弔 辞 ~ シェフ佐々木淳穂へ ~ | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

  (一)

 二〇二三年十二月二十六日、幼なじみの淳穂(あつほ)が死んだ。淳穂はイタリアンの料理人だった。

 インフルエンザ罹患(りかん)から肺炎を発症し、札幌の大学病院でエクモ(ECMO)(体外式膜型人工肺)による治療を受けていた。淳穂には糖尿病という基礎疾患があった。四十日ほどHCU(高度治療室)で治療を受けていたが、力尽きた。六十四歳だった。

 一報は、二十七日の早朝のこと。淳穂の妻、さとみからのLINE(ライン)だった。中学時代、私は野球部員で、さとみはマネージャーだった。淳穂も一時期野球部にいたが、柔道部へ鞍(くら)替えしていた。さとみは夜が明けるのを待って、連絡をくれたのだ。

 朝、会社へ顔を出し、すぐに遺体の安置されている斎場へと向かった。さとみは、東京から駆けつけていた娘と二人で淳穂の傍らにいた。私は遺体を前にひとしきり泣いて、会社へ戻った。仕事を終えてからえみ子を伴って、再び斎場へ赴(おもむ)いた。

 通夜が二十八日、告別式は二十九日だという。

「ねえ、けんちゃん。お願い、あるんだけど……。弔辞、読んでもらえる? 通夜と告別式の両方なんだけどさ」

「えッ? ……(弔辞? ……両方?)」

 五十年を経ても、マネージャーは、マネージャーだ。逆らえない。しかも、現在の私の伴侶、えみ子を紹介してくれたのもさとみだった。

 このさとみのムチャ振りで、私の悲しみは吹き飛んだ。それどころではなくなったのだ。告別式にくる人は、通夜にも出ているはず。同じ弔辞はダメだろう。どうする……。何をどう書けばいいのか。ネットで調べている時間はなかった。自分の心を伝える、それしかない。

 無我夢中の二日間だった。通夜も告別式も、当日は上の空である。滞りなく弔辞を読み上げる、ただその一点だけだった。緊張の極の中にいた。それぞれの弔辞は、当日の明け方近くまでかかって書き上げた。書き始めると涙が込み上げてくる。期せずして、淳穂と過ごした濃密な二夜となった。

 

 

  (二)

  弔辞〈二〇二三年十二月二十八日 通夜〉

 アツホ、聞こえるか。みんなの溜息。まだ、六十四歳、早すぎだろう……っていう溜め息。完全に順番狂わせだな。

 まさかさ、お前の弔辞をこうして読むことになろうとは夢にも思ってなかった。だってさ、報せを聞いたのは、昨日(十二月二十七日)の朝だぜ。そりゃ、誰もが驚くさ。オレだってそうだ。

 今のオレは、ものを書くのを半分、仕事のようにしている。でもさ、弔辞なんて書いたこと、ないんだよ。どうする……。

 何年か前に、赤塚不二夫のお別れ会でタモリが弔辞を読んでいたな、覚えてるか。タモリが祭壇を前に奉書を広げていたけど、カメラが映し出した紙には文字が書かれていなかった。奉書を読むスタイルにしなければ格好がつかないので、と後にタモリが明かしていた。そんな芸当、オレにはムリだよ。

 さとみがな、今日と明日の二回お願いって言うんだよ、弔辞。そんなこと聞いたことないよ。二回も弔辞読むなんて……。でも、オレはヤルよ。オレたちは、そういう仲だから。

 オマエ、その辺の上から今のこの光景を見ていると思うんだけど。この遺影、なかなかいいよな。本当はこの写真、オレとのツーショットだよな。見事にオレがカットされてる。写真屋もやるもんだな。フェイクだよ。

 でも、アツホ、オマエが死んだことは、まだ、オレの中では、フェイクなんだよ。オマエの訃報に接した人、みんなそう思ってる。現実が受け入れられない。一番そう思っているのは、さとみだけど。

 オレたちは幸いにして「ド」がつくほどの田舎で生まれ育った。キーワードは「様似(さまに)(町)」だ。だから、幼稚園から高校まで、ほとんどの仲間が、エスカレーター式の一貫教育を受けてきた。オマエの報せだって、またたく間に広がった。蜘蛛(くも)の子を散らすようにワーッとな。

 オマエはみんなの自慢、一流シェフだ。だから、ズルイんだよ。オレなんか今死んだら、悲しんでくれる人、少しはいるかもしれない。でもさ、何年かすると忘れ去られていくんだよ。フェイドアウトするようにファーッとな。でも、オマエは違う。ここに集まってくれた人もそうだが、来られなかった人にとっても、その人が死ぬまでオマエのことは忘れないよ。みんな、オマエに魔法をかけられているんだから。オマエがかけた魔法は、みんなの舌に「味覚の記憶」として残り続けるものだ。それは、ペペロンチーノだったり、ペスカトーレ、カルボナーラ、フォカッチャ、ミネストローネ、カルパッチョ、エキストラバージンオイル、バジル、ズッキーニ……、あれ? なんだか怪しくなってきた……。

 フォカッチャって、パンだったよな。うまかったな~、あれ。パンナコッタ、栗山町の小林酒造の酒粕で作ったプリンみたいなやつ。あれは最高傑作! そう思うだけで誰もの脳裏にその味が甦(よみがえ)る。でもさ、もう二度と、二度と味わえないんだよ。それが、オレたちに突きつけられた現実、悲しみなんだよ。だからさ、アツホ、オマエのことは、忘れないよ。

