いずみホールのブログ

スタッフのリレー執筆で、ホールでの出来事や、主催公演の詳細&裏話などをお届けします。


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いずみホール音楽情報誌「Jupiter」167号掲載【Web特別ノーカット版】

イザベル・ファウスト×J.S.バッハ

「無伴奏ソナタ&パルティータ」全曲

聞き手・文 寺西 肇

 

知的で繊細、かつ熱い血の通ったプレーで聴衆を魅了し、世界中で最も注目を浴びるヴァイオリニストのイザベル・ファウスト。そんな彼女が来年1月、いずみホールに再び降臨し、2夜にわたって、“ヴァイオリニストにとっての聖書”とも言うべき大バッハの最高傑作「無伴奏ソナタとパルティータ」全6曲に対峙する。「演奏を通じ、この作品を共に“感じる”同志を創ってゆきたい」。言葉の一つ一つに、音楽と人に対する真摯な思いが宿る。

 

《このインタビューは、シリーズ「シューベルト こころの奥へ」の第6回として、2月28日にいずみホールで開かれた、ジャン=ギアス・ケラス(チェロ)、アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)とのピアノ三重奏のステージの翌朝に行われた》

 

【前夜のステージ、近年の活動について】

 

――昨晩の演奏会は、シューベルト、シューマンに、エリオット・カーターと言う組み合わせでした。モダン楽器を使用しましたが、特にシューマンは、同じメンバーであっても、ピリオド楽器による録音[2014年、HMF(これ以降に登場するディスクも全て、同レーベルからのリリース)]と、違ったアプローチで臨みましたか。

イザベル・ファウスト(以下、F) いいえ。基本的なアプローチ自体には、特に大きな違いはありませんね。ツアーでピリオド楽器、とりわけ良いフォルテピアノを同じコンディションで用意するのは困難です。特に今回のプログラミングの場合、現代のカーターの作品が含まれていましたから。さらに、厳密には、シューベルトとシューマンとでも、別のタイプのフォルテピアノを使わなければならないし、現実的な判断として、モダン楽器を使うことになりました。

しかし、モダン楽器を使うからといって、“妥協する”必要はないんです。なぜなら、私たちは自分たちの時代に生き、“現代の耳”で音楽を聴き、シューベルトやシューマンの時代とは違った文化の潮流の中に生きていますから、モダン楽器を使っても、自然なアプローチは絶対に可能だと思います。もちろん、ピリオド楽器を演奏することで、より作曲家の考え方により肉薄したり、より容易に核心に迫ることができたりするのは、間違いありません。特にピアノ・トリオの場合、それこそ大きなスタインウェイと(各パート間の)バランスを保つのは、大変難しいことですから。

例えば、つい先日、メルニコフとフランクのソナタを録音したのですが…あの曲のピアノ・パートにはたくさん(笑)、音符がありますね。もし、スタインウェイとの共演ならば、ピアニストにずっとppを意識して貰わないと、ヴァイオリンがきちんと聞こえない。しかし、私たちがエラールのフォルテピアノを使ってみたら、全く違った物語が始まります。エラールと録音することによって、全てのピースが論理的に繋がるのです。その瞬間、作曲家を、作品をより容易に理解済めることが出来るようになりました。この経験によって、サウンドのイメージが深く心に刻み付けられ、それ以降、モダン楽器でのアプローチも、より楽になったんです。シューマンやシューベルトの場合も、ピリオド楽器の経験で得たサウンドやバランス、アーティキュレーションの感覚を、モダン楽器での演奏にも生かせるよう、いつも試みています。

