国旗掲揚塔修造工事、完成! | 出雲大社新十津川分院のブログ

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当分院の日常を徒然なるままに書き綴ります。

先月より行われていた国旗掲揚塔の修造工事が、完成致しました。

台座部分を御影石で化粧する作業も、無事終了。


こちらは、先日行われていた、台座を作る工事の様子です。







台座の中には、出雲屋敷地鎮祭のお札が納められました。

この様に納められ、

しっかりと蓋がされました。

完成した姿がこちらです!

台座の上に黒御影の石碑が立てられています。



正面の碑には、『御教(みおしえ)のうた』(出雲大社『風教百首講説』より)が彫られています。

分院長の妻である、間宮浩子が浄書致しました。


この御教えの歌と、国旗掲揚塔の高さの由来については、向かって右の碑に刻まれています。

以下、この内容を掲載します。

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碑文


『御教のうた』について

出雲大社は、御祭神大國主大神が神代の昔この国土をお開きになったご功績を天照大御神がお慶びになり、特に大神の為に柱は高く太く板は広く厚く、高天原の宮殿の如くお建てになったのが初発(はじめ)であります。多くの神々が御集りになり、きづかれた故事により『杵築宮・きづきのみや』ともいわれます。
 御教えの歌は、大國主大神が天照大御神のお申し出を謹んでお受けになり、争いを求めず平穏の内に『国土奉還』を成し遂げ、自らは多くの御子神と共に皇室と国家の守護神となられた、『和譲・わじょう』の御神徳をお称え申し上げております。
 出雲大社はその高さ、神代には三十六丈と伝えられ、中世には十六丈(四十八メートル)現在の御本殿は八丈(二十四メートル)であります。当分院の国旗掲揚塔の高さは現御本殿の高さに一メートルご遠慮申し上げた二十三メートルで御座います。
当分院の掲揚塔の高さを以て、遥かなる出雲大社の壮大な御本殿に思いを巡らせて戴きたく存じます。
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この国旗掲揚塔修造工事の由来は、向かって左の碑に刻まれています。


以下、この内容を掲載致します。

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碑文


宗祠 出雲大社 平成の大遷宮謹仕、奉拝記念
国旗掲揚塔修造工事  当分院初代教会長の孫 故 奥シメ子殿奉献の浄財により。

 出雲大社(島根県大社町杵築東御鎮座)に於きましては、六十年に一度の平成の大遷宮 本殿遷座祭が去る平成二十五年五月十日勅使御参向の許全国より一万二千人の御参列を戴き、厳かな中にも晴れやかに芽出度く斎行されました。
此のご盛儀にあたり当分院教信徒が挙って真心のみかえし浄財を捧げ神恩感謝の誠を尽くし、出雲大社よりは分院長に仮殿遷座祭(平成二十年四月十日)・本殿遷座祭(平成二十五年五月十日)二度の重儀に祭典奉仕の栄を賜ると共に、特に教信徒の遷座祭参列のお許しを戴きました。
国家の安泰、皇室のご繁栄、宗祠 出雲大社の隆昌を願い此れを記念と致します。

平成二十六年七月吉日  出雲大社新十津川分院 
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裏面の石碑には、島根県出雲大社のご本殿の写真を掘り込みました。



台座の裏面には、この修造工事に携わって頂いた方のお名前を刻みました。

ポールの塗装をご奉仕下さった、齋家の大畠英明さんは、当分院の第2代教会長、大畠直列氏の子孫です。

なお、この度の国旗掲揚塔修造工事には、当分院の初代教会長、下村万太郎氏のお孫さんである、故・奥シメ子氏が生前 分院に御奉納下さった御浄財があてられました。


分院の護持運営において常々思うことですが、ご先祖様を思う齋家皆さまの真心があってこその、分院の安泰と繁栄であることを思わされます。

この度の事業にも、初代・2代の各教会長さんの御子孫が深く関わって下さいました。

ありがとうございます。





今週日曜の祖霊社大祭では、国旗掲揚塔修造工事完成を記念して、国旗掲揚式を執り行います。