南半球より おはようございます。





今日は少し前に体験した子どもの死についてです。わたし個人としては、日本の外科病棟で高齢者を看取ったことが数回ありますが、子どもの死に対面したことはありませんでした。今現在の子ども病院の病棟も、呼吸器科メインですが状態悪化するとPICU(子どものICU)に移送になるので、病棟でCPRをしたり、看取ることは本当に稀です。命は皆等しいと言いますが、小さな命が消えるのはとてもやるせないものですね。





その日朝、病棟に行くと何かが違いました。


救急カートが外に出ていたし、部屋は荒れているし、スタッフも見当たらない。休憩室も、片付けられていない。ああ、あの子に何かあったんだなと悟ります。わたしが前日担当だった子が、部屋にいない。



夜勤のスタッフはミーティングというか、振り返りをしているようでした。わたしたち日勤スタッフは集まって、何があったのか情報収集してすぐに動ける準備をしました。


いつ何があってもおかしくない状態ではありました。Cardiac arrest(心停止)を何度も生き抜いてきた子だったからです。難しいのは、医療者と家族の意見の相違。日本でも同じかと思いますが、医療者は『長年苦しんできたし、もう楽にいかせてあげたい』と思う一方で家族は『蘇生も、できることは全てしてほしい。』という意向でした。本人の体がもう、長年寝たきりで、疲れ果てていたのです。どんな状態でも生きていてほしい家族と、楽にいかせてあげたいのにCPRをしなければいけなかった医療者、どちらもとても悲しい苦悩です。


PICU(子どものICU)へ移送されてしばらくして、亡くなったと聞かされました。すぐにディグリーフ?というミーティングがPICUの師長とスタッフを中心に(他にも心のケア?担当のスタッフもいました)行われました。


『わたしたちはできることを全てやった。素晴らしいチームだ』
『会いに行ってもいいし、行かなくてもいい』
『もし気持ちの整理がつかない場合は心のケアをいつでも受けなさい』


こんなに看取りの直後にみんなで振り返りをして、しっかりサポートをしてもらえることにびっくりしました。
日本では、忙しくて個人で消化するしかなかった気がします。


今回は、長年様々な病気と闘った小さな戦士がやっと痛みや苦しみから解放されること、スタッフは前向きに捉えていました。
わたしも、悲しい気持ちより、正直ほっとしています。

ゆっくり休んでほしいと思います。



Rest In Peace.






Fumi