ギャンブル。 | 南の島から来た男アゲイン

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生きてるって、素晴らしい。

たまたま映画情報見てたら、懐かしのマカロニウエスタンが劇場でやってるということで、これは観ておかないと後悔するからね、昨日観てきました。若きクリント・イーストウッドが、荒廃した町の悪者たちをやっつけるっていう(笑)、日本で言えば寅さんみたいなもんだね、お決まりのストーリーで暴れまくっています。こういう世界観、あったよな。笑

一平さん、どうしちゃったのよ?と、日本中どころか世界中からため息が漏れるような残念な報道があったよね。まさか、ウソであってほしい、本当なのか?と、きっと誰もが何度も何度も耳を疑ったことと思います、俺ももちろん何かの間違いだろうと最初は思ったもんね。あまりよいニュースでないので積極的にいろんな報道見たり聞いたりした訳ではないんだけど、どうやらここ数年間ギャンブルから抜け出せず負債が日本円で6億円超(!)だということなのよ。で、まず今回の出来事については、あくまで俺の個人的な推測だということを断った上で、ちょっと言いにくいけどハメられた感満載ではないか?と思うんだよな。詳しいしくみは知らないけど、例えば誰かほかの人が同じようにギャンブルに興じて負けてばかりになり、手持ちのお金が底をついたとしましょう。これで終了でしょ、それ以上はもう賭けるお金がないんだからいくら依存症だと言ってもお金がなければギャンブルはできません。もしかしたら何かしら担保に、或いは法外の利子で多少は貸してくれるのかもしれないけど、さすがに6億円も貸してくれることはないと思うんだよね。要は、一平さんが大谷選手の通訳をしてる特別な人であり、もちろん一平さんの年収も億単位だといわれてるけど、どうにもならなくなればきっと大谷選手が返してくれるはずだと、そういう読みがあっての負債ではなかろうかというのが、俺の読み(笑)です。いや笑いごとじゃないんだけど、普通の一般人には絶対そんなに貸してくれないと思うよね。

もうひとつ、この世の中にギャンブルって必要なのかな?っていう、これも俺の個人的な考えが昔からあって、そんなに面白いですか?って思うのよ。俺はこの日記にたびたび書いてるように、人間はそんなに合理的には生きられません、無駄があって当然だしそこが人生のバラ色の部分だと思ってるけど、ギャンブルってなると遊興というにはリスクが高すぎると思うのよ。ディズニーランドで遊んできましたとか、ちょっと気晴らしに買い物しちゃったとか、そういうのとレベルが違うでしょ。お金を賭けて興奮するっていうその気持ちというか心境というか、俺の想像力フル稼働させてもわからない(笑)。だってね、予めテラ銭っていうんだっけ?違ったかな、胴元?さんに入るお金って決まってる訳でしょ、俺の記憶に間違いなければ確か日本の競馬が25%じゃなかったかな、宝くじに関しては50%とか言われてて(笑)、これ絶対勝てない仕組みになってるんだよね。まぐれで一度くらいは勝つかもしれないけど、だからといって何度もやってたら、これは確率の問題としてテラ銭のパーセンテージに確実に近づいていくということくらい、少し考えたらわかると思うのね。だからなくしても惜しくないようなお金を持ってる人が、その余ったお金で遊ぶのがギャンブルなんだと、そう考えると決して品の良い遊びとは言えず、そのお金寄付でもしたらどうなんだ?って話なんだよな。そもそも働かずに楽してお金を増やそうなんていう卑しい気持ちを持つこと自体が不健全、普通に働いて稼いだお金で収まるような生活をすればいいと思うけどね。俺はこの世からギャンブルがなくなればいいと、これ以上人生を棒に振るような人が出てこないようになってほしいと思ってるんだよね。

だってね、ギャンブル依存症とかいうけど、ギャンブルがなければ依存症も何もない訳で、そもそも人間なんてそんなに強くないに決まってるにも関わらず、その弱みに付け込むような遊びで身を亡ぼす余地を残す意味ってね、あるのかね?さらに言えばその善良な市民が身を持ち崩すような思いで工面したお金で潤ってるのは誰なんだ?ってことなのよ。誰なんだ?そんなのだいたい想像つくよね。そんな非合法な方々を潤すためにどれだけの人たちが人生棒に振ってきたのか、俺はこういう事件をきっかけにそろそろ考えないといけないんじゃないのかな?と思います。最終的にお金では買えない信用という一番大切なものまでなくしてしまうってね、悲しい話と俺は思うね。