横浜山下公園の氷川丸
今日で6月も終わり、1年の半分が過ぎてしまいました。
こないだお正月を迎えたばかりの印象で、
この月日の経つのが早いことに驚きです。
6月末は保有している株式の優待券が贈られてくる時期です。
その中に日本郵船からの優待、横浜(元町・中華街)にある
日本郵船の氷川丸の見学券が入っていたので
せっかくなので見学に行ってきました。
→ 入場券:300円が4枚、内2枚を使用
土日と祝日がデッキを開放しており
天気はいまいちでしたが、
今日(6/30)がチャンスと出かけてみました。
→ 横浜の石川町まで、意外に遠かった?
さて、この氷川丸ですが、
飛行機を使うことが一般的ではなかった時代(~戦前)、
海外への渡航は船を使うことが常識であり、
その時に使われていたのが豪華客船でした。
氷川丸は昭和5年から11年3カ月の間
北米航路のシアトル繊維配属されており、
73航海でのべ1万人の乗船客を運んだそうです。
柔道の加納治五郎(現在の筑波大学の校長)が
オリンピックの開催権を交渉に行った際に乗船、
帰りの船旅の途中で亡くなっている事には
歴史の重厚さと言うか、灌漑深いものを感じました。
戦争の影響が出てきた1941年にシアトル航路が休止となり
以降は病院船へと改造され、戦地と国内病院を結びました。
終戦を迎えた後は復員輸送船となり2万人近くを輸送したとあります。
海外航路がGHQから許可されていなかった際には
大阪・横浜・北海道(室蘭・函館)の定期便となり、
1949年に日本郵船による運営管理に戻り
1950年にシアトル航路に復帰、1960年までに
多くの人を海外に連れて行ったそうです。
30年間のシアトル定期便では太平洋横断254回、
乗船客は2万5千人を超えたとあります、凄いですね!
現在は山下公園のシンボルとして、
国の重要文化財に指定されています。
船内の見学はなかなか興味深く、
2時間近くをかけてじっくり見せていただきました。
とても有意義な時間を過ごすことができた気分で、
家内もそれなりに楽しんでいたようです。
追伸、中華街で昼食をとりましたが、
そこははずれで、家内に文句を言われてしまいました。
店の選別、なかなか難しいです(汗)。
中華料理はリベンジに行きたいと思います。
次回はちょっと豪勢にやろうかと思います。