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Beyond―愚直に、ひたむきに生きるー

独立研究者として子ども・若者参画について論文を執筆しています。ちなみに発達障がい当事者でもありますo(≧∀≦)o。よろしくお願いします。

 お世話になっております。バッシー@管理人です。私は、この連休を利用して専門書を読んだり、英語の勉強をしたり、インタビュー調査の記録の文字起こしをしたりしています。論文も書いていますが、社会人として仕事をしながらの執筆なので、ペースが遅いのが実感です。

 さて、今日は、標記のテーマに関する本のご紹介をいたします。

 一冊目は、北大院生協議会史編集委員会著の『北大院生協議会史 大学院生の苦闘と成長の歴史』(花伝社・2024年)です。この本は、北海道大学の院生協議会の戦後から2000年代までの歴史を紐解いたエピソード集になります。大学院生協議会の活動が大学院や大学院生にどのような影響を及ぼしたかについて振り返っている本です。

 二冊目は、日本比較教育学会編『比較教育学研究第69号』(東信堂・2024年)です。日本比較教育学会の紀要ですが、特集として「大学教育への学生参画の比較研究」として米国・英国・台湾・フィンランド・スウェーデンの大学の学生組合や学生参画について論考がまとめられています。私もこれから読んでみます。

 三冊目は、加野佑弥著『大学における能動的シティズンシップ教育の導入』(法律文化社・2024年)です。この本は、大学における学生参画を直接扱ったものではありませんが、大学における授業を中心としたシティズンシップ教育に関する本になります。これも私はこれから読んでみます。

 以上、三冊、本をご紹介いたしました。

 東京大学の授業料値上げ問題で、学生参画について新聞等でも取り上げられていますが、こうした動きを一過性に終わらせず、学生の教育を受ける権利を保証し、教育改善を継続的に行っていくような努力が関係者には求められます。

 私は岐阜大学時代に学生自治会長を二年間務め、北大では院生協議会の総務班のメンバーとして活動をしてきました。北大には、教育学研究科と公共政策大学院教育部に院生協議会があり、地味ではありますが、活動を現在も続けています。

こうした活動にも目を向けつつ、自分の研究活動をしていきたいと考えております。

ちなみに、「学生自治論」という思想も学生運動の衰退で死語化してしまった印象があります。しかし、運動論のアプローチではなく消費者権利論や大学経営論のアプローチで考えれば新しい切り口で考えることができるかも知れません。

 私は、学生自治会の活動をしていたときに、学生に対し、繰り返し述べたことは、コスト意識を持つことの大切さです。つまり、学生として大学教育を受けるにあたり、授業料負担に見合った教育を自分が受けているかどうか、チェックすることが肝要であるということです。当時は、国立大学の法人化や運営費交付金の削減といった「改革」が次々と政府から打ち出され、授業料の値上げは目に見えていたからです。現在、東大の授業料値上げの問題が噴出していますが、私個人から言えば、学生自治会が大学運営上の決定権(より厳密に言えば、授業料の決定権)を持たない以上、反対運動をするのは無意味です。そうであれば、むしろ、コスト意識を学生に持たせ、大学のやることに目を光らせる方が効果的です。

 

 ちなみに、北大の院生協議会は、大学院経営の一環として予算会議に院生が参加できる権利を持っているほか、院生のリクエストで外部教員による集中講義を実現できます。また、院生協議会を通じて院生のリクエストした書籍を優先的に借りることができる制度もありました。

 

 個人的には、消費者権利論や大学経営論的アプローチだけでなく、教育論として学生自治は推進していく必要があるように思います。すなわち、選挙権年齢の引き下げが実現し、被選挙権年齢の引き下げの動きがある中、学生をシティズンシップ教育の一環として育てていく責任が大学にも求められるのではないかと考えています。とりわけ、教員養成系の大学・学部は、特別活動として学級経営や児童会・生徒会活動を指導する教師の養成が求められます。そうであれば、「面倒くさいから」とか、「手間がかかる」からと言った理由で、こうした自治的活動から学生は逃げてはいけないし、教員養成の大学・学部の教員も軽んじてはいけない。むしろ、子どもの模範となるような活動を積極的に推進していく必要があるのではないでしょうか。こうした教育論は、教員養成系大学・学部以外の学生にどう広げていくかは課題ではありますが、以上のような議論を踏まえれば、教員養成系大学・学部は、学生自治・学生参画をむしろ積極的にリードしていく社会的責任があると私は思うのです。

 みなさんは、どう考えますか。