また、一方で、モダン楽器が持つクオリティこそが、「なぜモダン楽器へ移行したのか」という理由に、深く関与しています。その誕生の時点からほぼ完璧な存在であったヴァイオリンと言う楽器ですら、ベートーヴェンの時代には変化を求められました。ましてや、ピアノは作曲上の要求に応じて、メカニカルな面をはじめ、数多くの試みがなされたのです。ブラームスのような作曲家…いいえ、やはり特にベートーヴェンでしょうね…彼のイマジネーションはあまりに大きすぎて、(同時代に存在した楽器では、機能面で追い付かずに)常にフラストレーションを抱えていました。だから、ベートーヴェンのピアノ作品は、全てをピリオド楽器のアイデアで対応し切れない。彼の創造の意識は、遥か彼方にあったのです。つまりは、ピリオド楽器で可能なことは、モダン楽器にとっても決して不可能とは言えない、ということなのです。

2016年2月28日 シューベルト こころの奥へ vol.6 ピアノ三重奏
イザベル・ファウス(ヴァイオリン)ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

©樋川智昭

 

――あなたにとって、ケラス、メルニコフ両氏との音楽活動とは、どのような位置づけなのでしょうか。

 

 F 完全に、一体ですね。もちろん、私たち3人は皆、強烈な個性の持ち主ですが、これまでに数えきれないほどの室内楽での共演の機会を持つと同時に、自分たちの演奏家人生において、高い価値を室内楽へ見出してきました。もちろん、それぞれがソリストとしての活動も多く、時には“3つのメッセージ”を発信する場面もありますが、常にとても高い境地に向かってゆくという点で、やはり私たちは一体です。さらに、とても長い時間を共にしてきたため、もはや言葉で語ることなく、分かり合えるのです。そして、お互いが厚い信頼で結ばれ、音楽的な迸りを直接的に明らかにすることを厭いません。誰か別の奏者と共演する際には、この種の理解が、とてもゆっくりと行われるのと比べると、実に対照的ですね。

 

――あるインタビューで、「あらゆる時代、あらゆる作曲家のスタイルや時代性を見極めたい」と語っておられました。実際に、ウェーバーの室内楽作品の録音[2013年]など、「こんな作品があったのか」と新鮮な驚きでした。実際に取り組む作品を決めるにあたって、ご自身の視点とは。

 

 F (とても喜んで)そう! ウェーバーの作品は、とっても面白いんですよ。でも私と同時代の奏者は、誰も弾こうとしない。それどころか、「全く誰も知らない」と言ってもいいでしょう。私自身も20年ほど前、ヘンレ社から出版された原典版のスコアを手に入れ、その時にざっと目を通して「面白いな」とは思いつつ、実は長い間、楽譜棚に放置して、全く見ていなかったんです。ごめんなさい(笑)。でも、この録音の話があって、「そういえば、楽譜を持っていたわ。きちんとさらっておかないと」と…すると、何てこと! 信じられないほど独創的で、面白くて…ヴァイオリン・ソナタなんて、まさに独特の魅力に満ちている。こんなに簡単に、知られざる作品、しかも、とても面白い傑作に出逢えて、幸運でした。私たちは常に、さらなる魅力を持つ音楽を求め続けていますから…。ピアノ四重奏曲も、ほとんど取り上げられることはありませんでしたが、非常に素晴らしい作品。ベートーヴェンやハイドンの傑作とは異なる点がたくさんあり、演奏を愉しみました。

 残念ながら、未知の作品の多くは、これほどのクオリティには恵まれていません。時間をかけて、数多くの資料を渉猟する中から、突然、佳品に出逢うこともありますし、なかなか幸運にありつけないことも…。こんな風に新しいレパートリーを発掘する一方、バッハの無伴奏作品、モーツァルトの協奏曲、ベートーヴェンの協奏曲やソナタ、ブラームスのソナタ…いわゆる傑作の本質を掘り下げてゆくことも重要です。私は双方の適切なバランスを意識しながら、録音やステージ活動を行い、音楽の喜びを追求してゆきたい。実は、ちょうど先日、ショーソンの「ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のための協奏曲」の録音も終えた[前述のフランクのソナタとの併録で、7月にリリースされた]のですが、この作品の魅力を具に表現することが出来た、と思っています。このように、自分のレパートリーの中では、傑作と知られざる作品とを巧く混ぜ合わせてゆきたいですね。

