いじめについて | 極めて遠く、限りなく近い世界

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霊感やスピリチュアルな知識が全くなかった私が今までの人生で体験してきた人には話せないちょっと不思議な出来事を書いていく日記
信じる信じないはあなた次第…

大学時代に心理学を専攻していて、ちょうど卒論のテーマがそれでした。

今日はちょっといつもより重い話かも。

 

人は生まれる前にある程度次の人生を決めておくらしいです。

生き方を自分で選択している…というやつですね。

 

子供の頃からいじめられっ子で小学生の頃から中学卒業までいじめられ倒して生きてきた私にはなかなか深淵な話だと思ってました。

 

でも高校に入って普通に友達ができて、彼女たちのいじめに対する考え方を聞いて少し考えが変わった気がしました。

彼女たちはそれぞれの中学校で、加害者でも被害者でもなかったけど、いわゆる傍観者だったわけです。

止めたかったけど止められずに見ているしかなかった立場。

見て見ぬふりをする人間も加害者だと言う人も中にはいますが。

 

考えてみれば、私は常に自分がいじめられる側だったために見て見ぬふりをせざるを得なかった人達が感じていた辛さとは無縁だったわけで。

そういった罪悪感を持つ羽目になってしまう方が、あるいは自分が当事者としていじめられているよりずっと辛いかもしれません。

 

そう考えた時、いじめる人、傍観者、いじめられている人、のどれになりたいかと聞かれればやはり一番最後ということになってしまうのです…。

やっぱり自分で選択したのかも…。

 

一応、ここを見ていて上記のような傍観者の経験がある方に対して書いておきますが、いじめられている人が意識するのは直接的に手を下してきた人だけです。

見て見ぬふりをする人が加害者と同じなんて感じることはまずありません。

少なくとも私はそうでした。

彼らは一ミリも悪くないので、本当は全然気にしなくていいのです。

 

で、大学生になってゼミで小中学校のいじめについて研究していた私が知ったのは、いじめている人たちがいかに心に傷を負っているかでした。

いじめられている側ももちろん傷は負うのですが、いじめている側も同じだったわけです。

 

私もそれなりに酷い目には遭ったので、いじめの原因を知って無くすための取り組みについて考えられればと思ってそのテーマを選択したのですが、その結果知ったのは、これは本当にやるせない負の連鎖だなぁということ。

 

いじめられる側にも原因がある…という言葉は単なるいじめる側の言い訳で、実際にはいじめる側の心が傷ついていることがいじめの原因です。

いじめる理由はいくらでもつけられるし、極端な話、誰でもいいので、誰でもターゲットになる可能性はあります

 

いじめる子もまだ子供なので、心の傷の原因は家庭環境であったり、学校での人間関係であったり、様々です。

彼ら一人一人の心の問題を解決しない限り、いじめられている人間をいくら隔離したところでまた別の人間がいじめられる…というのが当時の私の出した結論でした。

 

今では学校の取り組みもそのように変わってきているらしいですが、当時はまだいじめられている人を別の教室に隔離してカウンセリングするというやり方が主流でした。

カウンセリングが必要なのは、いじめる側の子も同じです。

 

私が当事者だったときも、いじめていた子たちはみんな傷ついてたんだと思います。

彼らが今どこでどうしているかわかりませんが、私が今、幸せに暮らせているのと同じように、彼らも今は全部すっかり忘れて心に傷を残すことなく幸せに暮らしていてくれればいいなぁ…と思います。

彼らが幸せで、彼らの子供も平穏に過ごせて、新たな歪みが生まれなければいつかいじめもなくなるかもしれない…なんていうのは流石に夢想かもしれませんが。

 

 

そんな考えにたどり着いたとき、私はやっぱり自分が当事者になることを自分で選んだのかもしれない…と思いました。

私に原因があっていじめられていると当時は考えていた(というか、周囲の子たちや親や教師にそう言われてきた)ので、私のせいでいじめる子や傍観者となる子たちを生んでしまったのではないかと悩むこともありましたが、そうではなく原因は別のところにあり誰かが常にターゲットにならなければならないなら私がいなければ別の子が私の位置にいたことになります。

 

そうなる人間を一人減らせたのなら、意味がある選択だったのかも…と、思ったりもしました。

 

ただ…。

後ろの人たちに言わせると、それはあまりよくない考え方らしいです。

 

そうかなぁ…。

友達は確かにほとんどできなかったけど兄貴や後ろの人たちが遊んでくれてたから実質そんなに寂しいとは思ってなかったし、高校以降は周囲の人間関係にも恵まれて、苦労は結構多かったけど後ろの人たちのおかげでどれも深刻な問題に至ることもなく、今幸せになれて周囲の人にも後ろの人たちにも本当に感謝してるからそれでいいんじゃない?とも思ったのですが。

 

後ろの人たち曰く、自分自身を含めみんなが幸せになれる生き方を考えていかないとダメらしいです。

つまり、上には現れなかった最後の選択肢。いじめを止める人を本当は選ぶべきだったのかもしれません。

 

これまた難易度の高いことをおっしゃる…。

まぁ…言われたところで生まれる前の自分の選択なんて今の私にはどうしようもないのですが…。

(物心がついた時点で既にいじめられる側だったわけだし…)

 

きっと、過ぎたことではなく今後のことを言っているんでしょうね。

今後も生きていれば難しい問題はまた出てくるかもしれませんが、その時は、自分も周囲の人も幸せになれる方法をちゃんと考えて、もっといい選択をしたい…と思いました。