1 面会交流調停と調査官調査

2 会いたくないという理由1 先ず蘇る緊張の記憶

3 会いたくないという理由2 仲間を守る人間の本能

4 会いたくないという理由3 後ろめたい気持ちから

5 会いたくないという理由4 会えないことの合理化

6 会いたい気持ちを見極めて別居親に会わす

 

1 面会交流調停と調査官調査

 

例えば母親が、子どもを連れて家を出て、子どもを父親に会わせない状態となっている場合、

父親(別居親)の方は、「面会交流調停」といって、

子どもに会うためのというか、

子どもを父親に合わせて安心させるための

調停を家庭裁判所に申し立てます。

 

家庭裁判所は

調査官という専門官に子どもの様子を調査させます。

小学校低学年くらいまでは子どもの意見を聞くというより

現在の様子を調査するということが多いようです。

 

子どもが概ね10歳以上の年齢だとか、

積極的に発言をする意欲を示している場合は、

子どもが父親等別居親に会いたいかについて

発言させることがあります。

 

その時、よほどのことがない限り、

子どもは別居している父親に「会いたくない」と言うか、

あるいは「どっちでもいい」等投げやりな発言をします。

 

その発言が調査官報告として記録に残りますから、

同居親は、鬼の首を取ったように

子どもを父親に合わせることを拒否します。

 

しかし、

子どもは別居親に会いたくないわけではなくとも

「会いたくない」

と言うものだということがわかってきました。

 

子どもが会いたくないといったということを理由に

子どもを別居親に会わせない等ということをしてしまうと、

自分が父親に会わないのは自分の発言のためだと思い

重い心理的負担を負わせることになりかねません。

将来的にも自責の念を抱き続けてしまう危険があります。

 

大人は、子どもの胸のうちを理解して、障害がない限り子どもを別居親に会わせる努力をしなければなりません。

同居親は会わせたくなくても我慢しなければなりませんし

別居親は同居親が少しでも合わせても良いかと思うために

同居親を安心させる工夫しなければなりません。

 

裁判所や弁護士など法律関係者も、子どもの将来を考えて、

別居親と健全な関係を構築するために

双方に強く働きかけなければなりません。

 

面会交流調停は子どものためにあるものですから、

大人の感情で子どもが別居親に会えなくなったら

取り返しのつかないことになる危険があります。

 

なぜ子どもは別居親に会いたくないと言うのでしょうか。

別居親は、同居親が子どもに「会いたくない」と言わせていると考えがちですが、どうも違うようです。

 

2 会いたくないという理由1 先ず蘇る緊張の記憶

 

一つは、記憶の問題があります。

 

記憶の機能の最も根源的なものは、過去の危険の存在を記憶し、将来の危険を現実化させないためのものです。

だから、楽しかった記憶より、苦しかった記憶、緊張した記憶が先によみがえるものです。

 

別居親の記憶は、同居時の記憶しかありません。

同居中、両親がけんかをしていて、いたたまれない気持ちになるとても嫌な思いをして不安になったという記憶です。

 

別居親のことを、第三者から問われると、そのいたたまれない思いがよみがえってきて、自分を通して同居親と別居親がまた顔を合わせるようなことになれば、そのような気持ちになる出来事が起こるかもしれないと思い、「会いたくない」というパターンが一つです。

 

同じ様に、別居親がしつけに厳しかった場合は、いくら楽しく一緒に遊んだことがあっても、やはり厳しくしかられたという緊張の記憶が先に出てきますから、やはり別居親と会うかと尋ねられると苦しい気持ちが先に出てきて、即座には会いたいとは言えません。

 

別居親からすればあんなに一緒に楽しい時間を過ごしたのだから、会いたいと言わないのはおかしいと思うことはよくわかります。しかし、記憶とはそういうものなのです。

 

3 会いたくないという理由2 仲間を守る人間の本能

 

人間の心理は、一緒にいる者を仲間だと認識させます。一緒にいる方の気持ちは想像することが簡単で、ずいぶんあっていない親の気持ちを想像するには、幼すぎるようです。

 

そもそも夫婦喧嘩なんて、どちらかだけが悪いわけではなく双方に問題があることが通常です。

子どもは、実は母親と父親が別の人間だということを

はっきりと理解できているわけではなく、

「二人そろって一組の『両親』というユニットだ。」

くらいの感覚を残していることが多いようです。

どちらが悪いという発想にはなりにくいようです。

 

 

それを別居親に対する緊張の記憶になってしまうのは、一緒に住んでいることに原因があります。

 

同居親が苦しんでいる姿は想像しやすく、安心した時の笑顔も考えなくてもすぐに浮かんできます。そうすると人間として、仲間のために貢献したい、仲間を守りたいという気持ちが生まれてしまいます。

 

しかし、別居親は不思議に思います。

「同居中、どちらかと言えば同居親は子どもに対してけっこうつらく当たっていたはずだ。やはり怖いからこちらに会いたくないというのではないか。」と思うわけです。

 

