道友の遊郭部氏による風俗文献復刻第四弾「白線の女」を此度拝受。一気に読破す。
原著は「日本売春史」「日本売春社会史」などを書き記した中村三郎氏による。発行は売春防止法実施前夜たる昭和三十三年一月。
遊郭部氏によって原著を忠実に再現。帯に踊りたるは往年のカストリ雑誌を彷彿さるる刺激的且つ扇情的なアプレゲール的文言の数々。
アカデミックな視点で取材を敢行した中村三郎氏による「街娼学」の調査記録が付録に収められている。下記は付録の一部「更正を主体とした特飲女性と日常生活」より。戦後売春史の資料として希少性が高い。
至極大まかに言えば赤線を根城にしている娼婦がプロであるのに対し、白線(ばいせん若しくはぱいせんと読む)は素人の娼婦、街娼。遊郭部氏が指摘するように、著者によってある程度の脚色が加えられていると窺い知れるものの、四十九名の女たちの声なき声が告白形式で収められている。時に拙く、時に生々しく、何故春を鬻ぐようになったか、彼女たちの「自分史」が綴られている。
「吉原の新月で働くようになり昨年十月までつとめました。私のももの般若の面はそこにいる時ほったものです」
「私が今、こんな姿になりましたのも父の罰かも知れません」
「お客さんを最初は恐ろしいと思ったのですが、留置場はそれよりももっとこわい所でした」
「神は私に弁天業を許可された。神霊の幻聴によって江の島弁天、裸になって国守ると告げられた。よって妾は裸体になり、裸体の女弁天となって国を守っている」
「その時、けいさつの人に捕まったのです」
「その夜の三千円が陽に透かされて私を見下ろしていました。私はじっとしていると気が狂いそうで、部屋の中を体を二つに折ってゲラゲラ笑い歩きました」
「わたしは、娼婦だの、パンパンだのと言われても羞恥心すら感じません」
「あんたの御主人がわたしたちのところへ遊びに来てわたしたちを抱くのしってるの。そうでしょう。男って一人の女で一生満足するわけがないでしょ」
「あたいは十五だよ。だけど、なにもそうおどろくことはないよ。はじめてゆうかくにうられたのは十三だもの。神奈川の岩原っていうところだよ」
「その時はもうしものびょうきをもっていました」
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「売春するのも民主主義」と題された女の告白が収められている。巻末にて解説を行う「消えた横浜娼婦たち」著者檀原照和氏の言葉をお借りすれば蓋し「テレクラ、援助交際、出会いカフェ、そして出会い系サイト。白線の系譜は現在もつづいている」・・・・・・である。自身を正当化するのは今も昔も変わらず。否、斯様にせねば精神の均衡を保てぬのであろうか。巷に言われる「食うに困り」「女の細腕で家族を食わさざるを得ない」・・・・混沌とした戦後に於いて売春せざるを得なかった女性の姿。しかしながらその反面、相当「痛い」理由、「痛い」パーソナリティで売春をしていた女性も存在したことがこの著書に記されている。