 

――イル・ジャルディーノ・アルモニコと共演した、モーツァルトの協奏曲全集[2015年]も、非常に好評ですね。この取り組みにあたって、留意されたことは。

 

 F モーツァルトの協奏曲録音の企画は最初、クラウディオ・アバドから提案されました。ベートーヴェンの協奏曲を録音[2010年、ベルクの協奏曲と併録]した時、彼から「次はモーツァルトの協奏曲はどうだい?」と言われて、「もちろん!」と答えました。この時は、モーツァルト管弦楽団との共演が前提でしたから、モダン仕様のままの楽器を使う気でいましたが、残念ながら、アバドが世を去ってしまい、実現しませんでした。私は彼との約束が果たせなかったのを悔やんで、ピリオド楽器のフィールドも含めて、実現の可能性を探していました。そして、ジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコに出逢ったのです。アントニーニ個人とは、バーゼル室内管弦楽団など、他の団体への客演の形で、共演の経験は何度かありましたが、彼自身のグループとの共演はありませんでした。ですが、実に面白い経験となったんですよ。

第1ヴァイオリンでも、4人ほどという小編成。モーツァルトの時代には本来、指揮者もなしだったでしょうから、アントニーニが指揮に立つのは、正直、最初は奇異な印象もあったのですが…さすがですね。まるで、「アントニーニその人が、このアンサンブルそのもの」のようであり、「このアンサンブルが、アントニーニその人」のようにも…(笑)。そして、モーツァルトの協奏曲は、コンサートマスターの席から、ソロもトゥッティも担当しなくてはいけませんから、柔軟性と即応性が求められました。でも、自分がこのグループと一体になり、一部ともなって、ホモフォニックに音楽を奏でるという経験は、まさに魔法のようでした。おそらく、最初の構想の通り、モーツァルト管弦楽団と録音していたら、このような論理には行き着かなかったでしょう。

 

 ――ピリオド楽器と共演したモーツァルトの場合、あなた自身は、モダン・セッティングの楽器の高弦2本にピュア・ガットを張り、クラシカルボウを使ったのですか。

 

 F その通りです。

 

 

【バッハの無伴奏作品に関して】

 

 ――録音も含めて、モダンの楽器に通常の弦、バロックボウを使用してのアプローチですね。1月の演奏会でも、この形で臨みますか?

 

F ええ、そうするつもりです。バッハの「無伴奏ソナタとパルティータ」を弾く際に、私は基本的にピュア・ガットを使いません。ただし、昨年秋、日本でクリスティアン・ベザイデンホウトと共演し、オブリガート・チェンバロ付きのソナタを弾いた際[この時のステージでは、第1~3、6番を演奏]には、ピュア・ガットを使用しました。実は、合間に無伴奏ソナタ第2番が挟まるプログラムだったのですが、この時だけは例外的に、ピュア・ガットのままで臨みました。私は普段、チェンバロを伴わず、無伴奏作品の全曲を弾く場合などは、必ずモダンのセッティングの楽器と弦を使います。でも、チェンバロと共演する場合には、ピュア・ガットは必須だと考えています。それどころか、いつものストラディヴァリウスではなく、バロック・ヴァイオリンを使う必要性も感じました。なぜなら、チェンバロの独特な音色には、この方が遥かに向いているからです。

確かにモーツァルトの協奏曲では、(モダン・セッティングの)ストラディヴァリウスにピュア・ガットを張るという特殊な形で臨みましたが、このレパートリー(チェンバロ付きソナタ)の場合には、これではサウンド的にソリスティック過ぎる上に、余りに輝かしく、チェンバロと溶け合わせるのが難しい。そして、ストラディヴァリウスに代わりうる、とても特別なバロック・ヴァイオリンと出逢えたのもあり、この楽器を使いました。しかし、やはり、この作品だけに特別なケースと言えますね。

