(この写真はあの日の前日)

あの日、
東北の人と比べたら全然震度は低いのですが、
やはり、自分の命の危険を感じました。

仕事中で、
患者さんのベッドに挟まれて身動き取れなくなるのでは!?
と体感震度では思いました。


多くの人にとっては、3.11がメインだと思いますが、
私は3.11も翌日の栄村大地震も心配でした。

私の出身は、長野県の北部です。
栄村は、実家から車で1時間ちょっとくらいの場所です。

3.11で私は実家の心配をしつつ、
独り暮らしだし余震が怖くてラジオを聞いてました。

3.12 早朝、栄村大地震がありました。
早朝だし、東北の地震みたいに東京まで揺れが届く感じは少なくて、実家の両親には連絡とれました。

不謹慎だけど、
世間は出歩くのを躊躇っていた感じがあったけど、
飲むことしか私には出来ないから、
3.12から全く出掛けることを制限せず、
もしもの時のために、歩いても疲れないようにスニーカーで動き回り、
自分は飲み屋でいっぱいいっぱい注文してお金遣ってました。
おかげで貯金がない状態だったけどね。

2011年の4月
大好きなゆずのライブを名古屋で迎えました。
まるでこの地震を予知してたんじゃないかと思うHEY和を聞いて、
心が震えた。

(あっ、HEY和という曲は献血キャンペーンの曲でしたけどね。)

私には東北の皆さんに直接何かをすることができなかったけど
遠くからエールを送るぐらいはしてきた。


2012年正月、
あと数日で誕生日を迎えるはずだった父方の祖母が他界しました。
あの日の翌日の栄村大地震が精神的にダメージを与えたのか、
介護していた母が“あの日のあとから認知症がひどくなり、足の筋力も落ちてしまった。衰弱していく一方だった。”と話してました。
でも、
“ばあちゃんはそれでも幸せに息を引き取ったね。正月番組をみて大笑いしている家族のそばで静かに昼寝してるかのように旅立ったよ”と。
家族って大切だなと感じました。


あの日から1年半経過した2012.09.11
たまたま両親と岩手県の大槌町に行きました。
(どこ?って言う人へ、 船が屋根の上に留まってた場所です。あえてその写真は拾ってきませんけどね)


大槌町役場。


役場の側の建物


基礎しか残ってない現地は、本当に衝撃でした。



それからしばらく経った2015年、
再び、今度は
一人で東北の旅にでました。

あまちゃん。(久慈駅)
三陸鉄道。


残ったまんまの大槌町の風景。




釜石駅。
とっても穏やかな町です。
そして、駅のそばの山?丘?に薬師公園と言うところがあり、
観音像があって、街の皆さんがここに逃げたんだろうなぁと想像ができました。
辛くなりました。
だけど、世界遺産とか2019年のラグビーワールドカップの開催地に選ばれたり、
とっても魅力的な場所なんだと
自分の足で訪れて感じました。



それからは、東北に行くチャンスが無かったので、
ふるさと納税で支援。


もちろん、東北だけが苦しんでる訳ではない。
栄村だって、熊本だって。

霞んでしまってるけど、小谷村だって震度6弱あった。
その小谷村は、村の住人が強力…協力的で、死者を出さずに頑張った。


そうなのです。
今は、どこで大地震が起きても不思議ではないのです。

昔から、30年に1回くらいの頻度で大地震があるのです。
東日本大地震が6年前。
あの日から5年後に熊本大地震。

あと24年経たないうちにきっと地震はあるはず。
(予知って意味でなくて、警告な感じ)


だから、
自分の身は自分で守ることが大事です。
家から近い避難所は確認してますか?

家族と災害時の動き、確認できてますか?

もしもの備え、今からでも遅くないので、準備お願いいたします!