東京オリンピックが開かれたのは1964年、昭和39年10月だった。
当時、私は中央区立の中学校に通っていて、3年生だったと思う。
その頃の東京は、智恵子抄にうたわれた「東京には空がない」という言葉があながち誇張ではないくらい、いつもどんよりと曇っていて、近くの工場の煙突からはいつも白煙が濛々とたなびいていた。
今でも忘れないのは、マラソン大会の練習にと、放課後、何日か近所を一回り走っていたら気管支炎になったことである。
それほど当時の中央区工場地帯のスモッグは酷かった。
学校では、オリンピックの応援のため、生徒たちが動員されることになった。
指定された競技種目のうち、応援、見学に行きたいところを各自、あげて人気の高いところは抽選で決めるというもの。
私は、陸上競技を見たかったのでそれを第一候補としたが、見事外れて、大して興味もなかったサッカーの応援に行くことになった。
当時のサッカーは、マイナーな競技で、特に土のグラウンドのない中央区の中学校ではクラブ活動でさえなかったような気もする。
ましてや、対戦相手が、アフリカとどこかの国で、日本とは、無関係であったせいか、最初からあまり関心は無かった。
覚えているのは、空席の目立つ競技場の一番、グランントから離れたあたりをろくに試合も見ないで友達と駆けずり回っていたことくらいである。
選手たちのユニホームも、テレビの韋駄天に出てきそうな地味なもので、オリンピックの華やかさは特に感じられなかったが
日本がこれから発展していくのだろという予感は確かに感じられた。
あれから55年。
日本は変わった。
サッカーは今や、もっともメジャーなスポーツになり、ワールドカップで予選を通過出来るまでになった。
東京には青空が戻り、銀座は外国人で溢れている。
また、東京にオリンピックがやってくる。