一方で、「無伴奏ソナタとパルティータ」の場合、あらゆる奏者にとって、そして、私自身にとっても(笑)、手に余る存在です。ピュア・ガットを使っては、私は全てを具に表現し尽くすことが出来ません。寸分違わぬ場所に指を置かなければ、いとも簡単に音が外れてしまうなど、ハンディキャップが大き過ぎるんです。例えば、ハ長調のソナタ第3番で、アダージョの第1楽章に続き、それまでバッハ自身も書いたことがなかったような巨大なフーガ…と立て続けに音を外していては、誰もコンサートに来たがらなくなりますよね(笑)。だから、ピュア・ガットを使うのは、よしておこうと…。実は何度か、ピュア・ガットを張ったバロック・ヴァイオリンでの演奏も試みたのですが…ただでさえ、この作品には熟慮すべき問題がたくさんあるし、モダン・ヴァイオリンで弾くのも不安なのに(笑)、これ以上、心配の種を増やしたくないですからね(笑)。

 

――ピュア・ガットはモダンの弦に比べて、指を置くと余計に深く沈むので、たとえモダン楽器だと簡単なフレーズでも、バロックでは難しいことも…。ファウストさんの録音を、いつも羨ましい思いを抱きつつ、聴いていますよ(笑)

 

F でしょう? (冗談で)いっそのこと、普通の弦を使ったら、いかがですか?(笑)

 

――かたや、バロックボウを使う判断は、どこから?

 

F サウンドの違いは、むしろ弓の特性の違いによることの方が大きい、と私は気づきました。もしも、トゥルト[※註1]以降の現代の弓を使って演奏すれば、そのサウンドは、全く違ったものになるでしょう。バロックボウを使えば、また全く異なる色彩感が誕生します。その差は、ガット弦を使うか、金属弦かというよりも、遥かに大きいのです。

 

――バロック奏法の場合、弓を持つ右腕の肘は低い位置に置くのは常識ですが、ファウストさんの場合、現代作品にあっても、常にきっちりと下げていますね。高い位置に置く奏者もいますが、自然なフレージングやアーティキュレーションを考えれば、こちらの方が適しているし、第一に楽な気がします。

 

F 肘を低い位置に、ということは、常に意識しています。昨晩のステージで私、ちゃんとできていましたか?(笑) 自分では(自らの姿を客席から見られないので)確かめようが無くて…(笑)。高い位置に置く奏者は、アメリカ楽派の流れでしょうね。私は常に肘を低い位置に置いてきて、こちらのやり方を試したことはないですが、肘を上げた状態で、どうやったら的確なボウイング表現をできるのか、全く分かりませんね。私は「肘を下げて」と特に教えられた経験はありませんが、技術的に進歩を重ね、自分の奏法を確立する中で、弦に余計な圧力や重みを強いないためには、この奏法が最適だと結論づけたのです。

更に付け加えると、クッションの付いた大きな肩当てを付ける奏者も多くいますね。彼らは弦に圧力を加えるため、がっちりヴァイオリンを固定する必要があるのでしょう。しかし、少しの力で、ゆったりと楽器を構えるなら、こんなクッションは全く必要ありません。すなわち、大きな肩当てを使えば、全く別の種類の力の補強が、なされてしまう。逆に、使わなければ、あるべき音楽が自然とやってくる。全く違った響きになるのです。

 

――ベザイデンホウトさんとのステージでは、複数の弓を使い分けていらっしゃいましたね。

 

F その通りです。あの時のように、特にツアーの場合、会場となるホールによって響きも全く違ってくるし、ピュア・ガットを使っていたのもあって、天候によっても随分、コンディションが左右されましたから。これに限らず、私は常に特性の異なる複数の弓を用意し、どれが最もしなやかに音楽を表現できるか、リハーサルの時に検討して、決定するようにしています。それは完全にモダン楽器の仕様で演奏する時も、全く同じです。録音の時も、やはり同じで、実は、ベザイデンホウトとはバッハのオブリガート・チェンバロ付きソナタを収録もしたのですが、緩徐楽章と急速楽章とでも、別のバロックボウを使い分けました。かつてはタルティーニも、そうしていたようですね。「彼は常に違ったタイプの弓を持ち、楽想に応じて持ち替えていた」と伝わっていますから。

