母と癒しとフェアリーと。。 Part1 | 癒しの引き寄せの法則

癒しの引き寄せの法則

癒されながら幸せを引き寄せる実践をお伝えします。


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こんにちは。。
ヒーラーよしこです。。


昨日の記事では、
夫婦が出逢った頃のラブラブにもどる方法
後編をお届けする予定だったのですが、、


実は本日2018年11月14日は、
わたしの天国へ戻っていった
母の誕生日なんです。

 


ふんわりリボン
そして、
わたしの母が生きていれば
ちょうど80歳を迎えるのです。


つまり、
母の生誕80年記念として、
わたしは今日は母を想い、
母をテーマに記事を残したいと
思いました。。


みなさまどうか
こんなわたしの想いにおつき合い
ください。。



先日の「罪悪感で苦しんでいるあなたへ。」の記事には
たくさんの方々が共感してくださいました。


この記事でも書いた通り、
わたしたち母娘はDVで酒乱であった
父親と決別して、


それから、
母と姉とわたしの3人の暮らしが
はじまりました。


わたしは、
母のことがそれはそれは大好きで、
次女ということもあり、
幼少期の頃はとっても甘えたさんでした。


幼稚園の頃のわたしは、
いつも母の姿が見えなくなると
寂しくなって泣いて探していたそうです。


だいたいは近くのスーパーにお買い物に
いっているだけでしたからすぐに帰ってくるのです。


そして母が帰ってきたら本当にホッと
していたことを今でもうっすらと
覚えています。。


そんな風にわたしはいつも母の側に
いるのが好きでした。。
 


今思えば、まるで子猫がいつも母猫の姿を
追いかけているような感じですね。。


とにかくわたしは母のことが
誰よりも一番大好きでした。。


その後、わたしはだんだん
小学校高学年頃から中学校にかけて
いわゆる親離れをしていきます。。


学校やお友達との間に繰り広げられる
自分の世界ができていくにつれて、


誰でもがそうであるように
だんだん精神的に母から離れて
いくようになりました。


ただ。。


小さな頃からずっとそうでしたが
そんな親離れをしてからも、


わたしの中での最大の恐れは
何かというと、
母がこの世からいなくなって
しまうことでした。。


それがわたしの中で
最も恐れていたことでした。



もちろん、

 

 

人間はいつか亡くなっていくのですし、

自然の摂理では親の方が先にいって

しまうことは仕方のないことです。。

 


ちゃんと頭では理解していました。


でもやはりそれは非常に恐ろしくて
わたしはそんな最大の恐れを持ったまま
何十年も生きていたの。


母がいなくなってしまう世界なんて
考えられなかった。。


それは、
もう今から10年以上前の
出来事なんだけど。。
 


母は茶道と華道の教室を経営していて、
そんな関係で地元の大きな神社で
神様にささげる儀式である
「献花祭」を行う事になり、
 


わたしはいつも神社に奉納するための
茶会やさまざまな儀式の手伝いを
させられていて。。


この時もわたしは巫女として
その儀式のお手伝いをすることに
なっていて。。


献花祭の前日に家元とわたしたちは
神社にリハーサルに参ったの。。


そのリハーサル中に、


母は頭が痛いと
言い出し、、


でも、大事な神社での儀式のリハーサル中
だったので母ななんとかこらえたのだと
思う。。


それから、
なんとかリハーサルを無事に終えても
母の頭はまだうづいていた。。


当時わたしは母とは離れて一人暮らしを
していたので


そのまま母と別れるのが心配で、
一応、念のためにこれから病院へ
行こうってことになり、、


大きな病院へ行ったのだけど、
待合室しばらくで待たされることに、、


待っている間、お水が飲みたいと母が
言うのでわたしは母を待合室に残し、
お水を買いにいった。。


しばらくして帰ってきたら母の姿はなく、


あわてて探したら、
母はトイレの洗面台にうずくまっていた。。


わたしが母にかけより後ろから抱えると
母はわたしに体を預ける形になり、



わたしは母を抱えそのまま床に座り込む
形になった。。


その時もう母の意識がなかったので、
わたしはそのトイレから大きな声を出して
誰かを呼び叫んだの、


何度も何度も呼び叫んだの。。


病院のスタッフが気づいてくれて
母は担架に乗り緊急治療室へと
入っていった。。


緊急の先生が母の手を握り、


母の意識を確かめるために言った。。


「あなたの娘さんの名前はなんですか?」


母は、おぼろげな声で
「よしこ」と答えた。。


それが母が今世で発した最後の
言葉となった。。



母は脳の障害を起こしていることがわかり
そのまま脳外科専門の病院へと搬送されることになった。。


緊急の先生はわたしがうろたえている
姿を見て、

 


「大丈夫です。お母さんは助かります」
と言ってくれた。


その言葉にわたしはどれほど安心して
救われただろう。


それから搬送先の近くの病院は
都合が悪く、対応できないとのことで、


救急車で30分程離れた病院に
母は搬送されることになった。。


緊急の先生も一緒に乗り込んでくれて
その時わたしは大丈夫だろうと思っていた。。


そして。。


搬送先病院へ到着して、
脳外科部長が母を診てくれたのだけど、


その時点ではもうすでに
母のくも膜下で破裂状態を起こしていて
手に負えない状態に至ってた。。


脳外科部長は、


「もう手のほどこしようがありません」

「処置をする手術もできますが
成功する確率も低いですし、
それをやったところで
一人の植物人間をつくるだけだし、
そうなると多大なマンパワーが必要です」


「それらを考えた上で、
あなたが決めてください。」


と言われました。。


わたしはその時
目の前が真っ暗になりました。


「え?だってさっき違う先生は
お母さんは大丈夫ですよ」
っていってくれたのに、
どういうこと?


