わたしはとっても人からの視線や評価が気になる子どもでした。育った環境も影響していると思います。自分の人生を自分で決められるとはまったく思っていなかったし、決められると思わせないように育てられたという感じです。それは20歳を過ぎてからも続いていました。

わたしが成人式の着物は要らないから、そのお金で海外に行かせてほしいと言ったら、母は「成人式の着物はあなたのために買うのではなく親の務め」と言いました。借りるのも許されず、着物と帯だけでなく、小物もすべて買い揃えることになりました。母は嫁として、親戚だけでなくご近所にもこれだけのことをしたと示す必要があったのだと思います。買った着物は一点物のとても高価なものでした。

そのような環境で育ったわたしは、自分の人生の中で自分で決められることがとても小さいと思っていました。だから、人から幸せにしてもらうことばかり考えていました。自分の中に生まれる喜びや悲しみ、怒りなどは外から与えられていると思っていたからです。

このような思考の癖を変えるのは本当に大変です。いまなら分かります。成人式の高価な着物を娘に着せることは、母の自己満足です。親戚やご近所の人がそれを見てどう思うかは誰にも分からないし、コントロールできることではありません。笑われたくないという母の感情からの行動です。でも、母は自己満足だと認めるのではなく、外からの自分への評価をよくするために選んでいたのだと思います。

勝手に人の感情を想像して心配することはエネルギーの浪費でしかありません。母は大学院に進学するわたし、その後も関東で一人暮らしをして働くわたしを可哀そうだとよく言っていました。わたしは好きな研究ができて、自分で稼いだお金で生活ができる幸せでいっぱいなのに。勝手にわたしの気持ちを想像して決めつけていたのだと思います。

わたしも長い間、母と同じような考えをしていました。それにさえ気づいていませんでした。本当に当たり前のことには気づけないのですね。母に泣かれても大学院へ進学したり、オーストラリアで仕事をすることを決めたり。いまは、少しずつですが、人をコントロールしようとしないこと、干渉しないことを心掛けられるようになってきました。わたしが人の感情を想像してもそれが正しいとは限りません。人の感情が分かるなんて、勘違いだし、それをどれだけ想像してもエネルギーと時間の浪費です。

自分の行動や言動で周りの人がどう思うかもその人の責任で、わたしが責任を持てることではありません。わたしが何をしてあげてもそれで相手が喜ぶかどうかは相手の問題です。ということは、わたしは人に幸せにしてもらうことはできないということです。わたしを幸せにできるのはわたしだけです。

自分の心に正直に従って、いまを嬉しく楽ししく笑顔で過ごすこと以外に自分を幸せにすることはできないということに気づきました。とっても時間がかかったと思います。このことに気づいてからも、上司の言動にいらいらしたり、レストランで受けたサービスに悲しい思いをすることもあります。それでも、ネガティブな感情を大きくしないように注意するようになりました。人の気持ちも行動もコントロールできないことを心にとめて、自分に優しく接しよう。