 

――以前には、「ドイツ的なるものの典型」「全てのヴァイオリン音楽の基本」と評されていたバッハの無伴奏作品。改めて、ご自身にとって、どういう存在なのか、さらに、演奏において何を一番大切にしているのか。ご教示ください。

 

F ドイツの…いや、実際には世界中でしょうが…少なくとも、ドイツでは、全てのヴァイオリニストが一生涯にわたって、「無伴奏ソナタとパルティータ」を学ばねばなりません。実際に、私は10歳か…8歳の頃、最初にニ短調のサラバンダ(パルティータ第2番の第3曲)を学んで以降、徐々に他の曲も追加してゆき、やがて学校を卒業するころには、集中して全曲を弾き通せるようにもなりました。今では、本当にいつでも弾いていて、私にとっては、まるでスケール練習と同じよう。そして、毎日、演奏へのアイデアを少なからず、この作品から得ます。正確に高いGの音を鳴らすのに、押さえておくべきテクニックとは。そもそも、どうヴァイオリンを構えるべきか、といったことまで…。

そして、「無伴奏ソナタとパルティータ」は、おそらく奏者の人格そのものを反映しますね。生涯を共に生きてゆかなくてはならないので、一種の鏡のような存在だと思います。それぞれの音楽的な個性の成長に伴って、この作品への理解は深化し、信じられないほどの広がりを見せるようになります。もちろん、「無伴奏ソナタとパルティータ」は、ヴァイオリニストにとって、常に核に据えるべき作品です。そして、おそらく、音楽家にとって、さらに重要なのは、バッハのカンタータを学ぶこと。もしも全てのカンタータについて深く理解したなら、“真の音楽家”となれましょう。バッハの天賦の才能は、まさに、音楽を学ぶことの中軸にある、と私は思います。私たちヴァイオリニストは、彼の作品に集中して取り組み、その本質へと少しずつでも近づいてゆくしかないのです。

 

――これらの作品に対峙するたび、常に新鮮な感覚が求められます。2回に分けての録音[2009、11年]、を終えた時、「自分で、10年後も聴けるできならいいけど…」とインタビューで答えていらっしゃいましたが、発表から5年余り。録音は、今でも気に入っていらっしゃいますか?

 F 実は、10年経っていないので、まだ聴いてないんですよ(爆笑)。インタビューでよく、「ご自分の演奏をどう評価するか?」と尋ねられますが、「そう悪くないかな」って答えています(笑)。でも私にとってより重要なのは、たくさん演奏の機会を持つこと。特に、日本での演奏は、特にバッハの作品をお聴かせする機会も多く、聴衆の皆さんもとても良い反応を下さるので、とても幸せですね。

 

――自筆譜の精査の跡もしのばれます。例えば、あなたは録音で、ソナタ第1番の第1曲、第3小節の3拍目をEでお弾きになっている。たいていの出版譜ではE♭になっていますが、実は自筆譜を見ると、どこにも♭はないんですよね。

 

 

ソナタ1-1 自筆譜(上)、出版譜(下) 〇囲みが該当箇所。

 

F バッハが元々、明瞭な響きを求めていたのか、それとも、単に♭を書き忘れただけなのか、それは分かりません。ただ、実際に弾いてみたときに、ひとつの確信を持って、直ちに「♭はなし」と判読できたのです。この時には、Eで弾いた方が、より良い音楽と的確なテンションが得られると考えました。しかし、E♭で大納得している人は(芝居のように声色を使って)「なぜ、E♭で弾かないんだ!」と言い(笑)、またある人は「Eで弾くのか! 実に、わくわくするね! 何が起こったんだい?」と、まさに賛否両論まっぷたつでしたね。実は、私自身もまだ決めかねている部分はあって、コンサートでは、E♭で弾いた経験もあります。ただ、録音の時は、絶対にこちらの方が面白い。私だけではなく、アリーナ・イブラギモヴァ[※註2]もEで録音していますね。それに、この小節には2カ所、同じ高さのEがありますが、「♭」がないのは最初だけ。バッハは楽譜の作成において、とても注意深い人ですから、書き忘れの可能性は低い、と思うんです。

