想像してみよう。目の前に瀕死の吸血鬼がいる。四肢切断され、動きもままならない。
「うぬにわしを助けさせてやる。血をよこせ」
そんなことを言われたら、人は恐怖心から逃げ出すのが当然だ。阿良々木暦も実際そうした。相手は動けない。簡単なことだ、走れ。そう泣き叫びながら逃げた。
「う、嘘じゃろ…助けてくれんのか」
そう言われても、誰が引き返すものか。人は結局、自分の命が第一のハズだ。

しかし阿良々木は引き返した。なぜか。

映画『傷物語 鉄血篇』の最大の疑問点にして、最大の見せ場はそこにある。この映画は、「なぜ阿良々木は吸血鬼を助けたか」の理由を語るためだけにあると言っても過言ではない。それも非常にシンプルな手法で。

よくある話のパターンをいくつか考える。吸血鬼とわからず、人だと思って助けようとしたらいきなり襲われる流れ。吸血鬼を助ければ、何か願いが叶うと誘われる流れ。また、実は吸血鬼が瀕死になるよりもずっと以前に主人公と出会っていて、その過去の記憶を呼び覚まされ、助けようという流れ。

本作では、そのどれも取らない。まったくの初対面。相手が化け物という認識もある。助けたところで何のメリットもない、ただ血を吸い尽くされて死ぬだけ――と、助ける前の阿良々木は考えている。

しかし彼は引き返した。ついに泣き出し、「ごめんなさいごめんなさい」と命乞いをし出す吸血鬼の声を聞いて。このときの阿良々木の心情を観客に「説得」させるために使われた演出が、ある音だ。

赤ん坊の泣き声。

吸血鬼の泣き声にかぶせるようにして響く、ほんぎゃあ、ほんぎゃあという泣き声。

阿良々木には、吸血鬼が赤ん坊に思えたのだ。道を引き返し、再び彼女の姿を見たとき、思いは確信へと変わる。金髪で長い髪、整った大人の顔立ち、豊かな胸。けれど四肢を失い、血だまりの中で泣きながらバタつく姿は、赤ん坊にしか見えない。

「そうか、俺の人生の主役って、俺じゃなかったんだ」。これは、あるラジオ番組で聞いた台詞だ。お笑いコンビ・パンクブーブーの佐藤が、子どもが産まれたときに言ったのだそう。きっと阿良々木も、これと同じことを考えたのだろう。

自分が手を貸さなければ死んでいく存在が目の前にいる。誰もが親になると抱く感情、母性本能。この子が無事生きながらえてくれさえすれば、自分は死んでもいい。彼女を助けようとする阿良々木の心理を表すのに、これ以上の説得力を出す演出は他に無い。

またこのシーンにいく直前が、本屋でエロ本を買った帰りだというのも象徴的である。最初にあったのは、性欲を満たしたいという思い。帰り道でたまたま吸血鬼の血痕を見つけ、それをたどってしまうのも、ただの好奇心だけではない。長い、地下深くまで続くあまりに長い道を潜っていく様子は、言ってみればセックスに際して男性が自分の性器を女性器の中に深く沈める行程にも似ている。

この間、台詞が一切無いのもまたすさまじい。無我夢中で地下へもぐっていく(=セックスする)のに、言葉はいらない。口から漏れるのはただ吐息だけだ。そして最後までたどりついた先に待っているのが、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(=赤ん坊)。

けっきょく買ったエロ本は、瀕死の吸血鬼を目にした時点で捨てている。赤ん坊ができれば、性欲よりもそれが優先されるからだ。やがて阿良々木は吸血鬼に血を吸わせる(=乳を吸わせる)。そしてその結果、彼は死ぬのではなく、吸血鬼の眷属になった。正真正銘の親になってしまったのだ。

もちろんこの時点での主従関係で言えば、キスショットの方が主で、親だ。けれど力を失った彼女は、子どものような姿になってしまった。おまけに眷属である阿良々木へ最初に出した指示は、「頭を撫でよ」である。やはり阿良々木の方が親で、キスショットが子であるように見える。

ただ、これで「めでたしめでたし」にはならない。やはり阿良々木には現実が受け入れられない。理性を捨ててキスショットを助けてしまったが、冷静になれば正直、元の状態に戻りたい。結局は「若気の至り」とでも言うべき行動だったのだから。「僕は人間に戻れるのか?」そんな疑問、いや、希望を口にしてしまう。

そこで与えられたミッションが、3人の吸血鬼ハンターに奪われたキスショットの手足を取り返してくること。そして次の場面では、もういきなり3人がかりで襲われている。それを救った忍野メメとの出会いがあり、「200万で助けてやろう」と言われる(この200万というのも、まるで離婚の慰謝料のようだ)。

さて、阿良々木はぶじ吸血鬼の両手両足を取り戻せるのか? というところで話は終わる。正直「え、これで終わり?」という印象だ。こんな、これから盛り上がろうというところで話を閉じてしまうことには勇気もあったハズだ。

もともと本作は、2012年公開予定となっていた。恐らく1本で完結した作品として。それが4年の月日を費やし、3部作になった。その英断をまずは称えたい。


傷物語コラボカフェ新宿バルト9では『傷物語』コラボカフェがオープン中。キスショット・アセロラドリンク 600円(税込)などのオリジナルメニューが味わえる他、各キャストの直筆コメント&サインが入ったキャラクターボードも登場。

3部作だからこそ、短いストーリーを語るのに贅沢すぎる時間がかけられている。キャストだってたったの4人だ。阿良々木暦、羽川翼、キスショット、忍野メメ。吸血鬼ハンター3人の台詞は、機械合成音のようにボカされ、ほとんど何を言っているのかわからない。それもあえての演出だろう。少数精鋭の、ストイックな作品に仕上がった。

映画を見終えた時点での満足度は、75%と言ったところ。残りの25%は、第二部、三部への期待として残しておきたい。ともかくこの緊張感は、劇場で観なければわからない。


来場者特典「混物語」来場者特典:混物語①第忘話は、「忘却探偵シリーズ」より掟上今日子と阿良々木暦のコラボが楽しめる1作。