が苦しいことの連続でしかなければ

意識なんて必要ないのかもしれない。


でも実際にはそうではない。

時にいいこともあるし、悪いことだって永遠に続くわけではない。

僕も時々意識なんてなくなったら随分楽だろうなと感じることはある。

そして実際に自殺という方法をとれば、そうなることだって可能だ。

でも未だにその方法をとることに躊躇している。

なぜなのだろう?

自殺すれば全ての苦しみから解放されるというのに。


進化論的にみると、人間は進んで自殺するようには出来ていない。

もしそう出来ていれば、

その欠陥遺伝子を後世に残すことなんて不可能だからだ。

僕の中にもそういう遺伝子は機能しているのだと思う。

自殺を解決手段としては用いない。そういうメカニズムが働いているのだろう。

でも僕も含め人間はもろいものだ。

そのメカニズムが機能しなくなるほど滅茶苦茶に心が壊れてしまうこともある。

ソ連軍の兵士に犯され続けたミァハのように。

そうなった時、ショック死のように、人は自殺という方法で、

耐えられない苦しみに対処するため自らの意識を終わらせるのだろう。
人生においてそんな危機は何度も来る。

我々にできることは

できる限りその苦悩から来る心の崩壊を引き延ばすことだけなのかもしれない。