れにしても、この作品の自筆譜は美しいですね。非常に明瞭に書かれていて、実際に見ながら弾けるほど。私たちは幸運だし、チェリストは、実にお気の毒[※註3]ですね(笑)。自筆譜は、信じられないほどの明確な筆致で全ての種類の音符が記され、特にフーガはとても体系化されています。見ているだけで、楽章ごとのバッハの考えが、伝わってくる気がします。本当に素晴らしくて、美しい…。

 

【ご自身について】

 

――ヴァイオリンは、31歳(!)で楽器を始められたお父上の影響とのこと。もし、お父様が、「お前もやるかい?」と尋ねていなかったら、こうしてヴァイオリニストになることはなかったのでしょうか。

 

 F ええ、おそらく(笑)。父は、今でもアマチュア奏者として、音楽を楽しんでいますよ。

 

 ――お父上が始めたのが、チェロや…トランペットじゃなくて、良かったですね(笑)

 

 F 私がもしも男の子だったら、父はそうしていたかもしれませんよ(笑)。

 

――あなたの無伴奏の演奏は、組み立ての発想がソロ的でなく、実にアンサンブル的。対旋律の処理に迷うような場面でも、ひとつの鮮やかな答えを示して見せますね。「家族とのカルテットが演奏経験のスタートだった」と聞いて、大いに合点が行きました。

 

 F そう感じていただけたなら、とても嬉しいですね。子供の頃のカルテットが何か影響を及ぼしているのか、私には正直、判りません。ただ、「無伴奏ソナタとパルティータ」の場合、ポリフォニーを現出させなければなりません。特にフーガの場合、多くの声部がどのように書かれているか、解読することに腐心します。実は私、子供の頃のカルテットでは、主に第2ヴァイオリンを担当していたんです。旋律を弾くソロや第1ヴァイオリンではなく、ヴィオラを弾く兄と共に内声部を受け持ち、その特有の立ち位置を体感しました。だから、今でも音楽作品を、内声部の側から見ます。フーガなんて、特にそうですね。これは、とても助けになっていますよ。

 

――多忙のステージの一方、次々に録音もリリースされ、そのどれもが素晴らしい。「次は何?」と楽しみでなりませんが、これからの主な予定は?

 F (苦笑しつつ)2週間後には、メンデルスゾーンの協奏曲を、フライブルク・バロック・オーケストラと、ピュア・ガットを使って、録音しなくてはなりません。9月にはベザイデンホウトとのオブリガート・チェンバロ付きのソナタもリリースになりますし、この夏にはロレンツォ・コッポラ(クラリネット)らと共に、シューベルトの八重奏曲の録音も予定しています。素晴らしいアンサンブルなので、とても楽しみにしています。

 

――最後に。あなたの演奏家としての、最終目標とは。

F 自分にとっての、最終的な目標と言う“野望”を抱いたことはないですが…(微笑みながら熟考した後…)音楽家たらんとすること。実際に世界へと飛び出して行って、本当に愛するレパートリーを演奏し、新たに発掘する努力を怠らず、本当に心と音楽で通じ合える共演者、真に演奏したいと思うステージを選び、様々なレパートリーを組み合わせ、私のささやかな居場所があるという光栄を感じる…私は既に、これらが重要であると十分に認識していますが…。

