わたしはこれまでの人生で実に様々な

不思議体験をしてきました。

 

しかし、今まであまりそうしたお話を

積極的にはしてきませんでした。

 

しかし、どうやらこうしたことを話しても

受け入れて頂けそうな時代になってきた

感じですので、これからは少しずつ、

わたしが実際に体験した摩訶不思議な

お話もしていこうかと思います♪

 

 

今回のお話はかなり以前に書いたものを

改めてブログ用に書き直したものです。

 

小説風ですが、ここに記載したことは

全て実際に起きた出来事です。

 

少し長いですが、ぜひお楽しみください♪

 

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わたしは横浜で生まれました。

しかし、その後、関東各地を転々とし、今に至るまでに八回も引越しをしています。
おかげで一緒に育った友垣というものが近くには全くおりませんで、成人式もそれがゆえに行かなかったくらいです。

いや、正直に言うと、行きたくても行けなかったというのが正しいのです。

久し振りに再会した友人同士が肩を叩き合って互いの無事を喜び合う。
そんな寿ぎの空気の中で、独りだけポツンと取り残されている自分の姿が容易に想像されて、居たたまれぬ寂しさを覚えてしまったからです。

そんなわたしが今までの人生で一番長く住み、最も多感な少年時代を送ったのは千葉県でした。
これはその千葉県在住時代に体験したお話です。


今から40年近くも前のこと。
小学2年の夏休みにわたしの家族は千葉県市原市に居を移しました。

ようやく慣れた学校や級友たちと別れて見知らぬ土地に迷い込んだわたしは、引越し当初から近在の少年たちと衝突してしまいました。

 

 

 


それまでのわたしは東京の足立区に住んでいました。
当時はまだ田んぼがあちらこちらに残っていたとはいえ、殆ど自然といえるようなものはなくて、工場から立ち昇る煙や環七を走る車の排気ガス、墨汁より黒い綾瀬川の臭気といったものに囲まれてわたしは育ちました。


引越し先の市原で初めて見た空は本当に青くて高かったことを覚えています。
空気がピリリとして、胸に痛いような感じさえしました。

なにしろそこは小さな山の斜面を削って作られた村落のような住宅地で、深い谷を隔てた真向かいは広葉樹の生い茂った山並みが続いているという、実に辺鄙な土地柄だったのです。

狩猟の季節になると、鉄砲をかついだ猟師が数頭もの猟犬を連れて、向かいの山に入っていく姿を何度も見ました。
ドーンと腹に響くような大きな音がすると、撃たれちゃかなわないとばかりに雉たちが向かいの山からこちらの住宅地に向かってバタバタと飛んで逃げてきました。

自然が豊富な小さな山で、カエル、ヘビ、カブトムシ、ホタル、リス、滅多に見ないけれど、野生のウサギさえいました。
だけど、山に入るとなにより多く目についたのは微細な蜂たちでした。

 

お寺の夏祭りに向かう道中、真っ暗な田んぼの中の道を行くと、たくさんの蛍たちが満天の星空のような輝きでわたしたちを包み込みました。
秋にはあけびや柿がたわわに実り、ホタルブクロが風に揺れる姿が幻想的でした。
冬枯れの季節にはモズが高く鳴き、葉を落とした山の木々が黒々とした枝を天に向かって屹立させます。

幼い頃、わたしが育った場所はそんな草深い田舎の土地なのでした。


「東京から越して来た人間」

すぐにその匂いは消え失せ、わたしは地元の子供たちと溶け合っていきました。

でも、初めて顔を合わせたとき、恐らくはわたしの言動の一つ一つに自分たちとは違う何かを感じとったのでしょう。
彼らはわたしを囲み、暴力で歓迎しようとしたのでした。

 

 

 


そんな中、どういうわけだか一人の小さな少年だけが最初からわたしの味方をしてくれました。

本当に無鉄砲でやんちゃな奴でした。
だけど、今までの都会生活では会ったこともない、キラキラした目をもつ男の子でした。
彼のとりなしでその場はどうにか事なきを得ました。


その後、子供同士の小さな諍いはすぐに終焉を迎えました。

喧嘩するのも早いけど、打ち解けるのも早い。
それが今も昔も子供の特権なのでしょう。

やがてわたしたちは何をするのも一緒という仲間同士の付き合いになっていきました。
だけど、中でも一番といってよいほど遊んだ友達は彼でした。

わたしが空手を習い始めれば、彼もすぐに入門してきました。
一緒に小学校に通い、休みの日には親が知ったら怒りそうなほど遠くにまで自転車で出かけ、向かいの山をくまなく探検し、炭焼き窯を秘密基地にしました。

今となってはもう思い出すよすがさえないほどの遠い思い出です。


一つ年下の彼は、或いはわたしを兄のように慕っていてくれたのかもしれません。
いや、あの行動力と義侠心溢れる性格からすると、そう思うのはわたしの驕りかしら。

彼の中にあるものは、荒削りで純粋な勇気、もしくは純然たる怒りの感情だったように思います。
誰もが怖がる高い崖から平気で何度も飛び降りたり、ヤマカガシを掴まえては首に巻いて自慢して歩いたり。
とにかくやることなすことが当時の基準からしても破天荒な少年でした。

 

(続く)