八十里越 | 「今日より明日へ・・・。」泉観光バスグループのブログ

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秋祭りの練習で、あちらこちらから太鼓と笛の音が心地よい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうかはてなマーク

 

八十里越は新潟県下田村吉ケ平と、福島県南会津郡只見町を結ぶ8里(32Km)の街道および峠で、八里が十倍に感じる程、険しく厳しい行程から八十里越と言われています本

 

八十里越えの入り口、吉ケ平は源氏の落人が移り住み800年の歴史がある集落でしたが、昭和45年に19戸が集団離村しました足あと

 

吉ケ平分校(分校の門は現在も残っています)は、吉ケ平山荘に改築され守門岳等のベースキャンプとなっており、携帯電話は圏外、電気は通っておらず(自家発電)、大自然を体感できます霧

 

 

今から150年前の戊辰戦争において、長岡藩家老・河井継之助は、左足に受けた鉄砲の弾により負傷したため、担架に乗せられて吉ケ平から只見町まで八十里越えをしました武士

 

河井継之助が詠んだ有名な句がありますメモ

「八十里 腰抜け武士の 越す峠」

 

 

河井継之助終焉の地(只見町塩沢)は、当時官軍の目が光っていたため、文字は刻まず祠の様式にして官軍の目をごまかす細かい配慮がはらわれていたとの事ですあせる

 

 

 

墓から歩いて数分のところの、河井継之助記念館では幕末の雰囲気が味わえます戦う
余談ですが、「今でしょ!」の林修先生が来館された時の写真と色紙が掲示されていました合格

 

 

河井継之助の生涯を描いた、司馬遼太郎の時代小説「峠」が出版された後に、司馬遼太郎はこの只見町塩沢を初めて訪れ、眼下に広がるのどかな風景をしばらく眺めたそうです目

 

 

皆様も、河井継之助終焉の地へ訪れ、思いをはせてみてはいかがでしょうかはてなマーク

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