 マーノ・エ・マーノでさ、一般のお客さんが帰った後、氷下魚(かんかい)を毟(むし)りながら、オレタチだけの時間が楽しかった。だから、忘れない。

 でも、マーノの後半は大変だったな。脚の手術もあったし。

 お店を閉めるとき、オレ、手紙書いてきたんだよ。何日も練って書いたんだけど、酔っ払い過ぎて、オレ、読めなかったんだよ。だから、忘れられない。

 今のお店になっても、コロナ(ウィールス感染症)もあったし、骨折したり、いろいろあったさ。そしてこの一か月ちょっと、様々な機械に繋(つな)がれて、命を保ってきた。大変だったな。やっと楽になれた。

 

 オマエのこと、忘れないから。ゆっくりと休んでください。

 

  佐々木 淳穂 様

                          近 藤  健

 

 

  (三)

 アツホ、おはよう。夕べはよく眠れたか? ずいぶん、楽になっただろう。それじゃ、約束どおり、昨日の続きをまたやるか。

 

 弔辞〈二〇二三年十二月二十九日 告別式〉

 あれは、十三年前? いや、もう十四年になるか。オレが東京から異動で北海道に戻って、すぐのころだった。

 マーノ・エ・マーノを訪ねたことがある。お昼のお客さんが、ちょうどはけた時間だった。オレがお店に入ると、誰だ? という顔でカウンターの向こうからアツホが顔を出した。

「おおッ! アツホ、久しぶりだな」

 声をかけると、さとみの顔も横からニューッと出てきたんだ。二人で、遅い賄(まかな)いを食べていたみたい。

「やー、さとみ! 久しぶりだな~」

 というと、二人並んで怪訝(けげん)そうな顔を向けてきた。

「オレだよ、オレ!」

 って言っても、ピンときていない。しまいには、

「あの……失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 ときたもんだ。古いお客様が訪ねてきたんだろう、っていう顔だった。仕方なく、

「こん・どう・けん!」

 と明かしたとたん、ウワァーともギャーともつかない叫び声を上げて、お前たち、飛び出してきたよな。三十六年ぶりの再会だった。覚えてるか?

 幼なじみって、すごいんだよ。どんだけブランクがあって再会したってさ、一瞬にしてむかしに戻っちゃうんだから。不思議なもんだな。

 それにしても「どちら様ですか」には参ったな。それだけオレが垢(あか)抜けて変貌を遂げたと、頑張ってプラス方向に解釈している。だけど、オマエの目はさ、

「なんだ! その病気の犬のような毛並みは」

 と言ってたな。会うたびにオレの頭を撫(な)でるようになった。この遺影の笑顔も、そんなひと時の余韻が残っている。いい写真だ。

 昨日はさ、オマエがオレたちにかけた魔法の話、「味覚の記憶」のこと言ったけど。もう一ついいか。

 オレはいつも、「な、アツホ、ナポリタン、なんでメニューにないんだ。イタリアンのくせにナポリタンがないって変だろう?」

 そんな突っ込みを入れるオレに、

(バカ言ってるんじゃねえよ。それはイタリアンじゃない)っていう顔、してたな。

 あるとき、オレの高校時代の友達が奥さんの両親を伴ってマーノにきたことがあった。後でオレも合流したんだけど。その老齢な父親がメニューを見ながら、「ナポリタン」が食べたいというようなことを口にした。それをカウンター越しに耳にしたオマエは、近所のコンビニに走ったんだよな。ケチャップを買いに行ったって、後にアルバイトの女性から聞いたよ。

 初対面のお父様が、

「私はこんな美味しいナポリタン、今まで食べたことがありません」

 というようなことをオレに言ったんだよ。(なにィー、ナポリタン、出したのかよ)って思ったんだ。カウンターの向こうのアツホに、

「聞こえたか、美味しかったってよ」

 と言うとニヤリと笑ってた。ニヤリとしただけで何も言わない。それがアツホなんだよな。

(オマエ、高倉健じゃないんだから、もう少し何とか言えよ)と思うけど、オレは知ってるよ、そんなオマエのやさしさ。でもさ、オレには作ってくれなかったな、ナポリタン。

 

 アツホ、オマエは今、オレの目の前に横たわっている。コックコートを着て、コック帽を被ってさ。なんだかカッコイイよ。粋な計らいだよな。

 そんなオマエの姿とも、もうすぐお別れだ。その時間が近づいている。「見納め」「最後のひと時」という言葉がチラつき出してる。やり切れないなー。

 昨日、通夜でお坊さん、言ってたよな。死別は悲しいこと。でも、悲しまなくていい。いつも心の中にいるからって。

 そうだよな。そのとおり。お坊さん、もう席を外しちゃたから大丈夫だよな。そんなこと、わかってるよ。みんなわかってる。でも、無性に悲しい。悲しいものは、悲しい。それを受け入れるには、時間がかかる。

 

 アツホ、お願いがある。オマエがいなくなって、心の底から悲みに打ちひしがれているのは、さとみだ。オレたちには計り知れない悲しみだと思う。誰もが通る道だから、仕方がないんだよな。でもさ、さとみが仕事から帰ってきて、真っ暗な部屋に入って、

「ああ……、アツホ、いないんだ……」

 それって、辛いよ。これまでにさとみ、どんだけ涙を流してきたか。

 告別式が終わったら、みんないなくなってしまうだろ。それって……、耐え難いことだ。

 だからさ、お願いがある。時々、出てきてやってくれないか。ほんのちょっとの間でいい。オバケになって、とは言わない。ほんの少し、気配だけでも感じさせてやってくれないか。

 オレ、ナポリタン食えなかったこと、もう言わないからさ。

「パンナコッタ、また食べたいよ」って言わないから。

 だから……、お願い。

 

 アツホ、さようなら。また、会おう。

 

  佐々木 淳穂 様

                           近 藤  健

 

  2024年2月12日 初出    近藤 健(こんけんどう)

 

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