これも一緒に住んでいることが原因です。

子どもは、親に対して、緊張感と安心感を抱くものです。

 

基本的には、自分は親から見捨てられないはずだという安心感を抱いており、

それでも叱られると恐怖感や不安感をもちます。

そうやって、群れで過ごすルールを覚えていき、

ルールを守って過ごすことで安心して生活できる

ということを覚えていきます。

 

このため、一緒に過ごしている親に対しては、

多少叱られたり、あるいは逸脱行為をされていても、

それでも何とかなっているということか

同時に日々安心感も更新されているわけです。

 

虐待されている親に対してだって

一緒に住んでいることで安心感を得ています。

群れにいるということで安心感を持つ

人間の特性なのでしょう。

親の良いところを探してでも安心したいのだと思います。

 

平成14年に広島で母親と祖母に虐待されて

10歳で死んだ女の子も

亡くなる直前に自分を虐待している母親に対して

「お母さんありがとう。大好きだよ。」という手紙を書いています。

この気持ちは本当だと思います。だから痛ましいのです。

 

子どもは虐待されても同居親に拒否反応を持てないということを記憶しておく必要があります。

 

嫌なことはあるけれど一緒の生活を続けているのですから、

安心したいという本能が優先してしまい

子どもは同居親に対して拒否反応を示すことがないのです。

ただ、別居親に「会いたくない」という結果になるのです。

 

さらに同居親が別居をした後も苦しんでいるとか、

同居親が別居親に強い葛藤を抱き続けている場合、

それだけで子どもの別居親に対する拒否反応を

高めてしまうことはお判りでしょう。

 

何とか目の前にいる同居親を助けたいと考えることは

子どもの成長なのです。

 

4 会いたくないという理由3 後ろめたい気持ちから

 

子どもの後ろめたさという事情もあります。

早い子の場合は就学前の6歳くらいから、

別居親と生活していないことで、別居親に対して

後ろめたい気持ちになっているようです。

 

別居親と久しぶりに再会したとき

泣きながら別居親に謝る姿を目撃することがあります。

とても痛ましい光景です。

 

別居親は自分に対して怒っているのではないかとか

別居親を寂しい思いにさせているのは自分だ

という思いから、別居親に会いづらい気持ちに

なっているということが実際にあります。

 

5 会いたくないという理由4 会えないことの合理化

 

動物は、本能的に無意識に自分を守るものですから、

自分が父親(別居親)と会えない理由は、

自分の責任ではないという言い訳を心の中で始めます。

別居親の落ち度を数え上げるということが

起きているのかもしれません。

別居親が悪いから自分は会えないのだということで

自分を守っているし

会えない絶望を感じないで済まそうとしているわけです。

 

一緒に住んでいる親には安心材料を探すわけですから

ちょうど反対のことをしています。

 

6 会いたい気持ちを見極めて別居親に会わす

 

もし、子どもが別居親に会いたくないと言いながらも

同居親との楽しかった出来事を語りだしているのならば、

直ちに面会交流を始めるべきです。

子どもは別居親と会いたいと叫んでいるようなものです。

 

同居親が拒否しているならば家庭裁判所での試行面会を直ちに実施するべきです。

 

これまで述べてきた心理状態なので、試行面会が実施された場合は、別居親は感極まって泣き出したり、大げさに感動の再会を演出してはなりません。子どもは新たな記憶によって会うことのしんどさを感じてしまいます。

 

ニコニコの笑顔こそ、子どもの後ろめたさを解消する一番の方法ですし、

昨日も会ったように、明日も会うように、「やあ」と当たり前のように話し始めることで

子どもは同居中の楽しかった方の記憶が瞬時によみがえってくるようです。

全て許されているということで強大な安心感に包まれるようです。

 

これをしないで、表面的に会いたくないと言っているからと言って、試行面会を躊躇していると

子どもは、自分のせいで別居親を苦しめているということを意識したり、自分は別居親から大切な存在だと思われていないという、それは自分が悪いのだという自己評価の低下を招きかねません。

 

 

 

アイデンティティーが確立するべき

15歳のころ、

絶対的善の同居親と絶対的悪の別居親の

間に生まれた自分ということで

自己イメージが混乱してしまい、

自我の確立に支障がでてしまう

その結果、自尊心を持つことができなくなり

様々な問題行動を起こすようになってしまう

ということを心配しなくてはなりません。

 

別居親との交流は子どものこれからの人生にとって

何にも代えがたい、生きてゆくための財産になります。

この機会を奪うことは許されません。

 

同居親には申し訳ないのですが、

少し無理をしてもらわなければなりません。

裁判所関係者や法律関係者は

自然に同居親が同意をするというファンタジーを捨てて、

無理をさせる気構えを示さなければなりません。

 

実際の面会交流が実現する時は

調停委員や裁判官の強い説得があることが多いのです。

 

その代わり、同居親が安心出来る条件づくりを

こと細かく設定することは考えなければなりません。

 

別居親も同居親も

ご自分の感情を優先するのではなく

お子さんのために我慢してもらいたいと

切に願います。