刑事事件における加害者の言い分と被害者の心理

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たとえば、傷害事件が発生しました。

 

被害者はビール瓶で殴られたと被害届を出したとします。

加害者は、ビール瓶で殴ったかはともかく、

暴行行為を行ったことは認めています。

なお、ビール瓶では殴っていないという目撃証言があります。

 

まず、ビール瓶で殴ったかどうかは、

ことの悪質さを示す重要な事実ですが、

この点は、目撃証言の信用性や他の証拠との兼ね合いの問題になるので、

ひとまずおいておきます。

 

加害者は、被害者の先輩的立場にあり、

被害者の不遜な態度を咎め、

教育的立場で指導をしようとして行き過ぎた、

行き過ぎてしまったことについて、

謝罪の意を示しています。

 

加害者の親的立場にある人物は、

被害者の親的立場にある人物に謝罪を申し入れましたが、

受け入れられませんでした。

 

加害者としては、

謝罪の申し入れをするなど筋は通した、

教育的指導というきっかけがあったのだが、

結果的に行き過ぎてしまった、

という言い分を持っています。

 

さて、こういったことは、

実際の刑事弁護では、

よくあることです。

 

警察の捜査を受け、暴行行為を認めている以上、

謝罪の意思を伝えようとするのは、

最低限度の常識です。

 

ただし、もし、謝罪の意思を伝えることを拒否されても、

謝罪を受け取ってくれない被害者を批判してはいけませんし、

そのようなそぶりを示すこともだめです。

刑事事件の被害者は、

事件の被害で心身が疲弊し、

加害者やその関係者と面談すること自体が、

苦痛だから、

拒否するのは当たり前と考えなければなりません。

 

ですので、刑事弁護では、

謝罪の意を伝える努力はしたが、

結局受け取ってもらえなかった。

自分がしてしまったことを考えれば、

当然だと思います、

と述べるのが、当然の在り方ということになります。

 

また、犯罪行為は釈明の余地はないが、

そのことに至る経緯は、

斟酌してほしいというケースもよくあります。

 

たとえば、侮辱的言動を被害者から浴びせられて、

憤りのあまり手が出てしまった、

というケースでは、行為自体は犯罪であっても、

その経緯に酌むべき点があるといえるでしょう。

 

しかし、教育のつもりだったが、

行き過ぎたという言い分は、

あまり心に響きません。

 

もし、裁判になって、

教育的指導が行き過ぎたと弁明しても、

そのことを斟酌してくれる裁判官は、

極めて少数だと思います。

 

なぜなら、教育と暴力は、

全く結びつかないからです。

 

結局、

「教育的指導のつもりでやったが、

そのようなことは言い訳にならないことは、

今であればわかります。」

という風に述べるのが正しい在り方でしょう。

 

犯罪行為が行われた場合には、

被害者の心境をおもんばかるのを第一に考えるべきではないでしょうか。

沈黙して耐えている被害者に対しては、

そっとしておいてあげてほしいと思わざるを得ません。

 

 

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