どの時代においても、戦いでの戦略・戦術はとても重要だ。

 

徳川家康が武田信玄に挑んだ三方ヶ原の戦いは間違った戦術だったのか、家康は命からがら逃げ徳川軍は大敗した。

 

武田軍は3万の兵力で家康の領地であった三河の浜松を通過していた。対する徳川軍は約1万であり、普通に考えても徳川の不利は明白だった。武田軍も戦う意思はなかったと言われ、素通りだったにも関わらず、家康は籠城戦を取らずに、武田に対して撃って出た。

 

徳川軍は鶴翼の陣。対する武田は魚鱗の陣。

 

徳川軍は武田軍の背後から襲撃し、なおかつ兵の少なさを気づかれないよう兵が多い場合に使う鶴翼の陣で武田軍を欺き勝利しようと考えたのだろうが、武田軍は徳川軍の動きを事前に察知し、むしろ武田軍が徳川軍をおびき寄せ、鶴翼の陣を敷き兵力が薄くなってる処がある徳川軍を局所攻撃を得意とする魚鱗の陣で一気に攻め徳川軍を大敗に追い込み、徳川家康は恐怖で脱糞する程の逃走劇で命からがら城に戻った。

 

戦いは戦術・戦略を間違えれば、思った以上に大敗する。

 

今夏の参議院選挙を見ていても、野党はなぜこのような戦略・戦術をとっているのかと疑問に感じる。自ら大敗の道に突き進んでいる。

 

無能な指揮官と無能な参謀が無為無策で戦いを挑んでるようにしか見えず、安倍政権にとっては武田軍に対する徳川軍以下に思えるだろう。

 

命からがら逃げ延びた徳川家康は最後は兵法三十六計の第三十二計「空城計」を持ちい、城門を開き敵を引き入れようとする構えを見せ、武田軍にまだ兵が沢山いるのではないかと警戒させ、武田軍の追撃を免れた。

 

徳川家康は最後まで計を用いたが、野党に残された計はあるのか?