最近気になっているフランクル。
NHKデマンドで番組を見つけたので観てみた。
こちら (3) とあるので、(1) から観はじめたかったのだが、みつからず。
しょうがないので、途中になってしまうが (3) の本編を観た。
勉強になったので、(4) 以降も観たいと思ったし、(1)(2) も観ておきたい。
印象に残ったのは以下の2点:
- 過剰自己観察
- 過剰自己観察が心を空虚にしてしまう原因の一つになっている。
- より自分という存在が全体の中で、どういった役割を演じられるか、どのように役に立てられるかで、自身の存在意義を確認すべき。
- 自分の内なる悩みに焦点を当てすぎると、本質的な問い(生きる意味)を考える時間やエネルギーを費やせなくなる。
- これは自分にも当てはまるところがあり、よりこういった考え方を取り込みたいと思えた。
- 実存主義に対するアプローチ
- フランクル・ハイデガー・ヤスパースのドイツ・オーストリア組とサルトル・カミュのフランス組では同じ実存主義でも違った捉え方をしている、と。
- 勝田氏によれば、サルトル・カミュは悲観的な意味での実存主義。つまり、人間というのは無から出てきて、それでまた無に戻るというような、虚無主義的な実存主義が地盤である、と。一方で、ハイデガー・ヤスパースは肯定的な実存主義、と。確かに人間の未来というのはまだ無である。そこから人間が出てきて、確かにそこで自分が何かを選んで行動したことも、いつかは過去のものになるのだから、もう今の時点ではなくなってしまう、という点で肯定的なのだ、と。
- 自分のサルトルやカミュの限られた理解に基づくと、サルトルとカミュは最後仲たがいをしたぐらいなので、実存主義に対して違う考え方を持っている。そして、カミュは生きることに希望を見出すことを起点にした実存主義であり、あくまで肯定的に捉えていたので、勝田氏のこの言説には賛同できなかった。対談をしている小野正嗣はフランス留学組であり、この言説に対してどう捉えたかをぜひ聞きたかった。勝田氏はベルリン在住とのこともあり、やはりドイツ組を「肯定的」に捉えたいとの思いが出てしまったように思うが、それはフランス組である自分自身にも言えることかもしれず、この論点については、自分自身も勉強していきたいと思った。
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戦後から現在まで覆う空虚感の原因を探る「過剰自己観察」
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フランクルが指摘する「過剰自己観察」の状態に陥る人の傾向
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自己を過剰に観察することが今を生きる「意味」から遠ざける問題
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自分の姿や過去、悩みばかりに焦点を当てる行為の弊害
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過剰自己観察が心を空虚にし、自分以外の世界から目を背ける状況
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他者の視点や異なる人生を体験しないことのリスク
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ソーシャルネットワークで自己発信が目的化する現代の問題
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他者の評価に過度に依存し、「まなざし」に囚われることの危険性
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SNSの普及により他者の視線が可視化され、自己評価に影響を与える問題
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フロイトの精神分析の手法とフランクルの批判
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過去の出来事を掘り起こすフロイトの手法が「過剰自己観察」を助長
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引き潮に例えられる過去のトラウマと現在の心の問題の関係
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フランクルによる、岩礁が見えるから潮が引くという誤った解釈の批判
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過去のつらい経験が今の問題の原因と考えることの問題点
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実際には現在の状況に対する心の充足が重要
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フランクルの「実存主義的人間観」による心の満たし方
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実存主義の思想に影響を受けたフランクルの考え方
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人間の未来や過去の出来事の捉え方と肯定的な実存主義
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自己超越による「外へ向かうまなざし」の重要性
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「外へ」向かう「まなざし」が精神によって可能になる理由
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自己超越の概念と「外へ」向かうことの意義
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過去の出来事に縛られず、現在の状況に対する態度の変化
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実存主義における運命に対する態度の重要性
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フランクルが説く「コペルニクス的転回」の発想転換の重要性
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人生における自己中心の視点から外へ向ける視点への転換
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人生の意味を問うのではなく、人生が何を期待しているかを考える視点