女の子アンビバレンス 全部全部愛せなくちゃね (山崎あおい「TOP!」)
家族再生がなかなか難しいことは間違いありません。難しさの理由はいろいろあるのですが、簡単なことがあります。別居の原因となった行動パターンを相変わらず行っていたら、再生の方向に進むわけがありません。
それは誰しもわかっていることなのですが、自分のどの行動パターンが別居の原因になったのかわからないならば、修正しようがありません。案外気が付いていない人が多いのです。気が付かないかと言えば、自分のやっていることが間違っているとは思わないからです。自分の行動が正しいのだから、行動を修正する必要はないという信念を持っている方もいらっしゃいます。
正しさに殉職するか、行動を修正して今よりは家族再生に近づくのかという選択肢に立っていることがなかなか理解できません。
理屈を言うより、例えばこういうことかもしれないということのサンプルをあげる方が親切なのでしょう。「これが修正するべきことなのか、今の世の中おかしいのではないか。」と思われるのであれば、正義や合理性と殉職するか家族再生に近づくのかどちらを選ぶのか改めて考えてください。
ここで上げる例は、本当にありふれている例で、実際の複数の事例であったものをピックアップしています。離婚事件につきもののようなやり取りです。
① 「この間、これをやめてくれと言ったじゃないか。どうして人の嫌がることを繰り返すの?」
② 「どうしてこんな失敗をするの?注意が足りないのじゃないの。」
③ 「前に言っていたことと違うじゃん。自分が言ったことなんだからちゃんと守ってよ。」
④ 「言われなくてもこれをするべきなのではないか?」
⑤ 「言われなくても常識があればわかるでしょう。」
⑥ 「それをするのは大人として当たり前のことだと思うけど、違う?」
⑦ 「私はあなたのためにこうしているんだよ。どうしてあなたは私のためにしてくれないの。ずるいんじゃない?」
⑧ 「どうして子どもにそんなひどいことを言うの。信じられない。」
⑨ 「どうして、間違ったことをしたのに謝らないの?ごめんって言えないねえ。」
<若干の解説>
令和を生きる夫たちは、離婚を求められているとしても、暴力をふるったり、眉間にしわを寄せて大声で怒鳴ったりする人はあまりいません。それでもこのような言葉を発すると、こういう風に言われて見下された、上から目線で言われた、人格を否定されたと調停や裁判で主張するわけです。
①、③、⑦は、相手の先行行為から、この時はこうするはずだという予測を裏切る行為であり、付き合いにくいし、信用しにくいということで、実際に男性型社会では一人前として扱われなくなることがあります。
しかし、職場ではともかく、家庭の中では別に考えるべきです。過去のことを本人は、自分の発言だとしてもいちいち覚えていません。また、その時の体調や家族外の人間関係の状態、子どもやお金などの心配事等から、その心配がなかった時と心配の渦中にいる現在とでは話が違うということもよくあることです。特に女性は、行動や思考に影響を与えるような様々な体調の変化があります。あの時こういったからこうしろというのは、考えてみれば言われる方にしてみれば無理を強いられているようなものです。
同じことを職場の上司が部下に行ったらパワハラになるわけです。実際に私が担当した事件で、上司が部下に、「今年度の職務目標を言ってみろ」と言って、部下が答えたところ、「期首面談の時と表現が違う、あの時こういったのだぞ、俺はノートに付けているからわかるんだ。いい加減な態度で受け答えするな」等という発言がありました。もしかしたら、あなたの発言は、このパワハラ上司に詰められた部下のような心持を家族にさせているのかもしれません。現在のパワハラも、暴力や怒鳴り声や乱暴な言葉はなく、それでも相手を苦しめる言動をすることが多いようです。
④、⑤、⑥は、常識とか当然とかいう、内容が曖昧な言葉で、行動を規制したり低評価したりしています。ところが、人間の普段の行動、家庭などリラックスするべき場面での行動は、ルーチンで行っていることがほとんどで、頭を使って行動するなんて疲れることはしていません。それでも本人なりに精いっぱい行動しているときに、具体的な対策を一緒に考えることもしないで、ただ結果を出せと言っているわけです。相手はあなたから自分は常識のない、劣っている人間だと言われた、否定されたと感じるだけで何も建設的な結果が生まれません。どんどん委縮して物を考えられなくなったり、ルーチン行動さえも考えすぎてできなくなってしまいます。だいたい常識だとか当然だと言っていることも、第三者から聞くと、「それって本当に常識とまで言えることなの?」と思われることが少なくありません。
相手が至らないと感じたら、自分がフォローしようということをまず考えた方が良いと思います。ちなみにこれもパワハラ事件でもいつも出てくる言葉です。
⑦は平等を追求する言葉ですが、これは太古の昔から家事の不平等を言い合うことはばかげたことだという趣旨の童話や言い伝えがある通りです。自分だけが損をしているということは、相手の苦労を理解できないことだというのが太古の昔から言われ続けてきたことなのだと思います。家族の中の自分は、自分が存しても家族に喜んでもらえれば幸せだくらいに考えておく方がうまくいくのですけれどね。
家庭にいる時間は、多くは夕方から朝までという、人間の体内時計では、副交感神経が優位になっている時間帯です。人間の生理から考えると、ゆったり、のんびり、ルーズに過ごすべき時間です。大目に見て許しあうことが家族の役割であるということが生物学的な帰結なのです。その時間に労働をすれば過労死になるということも理屈は同じです。
そういう意味で、相手に緊張感の持続を求める要求は、人間の生理に反していると言えると思います。人間が本能的に家族に求めている役割に逆行しているわけです。
緊張の持続を強いることをもとめる人間に対しては、安心することはできません。
仕事などで求められている行動を家族に押し付けることを修正するべきことになると思われます。