後 1年ちょっとで、定年退職を迎える。18歳から客船に乗って、良くも悪くも変わって行く船乗りをテーマに綴って行こうと思った。まずは、自分と所属する会社の概要を紹介しようと思います。                           18歳の船員生活の始まりは舞鶴から北海道へ行くフェリーでした。乗船して右も左も分からず。あっ!という間の1ヶ月間でした。仕事も分からず唯々右往左往するだけで終わった1ヶ月間、ただいな迷惑を、おかけしたにも関わらず優しくご指導していただきこんにちはが有ります。                その頃は、未だ未だ体罰等は当たり前の世の中でしたが罵声も体罰も受けることなく1ヶ月を過ぎました。          1ヶ月が過ぎもう直ぐ下船という頃、船員課長が「君の履歴書はグループ会社が新設する会社に出ていたのを研修を兼ねてフェリーに乗って貰ったが、広島のドックに停泊している船に転船しれくれ」と言うものでした。               今、考えると鈍くさくて使えなかったのかな?とも思えます。転船した船は、青島(中国)から下関迄の処女航海を終ったばかりのフェリーからドロップした船でした。処女航海の運航はグループ会社3社から集めた船員で済ませ解散した後でしたので、僕が乗船した時は、甲板部の人はキャプテン1人で他は、当時は事務部と読んでいた今の船客部の方だけでした。この船に、あっちこっちからの外航船から来た甲板部が集まって運航が始まるのでした。運航は月に一度青島から下関を往復するのですが、目的は航路権を得る為と聞きました。航路権がとれたのちには、青島から下関のフェリーに成ると聞いてましたが、荷物もなく月に一度の運航で採算が取れるわけもなく、空いたスケジュールにチャーターを入れるように成りました。これからが客船の始まりです。