意味がわかりませんでした。


わたしたち母娘に
いま何が起こっているのか
わかりませんでした。。


わたしは姉にすぐ連絡するように
言われました。。
姉は遠く離れた東京で家庭を持ち、
暮らしていましたので、、


まるで夢を見ているよう。。
いま起こっている事態が信じられない。。


だってさっきまで楽しく笑っていた
母がどうして急に。。


こんなことに。。


目の前は真っ暗ですが
頭は真っ白で思考が止まっています。


それからわたしは
誰もいない真っ暗の病院の廊下に
一人にさせてもらいまいた。。


すると、
ある思考が湧き上がりました。。


今、わたしがすべきことは
母を助けること。。


それしかない。


すべてはそれに集約される。


まずわたしは姉夫婦に連絡をとり
姉は東京からあわててかけつけました。


たとえどんな状況になったとしても
0.01%でも望みが残っているのならば
それにかけるしかない!


わたしたち姉妹は
そう決断しました。


そんなの考える余地もない、
一体どこの世界に自分の母親が
こんな事態になったとき、


0.01%の望みを捨てるひとが
いるのだろう。。


そして長時間にわたる母の手術が
行われました。。


手術は大成功でした。。


これ以上悪化することはないと
言われました。。


しかし、


母の意識は戻らず
ずっと眠ったままの状態。。


母の体中に繋がれたパイプや
パンパンに膨れ上がった母の姿を
見るのはとても辛くて悲しかった。。


それを我が目で見るのはとても
つらかった。。


それから。。


病院のベッドで寝ている母を
わたしは何度起こそうとしただろう。。


何度起こそうとしても
ぜんぜん母は起きてくれない。。


いくら話しかけても
何も答えてくれない。。


それはどれほど辛かったか。。


わたしは一人でそんな母に寄り添い、
毎日病院で介護をすることになった。。


ただ、母の笑顔がもう一度みれるように。


それだけを見て、
それだけを生きる糧として
毎日母のベッドで介護を続けた。。


今、運命がわたしたち母娘を
無理やり引き離そうとしているの
だけれども。。


乙女のトキメキ
そのときのわたしは、
まだ母と離れ離れになることが
できなかった。。




「私は何があっても
大切な母から離れない」


このわたしの中にある信念が
それを許しませんでした。。


母はちゃんとそれを
わかっていました。。


意識がない母は、
それをちゃんとわかっていました。。


突然の出来事すぎて
まだわたしには
その準備ができていなかったのですが。。


母も同じように、
最初はとまどっていたようです。。


自分の意識が肉体から離れたり、
戻ってきたりする経験は母にとって、
初めてのことでした。。


母の中ではそんなことが
起こっていたのですが。。


母自体も、
まだ準備ができていなかった。。


まじかるクラウン
それには「たくさんの時間」
というものが必要だった。。



それから2年間
母はずっと眠ったままでした。。


それでもずっと寝たままの人は
肺炎にかかりやすくなったり
さまざまな合併症が危惧されていました。


なのでわたしはできるだけ母の側で
さまざまなヒーリングをやっていました。
良いと言われるものは何でも試しました。


かけがえのない母ですから
わたしのたった一人の母ですから。


そんな日々の中であるとき。。


母を守っている存在に気づいたコトが
ありました。。


生け花の先生である母は
お花をこよなく愛するお花のような
人だったので、


乙女のトキメキ
お花のフェアリーたちがやってきて、
わたしたち母娘を守ってくれていました。




苦しみを少しでも和らげるように、
少しずつ準備ができるように
守ってくれていました。


それからフェアリーたちに
見守られながら2年ほど経って、


ようやくわたしたち母娘の
次なるステージへの準備ができました。。


母はあるとてもお天気の良い朝、
わたしの腕の中で息を引き取りました。。


あれから10年。。


母が生きていたら今日で80歳。
 


わたしは自分の母が70歳手前で
逝ってしまうということを
想定していなかったのです。


なのでその出来事はわたしにとって、
とても大きなショックとなりました。。


最低でも80代まで元気で生きてくれたら
それでいいかな。。


だって80歳まで生きられたってことは
それは長寿だと言えるし
それはとてもおめでたいことだから。。


そう思っていたんです。。


今日で80歳。


母がこの今回の生で
誕生して今日で80年。


この日をわたしは大切にしたいと
思っています。。


なぜならこの日はわたしの中で
また新しいスタートの日。。


母が逝ってしまったことを
やっと【許可】できる日なのかもしれない


自分にとって母との早すぎる別れを
やっと【許可】できる日なのかもしれない

 

 

Part2へつづく。。

 

 

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