やはりなあ!

 

今、なんとなく、その意味が分かるような気がします。

自分が思っていたもの以上に、書かれているのを発見しました。

 

 

シルバーバーチの霊訓より

 

思い煩ってはなりません。心配の念はせっかくの援助の通路を塞いでしまいます。私はいつも取り越し苦労はおやめなさいと申し上げております。心配の念は有毒です。悪気を生み出し、それがあたりを取り囲みます。陰湿な雰囲気で包まれてしまいます。その状態になると霊の力も突き通せなくなります。

 

元気をお出しなさい。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はお止しなさい。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。自信を持つのです。道はきっと開けるという確信を持つのです。

 

 

何度でも繰り返し申し上げられる私からのメッセージがあるとすれば、それは“心配の念を棄てなさい。そうすれば内部に静穏が得られます。内部が静穏になれば外部も静穏になります”ということです。

 

 

無用の心配をするという、そのことが、霊的成長の欠如の指標であると言えます。たとえわずかでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。確信があれば、心配の念は出てこないでしょう。偉大なる魂は、泰然自若の態度で人生に臨みます。確信があるからです。その確信は何ものによっても動揺させられることはありません。

 

 

心配・迷い・不安、こうした弱みが心に根を張るのを許してはなりません。

 

少しも案ずることはありません。そうした絶対的な摂理をこしらえた力、全生命に意義と目的とを与えた力、それがあなたを取り巻いているのです。

​私たちが闘わねばならない本当の敵は、実は人間の無用の産物です。それがあまりに多くの人間の心に巣くっているのです。単なる観念上の産物、現実には存在しない心配ごとで悩んでいる人が多すぎるのです。そこで私は取り越し苦労はおやめなさいと、くり返し申し上げることになるのです。

 

 

概念は、なんとなく、分かりました。この度の体験上から、ほんの少しは、その意味が感じられました。

 

ただ、

 

シルバーバーチを少し読んで、、

 

最も大事なことが、抜けています。それは、どこかに書いてあるのかどうかは、全く分かりませんが、

 

 

本当に大事なことは、

 

 

恐れや、不安の念、心配の念をどう消すか!です。その方法です。

 

自分達が目を向けるべくは、そこです。

 

それを学んでいかねば、ただの理想主義者に成り下がります。

 

また、自分は、意味不明のことをやるのが苦手です。

ですから、念仏や、マントラのようなものをブツブツと唱えるのは、嫌いです。

 

以前、有名なセドナメソッドをやってみたこともありました。

 

セドナメソッド

 

ようするに、痛いの痛いの飛んでイケー

 

みたいなようなもんです。

 

すまんのう、全く飛んでいきません。

 

何事もやってみることです。やってみてから、自分は評価することにしています。

 

 

そうそう、

 

受け入れるとか、受入れようとか、自分を認めようとか言いますが、

 

その考え方は、自分は好きではありません。

 

例えば、病気になったとするならば、受け入れようとか、認めようとか、思おうが思うまいが、すでにその状況は、受け入れている状況なのであります。

 

であるならば、、

 

その受け入れた状況に対し、

 

どう対処するのかではないでしょうか?

 

手放すとか、言いますが、手放す必要があるのでしょうか?

何はともあれ、手放すと、聞こえはいいです。

 

ですが、あっちに行け!って言っているのと同じです。

 

そう簡単に、病気なんて、あっちには行きません。

 

であれば、病気を持ったそのままで、どう動くかに価値はある筈です。

病気の場所、部位、それは執着があって、動かないものだとして、

 

ですが、頭が痛いとすれば、頭は痛くてどうしようもないものだとして、

足は、痛くない、手も痛くないのであれば、痛くないところから動かす。動くところから動かす。

 

これからは、その自分なりの考え方を実践してみることにします。

 

頭痛

 

本当に辛そうな女性をよくみます。自分の妻もそうです。

 

ですが、頭は痛くても、繰り返しますが、手や足は、痛くないはずです。

であれば、頭の痛い中、心臓をバクバクさせるような運動をやってみることです。

 

頭痛は、もっとひどくなるのか、それとも楽になるのか

 

やりもしないで、判断するのは、愚かです。

 

イジメだってそうです。

 

イジメた輩には、お礼を言う事なんてできません。ですが、イジメなかった人には、お礼を言うことはできるはずです。

 

これが、動くところから動かすという意味です。

 

そうしたときに、何かが変わるはずだ!

と、予想している今です。

 

さあ、自分も、昨年末から痛めた、首、腰ですが、動かせるところから動かしてみよう。

 

不安?

 

不安じゃないシーン、楽しいシーンもあります。であれば、その楽しいことを率先してやっていこう。

 

そうすることで、きっと何かが変わるはずだ!

 

何一つ、自分のエゴで、手放そうとする必要なんてない。

 

今は、そう感じています。

 

間違っていりゃ、その時考えよう!