今日、クラシック音楽を演奏することの重要性は、ますます高まっています。私たちが生きている今は、とても不確実な時代です。私たちには、どんな未来が待っているのか? 私には、人々がどんどん、生きることにうんざりし、疲れていっているように思えます。そんな中で、私自身は、どうすれば人々がこれ(クラシック音楽)を聴きたいと思えるかという方法を、究めてゆけるのですから、本当に幸せですね。このようなコンセントレーションの方法は、他に誰も、生活する中で決して、鍛錬してゆくことはできませんから。かたや、生活自体はお手軽になってきています。ググれば調べたいこともすぐに判るし、ユーチューブを使えば聴きたいものにすぐにありつける…いろんなオプション付きで…「ありゃ私、こんなの見たいと思ったっけ?」と考えつつ…これは私自身の経験でも、ありますけどね(笑)[もちろん、広告動画への皮肉だ]。

そんな生活サイクルの中にあって、「無伴奏ソナタとパルティータ」の全曲に向き合うのは、特別な鍛錬となります。今日の若い人たちが、真の意味でこの作品を受け入れてくれるのかどうか、私には分かりません。人々のほんの一部は、これを「新しい作品ではない」と断じる一方、いま実際に私と長い旅を共にして、“感じて”くれる方々を創ってゆく。もちろん、簡単な課題でないことは分かっています。しかし、それは、この作品をはじめとしたクラシックのみならず、世の音楽へと提示された、知的な挑戦なのです。この挑戦は、やがて感動を呼び起こします。残念ながら、”真の愛”ばかりを追い、脳にこのような作用を求めようとしない、ポピュラー音楽には当てはまりませんが…。

このような聴取体験の鍛錬の受容力は、失われつつあるように思います。現代の日常生活は、なかなか知的に鍛錬する方向へと向かわせてくれませんから。だからこそ、このような鍛錬が、とても大切となってくるのです。だから、私の“最終目標”とは、自分の持てる能力の全てを捧げ、人々に私のコンサートへ来ていただき(笑)、この体験を味わわせることが出来て、いかにこのことが大切か、示すことですね。これはもちろん、未来だけでなく、今日においても、そして、明日も、私の目標ですね。

このことを遂行するためには、毎年、日本に呼んでいただいて、お仕事をさせていただかないと…(笑)。日本はもちろん、ヨーロッパでも、世界中あらゆる場所で、私はステージに上がることが出来て、この素晴らしい音楽を演奏し、何か大切なものや、何か奥深いものを感じていただこうと努めます。

「考え、そして、感じる」。音楽こそが、可能にするのです。

通訳:小松みゆき

 

註1 現代の弓は、基本的にパリの名工フランソワ・トゥルト(1747~1833)が完成したモデルがプロトタイプとなっている。

 

註2 バロックから現代に至るレパートリーを、ピリオド楽器とモダン楽器の両方を操って弾きこなして人気の、ロシア出身の若手女流ヴァイオリニスト。

 

註3 “チェリストの聖典”とされる「無伴奏チェロ組曲」全6曲(BWV1007~1012)の一次資料は、バッハの妻アンナ・マグダレーナによる筆写譜であり、作曲者本人による自筆譜は現存しない。

 

寺西 肇 Hajime Teranishi
 音楽ジャーナリストとして、「音楽の友」「レコード藝術」など各誌に寄稿。2005年5月、バッハアルヒーフ・ライプツィヒで「バッハと偽作」をテーマにパフォーマンスを行うなど、バロックヴァイオリン奏者としてのステージ経験もある。著書に「古楽再入門」、訳書にヤープ・シュレーダー著「バッハ 無伴奏ヴァイオリン作品を弾く~バロック奏法の視点から」(いずれも春秋社)など。相愛大学音楽学部兼任講師。

ザベル・ファウスト(ヴァイオリン)

J.S.バッハ 無伴奏パルティータ&ソナタ全曲演奏会 

2夜セット券 ¥10,000

第一夜 2018年1月23日(火)19:00 \6,000 学生\3,000 
ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003

第2夜 2018年1月24日(水)19:00 \6,000 学生\3,000
パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004

10月6日(金) 一般発売

いずみホールチケットセンター 0669441188(10:00~18:00 日・祝休み)

いずみホールオンラインチケットサービス(24時間購入可能)

 

 

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