2週間中国安陽市にいる間、最初は治安が心配で自由時間でもあまり外に出ませんでした。

部屋でのテレビ鑑賞も飽きた頃、殷墟に行きたくなって、タクシーを捕まえ「殷墟」と書いた紙切れだけで行ってきました。

中国のタクシーは緑と黄色のツートンカラーなのですぐにわかります。

ただし乗る位置に注意。基本助手席に乗らないと不審がられます。

後ろの席に座るのは、運転手からすると恐怖なのです。治安が良い日本ではわからないですが。


私、殷墟に何の知識もらなくただ近いから行ってきました。なので、英文で書かれた掲示板を一生懸命読んでました。

そこには馬車や馬、それを操縦する人のミイラがあるのです。



何故にそんな状態でミイラになってるのかわからず、ちんぷんかんぷん。

掲示板の中のburiedという単語の意味がどうしてもわかりません。近くにいた博文館員を捕まえて英語で説明して貰っても、その単語がネックでわかりません。

すると博文館員の人がスコップを掘る動作をしたので、すぐに埋められたんだとわかりました。

で、さっきの掲示板を再度読み驚き、living man was buriedという一文がありました。

生き埋めにされた人もいる。えー!どういうこと?


頭がパニクってます。

なんで生き埋めなのかわかりません。

また博文館員を捕まえて、英語で質問攻め。

それで、ようやく見えてきました。その当時の君主が亡くなると、奴隷は君主の来世に仕えさせるため処刑または生き埋めにされ、君主と一緒に天国に送られたことを知りました。

その当時の考えなので、私たちが理解できる内容ではありません。

そう考えると、君主一人に何人の大人や子供が殺されたことか…、恐ろしい時代です。

馬車の操縦士の中には子供のミイラもあり、現代ではあり得ず知識が追いつかない訳です。

子供の奴隷でさえ、亡くなった君主のために殺されたのですから。

最初に見た馬車は地下2メートルのとこにありましたが、もっと深く10メートルのところにもミイラがありました。砂漠地域なので、深く掘ればいくらでも出てきそうなところです。

ただこれが薄暗い地下で、階段を3階層下った先にあり灯りは40ワットぐらいの裸電球一個のみ。博物館員もいない無人なんで、怖くてすぐに引き返してきました。古いものとはいえ頭蓋骨そのまんまですから。


最後に売店に寄ると、何かの骨に甲骨文字が彫ってあるものがあり、70元程で売ってました。1元は15円程ですが、価値的には100円に近いので、7千円のお土産だと思って買って帰りました。

寄宿舎に戻り中国人に聞いたら、それニセモノだよって、あっさり言われてしまいました。

まあ歴史の資料書で見るようなものが直接見れたのですから良かったですけどね。